カネコアヤノの歌声はどう変わった?「祝日」の弾き語りから、歌をバンドの一部にするまで

カネコアヤノのモノクロのアーティスト写真 カネコアヤノ

2018年のアルバム『祝祭』は、最後の「祝日」でギターと歌だけになります。
カネコアヤノは当初、この曲もバンドで録るつもりでした。
しかし、大切な言葉を最も強く届けるには弾き語りがいいと、直前に考えを変えています。

その後の彼女は、裏声で曲の幅を広げ、大きな声を出す楽しさを知りながらも、あえて終盤まで力を取っておく歌を作りました。
2025年にはバンド名義kanekoayanoの作品で、歌と演奏の間の休符まで自ら指示するようになります。
一人で歌うか、バンドで歌うか。
その二つを行き来しながら、声の使い方と、ほかの楽器への働きかけが変わっていきました。

「祝日」の前に、歌えなくなった「グレープフルーツ」があった

2016年の弾き語りアルバム『hug』には「グレープフルーツ」が収められています。
ところが2018年の取材で、カネコはこの曲を弾き語りでは今は歌えないと打ち明けました。
「祝日」が生まれてから、以前の悔しさや絶望を思い出せず、一人で歌うと自分と向き合い過ぎてしまう。
バンドなら仲間の助けで歌えても、弾き語りでは同じように引き受けられなくなっていたのです。

歌うのを休もうと考えたのは、もう一度気持ちを込められるようになるまででした。
実際、取材で話すうちに古い曲への感情が戻り、向き合えた感覚も生まれています。
新曲で前へ進んだことが、昔の歌との距離も変えていたのでしょう。

一方の「祝日」は、期待や評価を気にする自分を、歌うことが好きだという原点に戻してくれる曲でした。
それをアルバムの最後に一人で歌う。
「グレープフルーツ」をバンドに助けてもらうのと並べると、編成は単なる音の好み以上に、そのときの自分が言葉を引き受けられる形を選ぶものだったと分かります。
この曲の弾き語りは、別稿のカネコアヤノの歌い方でも詳しく扱っています。

ただ、バンドへ希望を伝えることは、最初から得意だったわけではありません。
以前は弾き語りのデモを渡し、メンバーが広げるのを見ていても、間違うのが怖くて意見を言えなかったといいます。
ギターの林宏敏が加わった頃から、望むイメージを少しずつ口にできるようになりました。
『祝祭』では、編曲面で頼っていた濱野泰政がドラムを離れる変化も受け入れています。
歌を作る人が、演奏の作り方にも踏み込む過程が、ここから始まっていました。

「さよーならあなた」から『燦々』へ――裏声を覚えても、難しい歌は残る

裏声も、初めから自在に使えたわけではありません。
2018年に振り返った話では、2016年発表の「さよーならあなた」や、その後『祝祭』に入る「アーケード」で、ようやく使えるようになったといいます。
それ以前には裏声という発想自体がなく、より高い旋律を作れることが新鮮でした。

「アーケード」では、曲を作ってすぐに歌いこなせたわけでもありません。
本人によれば、初めはギターのコードを鳴らしても歌う高さをつかめず、ライブもうまくいかなかった。
バンドで合わせると編曲がまとまり、その勢いに支えられて歌えるようになったといいます。
新しい声を得るまでには、書いた曲を寝かせ、仲間と鳴らして形にする時間がありました。

2019年の『燦々』では、自分で作る旋律が地声で届かない高さへ進むにつれ、裏声の出番も増えました。
冒頭の「花ひらくまで」は、『祝祭』の直後にできてから約一年、誰にも聴かせずにいた曲です。
編曲は仲間との制作で形になった一方、最後に自分の声を三声重ねることだけは、カネコが望んでいました。
バンドの力を借りながら、声そのものを重ねて曲の結びを作る発想も育っていたのです。

猫を抱くカネコアヤノのアーティスト写真
カネコアヤノ公式サイトが2019年に公開した写真 出典:カネコアヤノ公式サイト

その一方、「ごめんね」はうまく歌えず、収録をあきらめかけた曲でした。
ある高い箇所を裏声にするつもりが、本人には中途半端な高さでかえって出しにくく、地声で歌うことを選びます。
ただし最後の繰り返しでは、次の展開へ上がるために意図して裏声へ移しました。
裏声を覚えれば高いところはすべて解決する、という単純な話ではありません。
曲の途中と終わりで、次へ進みやすい声を探していたのです。

「りぼんのてほどき」も、最初はキーが高過ぎて、下げるためにコードを変えています。
取材者から、同じ言葉を繰り返す際の地声と裏声の順番まで指摘されると、本人はそこまで意識していなかったと答えました。
歌える形に整えたうえで、実際に歌うときの選択には無意識の部分も残る。
細部を全部決め込むことと、曲への工夫は同じではなかったのです。

同じ2019年の「愛のままを」は、ライブを重ね、聴きに来る人に支えられて曲が育ったと本人が語った一曲です。
発売したときの形が、そのまま完成形になるわけではない。
録音で声を探すことに加えて、人前で歌い続けることも、その曲の意味を深めていました。

『タオルケットは穏やかな』――強い声を最後まで取っておく

2023年の『タオルケットは穏やかな』を作る頃、カネコは家のベッドで小声で曲を書いていた原点を思い返していました。
ドラマーが替わる節目に、もう一度自分の出発点を確かめたかったのです。

「気分」では、力を入れ過ぎずに歌える曲を目指しました。
ライブでは最後に強く歌いたくなるものの、そこまでは力を取っておく。
大声を出す楽しさから、強い声をいつ使うかを考える楽しさへ、関心が移っています。

歌を一つの楽器として演奏の中に入れられたことも、本人には収穫でした。
ベースの本村拓磨も、録った歌は音程やリズムの失敗を避けて選ぶ段階を越え、演奏になじむ温度でテイクを選んだと振り返っています。
一曲の中で力を配分し、バンド全体の中で歌の居場所を探す。
「祝日」で言葉を一人の声へ集めたときから、声を生かす方法が増えていました。

同年1月の日本武道館2日間公演では、初日が弾き語り、翌日がバンドでした。
本人が弾き語りをやり切れたと感じた時期に、バンドでは声の新しい置き方を見つけていたことになります。
二つの形が、並行して進んでいました。

2024年公開のカネコアヤノのアーティスト写真
カネコアヤノ公式サイトが2024年に公開した写真 出典:カネコアヤノ公式サイト

「ラッキー」「さびしくない」で、自分の望みを口にする

2024年の「ラッキー」「さびしくない」は、後の制作を考えるうえで重要な二曲です。
カネコはこの頃から、以前より具体的に希望を伝えるようになったと振り返っています。
周囲が自分の言葉をくみ取って形にしてくれる段階から、自分でも選択を引き受ける段階へ進んだのです。

その背景には、一緒に作ってきた音楽を、本当に皆のものにしたいという思いがありました。
2024年8月には共演者が正式メンバーとなり、バンド名義kanekoayanoの活動が始まります。
一方で本人は、弾き語りとバンドを明確に分けたことで、気持ちが楽になったとも話しました。
一人で作った曲を仲間に任せることと、皆で作る音楽を自分も担うことの違いが、活動の形にも表れたのでしょう。

2025年のアルバム『石の糸』では、その変化が制作中の会話に現れます。
濱野は、カネコが望むサウンドを以前より明確に伝えるようになったと証言しました。
本人も、歌のフレーズを理由に休符の位置や空気感まで相談するようになったといいます。
声の出し方に加えて、歌が生きる間を演奏側にも求めるようになったのです。

ただし、細部の指示が増えても、ほかのメンバーが自由に演奏する余地は残していました。
イメージが共有されると、録音は多くの曲で2〜3テイクほどで進んだといいます。
自分の希望を伝えることは、仲間を窮屈にするだけではない。
先に目指す場所が分かることで、歌と演奏が一緒に進みやすくなったのです。

2025年12月17日、恵比寿ザ・ガーデンホールでの「太陽を目指してる」。

2018年の取材で、かつては編曲の希望も言えなかったと話した人が、2025年には歌を軸に休符まで相談する。
裏声を覚え、強い声を終盤へ残すようになった過程では、声の選び方と、バンドへの伝え方の両方が変わってきました。
カネコアヤノは、一人で言葉を引き受ける歌と、仲間の音の中で生きる歌を、どちらも手放さずに育ててきました。

シンガー人気投票。投票ページはこちら

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました