マライア・キャリーの歌声の変遷|大きな高音の陰にあった「普段の声」

1990年、ロンドンでのマライア・キャリー シンガー
Redhoopoe / CC BY-SA 2.0

1997年、マライア・キャリーは息を含んだ柔らかい声を「これが私」と語りました。
ラジオに合わせて口ずさむとき、以前から自然に使っていた声です。
それでも、周囲は力強く歌い上げるほうを好むように感じていました。

「Vision of Love」や「Hero」で知られた歌手が、なぜ『Butterfly』の「Honey」では普段の小さな声を歌の中心に据えたのでしょう。
その前にヒップホップとの共演を求め、後には「We Belong Together」の終盤を自ら高く歌った出来事をたどると、彼女が選べる声と言葉の運び方がどう広がったのかが見えてきます。

1990~1991年|高音も、制作現場で試していた

デビュー曲「Vision of Love」(1990年)で知られるようになったマライアの力強い歌声は、初期の公の姿を形づくりました。
翌年の「Emotions」では、さらに高い声を使う場面があります。
この曲の録音について本人は後年、共同制作者デヴィッド・コールが自ら歌ってみせながら、高いフレーズを試すよう促したと振り返っています。

彼女はコールを歌手として尊敬し、その提案を面白がっていました。
一方で、押されて歌ったあとに声が出なくなることもあったと述べています。
初期の高音は、何も考えずに出していた声ではありません。
自分でも曲を作る歌手が、信頼する相手と録音室で試した表現でした。

その歌い上げが広く知られるほど、別の声は聴き手から見えにくくなります。
1997年に話題になる柔らかい声は、このころに突然生まれたものではありませんでした。

1995年|「Fantasy」で、望んだ相手との共演を形にする

『Butterfly』より前の1995年、マライアは「Fantasy」のリミックスにラッパーのオール・ダーティー・バスタードを迎えました。
2018年の取材では、「Fantasy」を実現することにも周囲の反対があったと振り返っています。
すでにヒット曲を書いていた彼女にも、望む作品を形にするには押し返すものがありました。

このリミックスでまず変わったのは、誰と一曲を作るかという選択です。
相手の言葉の運び方から刺激を受け、自分の歌う部分まで組み立てた話は、二年後の「Breakdown」でよりはっきりします。

1997年|『Butterfly』で、日頃の声をシングルの主役へ

1997年のアルバム『Butterfly』の冒頭曲「Honey」では、当時の取材記者が、息を含んだ声がほぼ全編を担うと書いています。
マライア自身もその声について、日頃ラジオと一緒に口ずさむときから心地よく使っていたと話しました。
聴き手には新しい顔に見えても、本人には、すでに持っていた声をレコードの前面へ出す出来事だったのです。

2018年に『Butterfly』を振り返った彼女は、創作の面で「それはできない」と止める人がいない中で作れたと語っています。
だからといって、初期に曲作りへ関わっていなかったわけではありません。
この時期には、歌い上げる声だけを期待されていると感じていた人が、普段の柔らかい声も曲の主役に選びました。

1998年、エドワーズ空軍基地でのマライア・キャリー
1998年、エドワーズ空軍基地でのマライア・キャリー。写真:U.S. Air Force / Public domain(米国)

1997年|「Breakdown」で、相手のリズムから自分の歌を作る

同じアルバムの「Breakdown」には、ボーン・サグズン・ハーモニーのクレイジー・ボーンとウィッシュ・ボーンが参加しました。
マライアはとりわけクレイジー・ボーンの言葉の流れや間合いに刺激を受け、自分の歌う部分を書いたあと、彼らの部分と合わせて曲を作ったと話しています。

「Fantasy」では、自分の曲に迎えたい相手を選ぶことが転機でした。
「Breakdown」ではさらに、相手のリズムが、自分の言葉をどう歌わせるかに関わっています。
『Butterfly』で広がったのは声の大きさだけではなく、一つのフレーズに言葉をどう並べるかという選択でもありました。

2005年|「Breakdown」とバラードが、一曲で出会う

2005年のアルバム『The Emancipation of Mimi』が完成に近づいたとき、レコード会社のL.A.リードは、まだ決定的な一曲が足りないと考えました。
マライアはジャーメイン・デュプリらとアトランタで「We Belong Together」を作り、歌の録音はニューヨークで進めます。
発売前、本人はこの曲を、細かなリズムで歌う「Breakdown」と、大きなバラード「One Sweet Day」を組み合わせたようだと説明していました。

ニューヨークのスタジオでは、彼女がコーラスや編曲を仕上げているところへリードが降りてきました。
ふだんは録音中に人を入れないマライアも、この機会に歌を聴かせたいと思い、終盤を一オクターブ上で歌ったと振り返っています。
リードはその場で、探していた曲だと確信しました。

この時期の本人は、力強く歌うのはその曲に合うときであって、歌えることを証明するためではないとも話しています。
1997年に柔らかい声を前へ出した歌手が、2005年には曲の終わりで高い声を自分から選んだ。
どちらか一つが「本当の声」なのではなく、曲の中で何を伝えたいかが、声を選ぶ理由になっていました。
コーラスを先に録り、それを聴きながら主旋律を作る彼女の手順は、マライア・キャリーの歌い方で詳しく扱っています。

2005年のマライア・キャリーとL.A.リード
2005年のマライア・キャリーとL.A.リード。写真:Steve Gawley / CC BY-SA 3.0

2018年|柔らかい声と強い声を、同じ言葉に使う

アルバム『Caution』の冒頭曲「GTFO」は、かつての相手を拒む歌です。
音楽批評家モーラ・ジョンストンは、柔らかく息を含む声と力強い歌い上げが一緒に使われ、穏やかな響きの中で拒絶の言葉が際立つと評しました。
1997年に前へ出した小さな声は、一時期だけの試みで終わっていません。

同じ年の取材では、マライアは『Caution』の「With You」で「Breakdown」に触れたことを尋ねられ、あの曲はお気に入りの一つだと答えています。
柔らかく歌うことも、相手のリズムに刺激されて書いた歌も、後の作品から切り離された過去ではありませんでした。

2025年|今の声で、個人的な歌を最後に置く

『Here For It All』を作り始めたころ、マライアは自分が「バラードの気分」にいたと話しています。
2020年に回想録を書いた経験から、以前よりも弱さや個人的な気持ちを表に出せるようになったとも語りました。
1997年に、普段は自分のために使っていた声を聴き手へ届けた人が、今度は歌に込める気持ちについて話しています。

終曲「Here For It All」を本人は特別に個人的な曲と呼び、その歌と編曲を「自分らしい」と感じています。
最後の曲だから聴き飛ばしてほしくないと、アルバムにもその名を付けました。

音楽批評家リッチ・ジュズウィアクは、このアルバムに以前よりざらつきのある歌声も聴き取り、それが個人的な歌詞に切実さを添えていると評しました。
同名の終曲についても、弱さを隠さず歌う姿勢を評価しています。
かつての滑らかな高音だけを求めるのではなく、今の声で何を伝えるかに目を向けたい一曲です。

「普段の声」を出せるようになって、高音も選べた

『Butterfly』でマライアが前に出したのは、新しく手に入れた声ではありませんでした。
大きな高音の陰で、本人が日頃から使っていた声です。
同じ時期には共演者の言葉の運びに刺激され、自分の歌う部分も作りました。

その後の「We Belong Together」では、歌を聴かせたい瞬間に自ら一オクターブ上へ踏み出し、「GTFO」では柔らかい声と強い声を同じ曲で使っています。
2025年には、特別に個人的だと感じた「Here For It All」を終曲に選び、聴き飛ばされないようアルバムの名前にもしました。

1997年の『Butterfly』で前面に出した柔らかい声は、以前から本人の中にありました。
マライアは後に、その作品を初めて音楽的に自由だったと振り返っています。
2005年には高く歌う場面を自ら選び、2025年には個人的な歌をアルバムの最後に置きました。
高音を捨てたのではなく、どの声とどの言葉を届けるかを選び続けています。

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