ロッド・スチュワートの歌唱変遷|荒い声に厚みが増し、失った高さに温かさが加わるまで

2025年、グラストンベリーのステージに立つロッド・スチュワート シンガー
2025年、グラストンベリーのステージに立つロッド・スチュワート

ロッド・スチュワートの歌声を思い浮かべると、まず、あのざらついた響きが浮かぶかもしれません。
けれど、同じしゃがれ声でも、若い頃のロック、椅子に座って歌ったバラード、アメリカの古いスタンダードでは、その声が引き受ける役割が違います。

本人は1990年代には声の厚みと歌い回しに自信を深め、手術後には、以前より低くなった声に新しい温かさを見つけました。
何ができなくなり、何を歌えるようになったのか。
その両方を追うと、長いキャリアを支えた声の変化が見えてきます。

ソウルを歌いたかった青年が、ギターとの呼吸を覚える

少年時代のロッドの周囲には、よく歌う家族がいました。
十代でブライトンへ通っていた頃には、人からギターを取り出してウディ・ガスリーの歌を歌ってほしいと頼まれ、自分にも歌で人を惹きつける何かがあると感じたそうです。
後年のフォーク色は、スターになってから取り入れた飾りではありません。

一方、歌手として憧れたのはサム・クックやオーティス・レディングでした。
ロング・ジョン・ボルドリーに見いだされた頃も、最初から自分の歌声を信じ切っていたわけではありません。
励ましてくれる年長の歌い手と、目指したいソウルの声があったことが、あの個性的な声の出発点にあります。

ジェフ・ベックとの活動では、ギターに合わせて歌うこととフレーズの扱いを学びました。
ロッド自身が、ベックをその先生として挙げています。
強い楽器に囲まれた経験は、声を大きくするだけでなく、演奏の中へ歌をどう置くかという学びにもなったのです。

1971年の成功に、ロックとフォークの両方があった

フェイセズでの活動とソロを並行していた時期、ロッドは一つのバンドの音だけに収まらない歌い手になっていきます。
1971年の『Every Picture Tells a Story』と「Maggie May」は、その姿を広く知らしめた作品でした。

同じアルバムの「Seems Like a Long Time」では、ブリューワー&シップリーの録音より速度を落とし、ゴスペルを思わせる曲へと作り替えています。
既成曲を借りても、元の歌手の声をなぞるだけで終わらない。
伴奏の速さや重さまで含めて、自分の歌が生きる形を探していました。

その後は「Sailing」や「Tonight’s the Night」、ディスコを取り入れた「Da Ya Think I’m Sexy?」へと、曲の顔つきも変わります。
荒い声が似合うロックだけを歌い続けた人ではありません。
大きなバラードや踊れるポップスへ場を広げたことが、後のスタンダード挑戦を考えるうえでも大切です。

1970年代、マイクスタンドを手に歌うロッド・スチュワート
1970年代、マイクスタンドを手に歌うロッド・スチュワート。
画像出典:画像掲載元

1993年、本人は「今のほうがよく歌える」と感じていた

1993年の『Unplugged…and Seated』では、ロン・ウッドとともに「Maggie May」などをアコースティックな編成で歌いました。
この時期のロッドは、歌い回しがよくなり、声も以前より厚く丸くなったと説明し、高い音の出る範囲にも自信を持っていました。
本人にとって、年月は声を削るものばかりではなかったのです。

音楽評論家のアラン・ライトも、1990年代初めの変化として、大人の歌い手としてバラードを前に出したことを挙げています。
派手なスターの姿を少し離れ、歌そのものへ視線を集めた『Unplugged』は、その転換をはっきり示す場でした。

『Unplugged』という名前から、ギター一本に近い演奏を想像するかもしれません。
しかし、ここには9人の中心メンバーに加え、男性のコーラスと弦楽の編成もありました。
伴奏をただ少なくしたのではなく、歌に耳を向けやすい親密な場を作ったのです。
椅子に座るロッドが、自作曲も他人の曲も自分の歌として引き受ける。
その姿を、豊かな生の楽器が支えていました。

2000年の手術後は、一曲を歌い切るところから取り戻した

2000年4月、甲状腺の手術を受けたロッドは、その後およそ9か月、歌えない時期を経験しました。
当初はもっと早く回復すると考えていたものの、半年を過ぎても声は戻らず、再び歌手として活動できるのかという不安を抱えます。
声を失う恐れは、この人にとって抽象的な話ではありませんでした。

後年、その過程を振り返った本人の説明は具体的です。
「Maggie May」を一行歌い、次には二行というように、少しずつ歌える部分を取り戻していきました。
過去の代表曲が、再出発のための物差しになっていたのです。

本人は、手術を挟んだ録音では一行ずつ歌う必要があり、歌に連続性がなかったとも振り返っています。
音が出ることと、一曲の流れを保って歌えることは同じではない。
その切実な違いが、復帰までの時間にありました。

スタンダードで見つけた、低くなった声の温かさ

2002年に始まる『The Great American Songbook』は、昔のスタンダードを歌うシリーズです。
ただ、手術を受けたから急に思いついた企画ではありません。
ロッドは発売時点で、リチャード・ペリーと約3年前から取り組んでいたと説明しています。
子供の頃に家族が親しんでいた歌へ向かう思いは、すでに育っていました。

華やかなロックスターが古い名曲を歌うという組み合わせには意外性があります。
しかし、本人は、複雑な和音を持つこれらの曲に、豊かな感情を込められると考えていました。
ジャンルの衣装を替える以上に、歌の一節へ思いを注げる場所を見つけた挑戦だったのです。

2012年には、手術後の声は半音ほど低くなったという本人の認識が語られています。
同時に、その声には以前なかった温かさが生まれ、特にバラードでよくなったとも感じていました。
失われた高さを認めながら、現在の声のよさも具体的に言える。
その受け止め方が、復帰後のロッドをよく表しています。

自分の経験を歌い、録音の場所も変えていく

2013年の『Time』で自作曲へ本格的に戻り、2015年には『Another Country』を発表します。
前作の好評が自信となり、自分の経験を書き、レゲエやスカ、ケルト風の旋律も試せたと話しています。
古い名曲を解釈する歌から、表現の向きが広がったのです。

『Another Country』はケヴィン・サヴィガーと自宅で録音しました。
曲が生まれた家で歌えることの親密さを、本人は喜んでいます。
生活と歌づくりが近づいた時期でした。

『Time』の頃の歌声には、以前の刺すような鋭さがいくらか薄れたという評もあります。
それでも、人を惹きつける美しさと、誰の声か分かる個性は残っていた。
若い頃の荒さをどれだけ保てたかだけで測ると、この時期の歌の受け止められ方を取りこぼします。

2024年のスウィングは、おとなしくなるための選択ではなかった

ジュールズ・ホランドと組んだ2024年の『Swing Fever』では、ロッドは、最初に試したスウィングの録音にもっと尖った勢いが欲しかったと明かしています。
そこで求めたのは、ルイ・プリマらの音楽に通じる、ロックンロールと地続きの躍動でした。

「Lullaby of Broadway」などを取り上げたこの作品では、ジュールズのリズム&ブルース・オーケストラが、大編成の音楽を踊りたくなるものとして鳴らしています。
古い曲を丁寧に保存するだけでなく、今その場で人を動かす曲として扱う。
その楽しさを、ロッドの歌も引き受けています。

2024年『Swing Fever』の告知写真に写るロッド・スチュワートとジュールズ・ホランド(撮影:Jonas Mohr)
2024年『Swing Fever』の告知写真に写るロッド・スチュワートとジュールズ・ホランド(撮影:Jonas Mohr)。
画像出典:画像掲載元

80歳の舞台では、現在の声に合わせて歌を動かす

2025年のグラストンベリーでは、80歳のロッドが約90分のステージを務めました。
「Tonight’s the Night」や「The First Cut Is the Deepest」には、現在のざらついた声に合わせて旋律を調整する様子が記されています。
昔の音型をそのままなぞる歌唱からは、違いが生まれていました。

同じ公演には、なお驚くほど強い声だという評価もありました。
曲に合わせて調整する部分と、大勢を前に歌い抜く力は、一つの舞台に同居しています。
年齢だけで「まだ歌える」「もう歌えない」と切り分けるには、ロッドの現在の歌はもっと具体的な工夫を持っています。

ギターとの呼吸を覚えた若者が、声の厚みを育て、一度歌えなくなったあとには温かさを受け入れる。
そして、古い名曲を歌う場でも再び勢いを求める。
ロッド・スチュワートの歌唱変遷は、その時々の声で、まだ表現できることを増やしてきた歩みです。

その声を曲の中でどう使うのかは、ロッド・スチュワートの歌い方で掘り下げています。

シンガー人気投票。投票ページはこちら

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました