ジョニー・キャッシュのために曲を書いてほしい。
そんな依頼を受けたクリス・コーネルは、「Cleaning My Gun」を作りました。
ところが、その曲は採用されません。
声が動く幅が広すぎて、キャッシュには歌いにくかったのです。
Soundgardenで知られるコーネルは、強い高音を持つ歌手でした。
その本人さえ、後に「自分でもかろうじて歌える曲」を書いてきたと振り返ります。
それから長い年月を経て、2015年のソロアルバムでは、ほかの人が自分の声に合う高さでも歌える曲を書きました。
自分の声の限界へ挑むだけでなく、ほかの人にも歌を手渡せる形にする。
何が彼の考えを動かしたのでしょうか。
1990年代――歌い切るために、声の使い方を覚えた
Soundgardenの活動初期、コーネルはライブの始めから力を出しすぎ、最初の一、二曲で声が続かなくなることもあったと話しています。
1990年ごろには、一公演を通して強く歌えるようになった。
ただ、その後は徐々に、力のかけ方を抑える必要も感じるようになったそうです。
1991年のアルバム『Badmotorfinger』には「Outshined」が収められています。
コーネルは、そのような重いバンドの演奏の中で声を前へ出してきました。
しかし、一曲を思い切り歌えても、次の曲、そのまた次の曲が続く公演では同じ力のかけ方はできない。
本人は後年、高い音域の歌を連続させるには、舞台で技術を考えざるを得なかったと振り返っています。
もちろん、当時の曲がすべて力任せだったわけではありません。
1994年の「Black Hole Sun」では、声の強さとともに、耳に残る旋律も曲の中心です。
その一曲で歌がどう不穏に響くかは、クリス・コーネルの歌い方で詳しく扱っています。
ここで追いたいのは、歌える音の幅を持つ彼が、その幅を曲にどこまで求めるかを変えていった過程です。
キャッシュに歌ってもらえなかった「Cleaning My Gun」
1996年、ジョニー・キャッシュはSoundgardenの「Rusty Cage」を自分のアルバム『Unchained』で歌いました。
それより前、プロデューサーのリック・ルービンは、若い音楽家たちにキャッシュのための新曲を求めていました。
コーネルが送ったのが「Cleaning My Gun」です。
ルービンは曲を気に入ったものの、キャッシュは歌わなかった。
理由を尋ねたコーネルが聞いたのは、歌の音域が広すぎるという答えでした。
自分はこれまで逆のことをしてきたのではないか、と彼は驚きます。
自分で歌うにも難しい曲を書き、ほかの人にはなおさら歌えないものにしていた、という気づきです。
その場でSoundgardenの歌い方を捨てたわけではありません。
この出来事は長く心に残り、2015年の曲作りを説明するとき、本人が再び持ち出した話です。
「Cleaning My Gun」も消えず、2011年のライブアルバム『Songbook』に収められました。
同年4月23日、ミルウォーキーの公演で歌った記録です。
キャッシュには渡らなかった曲が、コーネル自身の一人のステージへ残ったことになります。
2002年のバンド曲が、2011年にはギター一本でも歌われた
Soundgarden解散後、コーネルはソロ作を出し、続いてRage Against the Machineの三人とAudioslaveを結成しました。
2002年のデビューアルバムには「Like a Stone」が入っています。
ギターやドラムとともに作られたバンドの曲です。

後にコーネルは、自分の曲をギター一本へ移すには、どの演奏を残す必要があるか考えると話しました。
「Like a Stone」とSoundgardenの「Fell on Black Days」は、もともとその形でも成立しやすい曲だったといいます。
バンドを離れたから初めて静かな歌を作った、という順序ではありません。
かつての曲の中から、一人でも歌えるものを選び直したのです。
2011年4月20日のトロント公演で歌った「Like a Stone」は、『Songbook』に残っています。
2002年のスタジオ録音をそのまま小さく鳴らした録音ではなく、コーネルが一人の歌手として、同じ曲を別の場へ持ち込んだ記録です。
七、八公演目で、一人でも続けられると思えた
一人で歌うツアーに、周囲は最初から賛成していたわけではありません。
コーネルによれば、当時のマネジャーは慎重で、まずロサンゼルスで数公演だけ試すことを勧めました。
試演はできたものの、同じ形の公演をどう発展させるかはまだ見えていませんでした。
そこで彼は30公演のツアーを自分で決めます。
やっていけると感じたのは、七、八公演目になってからだったと後年振り返りました。
数曲の余興ではなく、ギターと声で一晩を通す。
強いバンドの中で歌うのとは違う長さの試みです。

Soundgarden、Audioslave、Temple of the Dog、ソロで書いた曲が、このツアーでは一人の声を軸に並びました。
コーネルは、特にシアトルでの二公演を通じ、自分のソロ歌手としての姿が見えたと話しています。
別々のバンドにいた時代を、無理に一つの作風へ直したのではありません。
自分で歌い直してみると、それがすべて自分の歩んだ音楽だと受け止められたのです。
一人なら、公演の途中で速さを変え、ギターを止めて声だけにすることもできる。
本人は、観客の声を聞いてその場で曲を選び、翌日にはまた違う形で歌う自由を楽しんでいました。
2011年の取材では、しばらく高い音域で歌っていなかったものの、この数年、その高さの曲を書いて歌ううちに戻ってきたとも語っています。
静かなソロ公演は、高音を失ったための行き先ではありませんでした。
2015年――曲を先に小さく作り、言葉と声を前へ出す
『Songbook』でしていたのは、バンドで知られる曲から演奏をそぎ、ギターと声だけでも成り立つ形を探すことでした。
2015年の『Higher Truth』では順序を反転させます。
最初から、一人で歌って成立する曲を書く。
アルバム全体で、まず声と言葉が伝わることを大事にしたとコーネルは説明しました。
同じ年、声が昔より強くなったかと尋ねられたコーネルは、強さの比較では答えませんでした。
声に何をさせ、どう聞かせたいかが20年、30年前とは違う、と語っています。
本人にとって、それは声の能力だけではなく、音楽上の選択でした。
「Josephine」は、その変化をよく示します。
結婚前、彼は後の妻に電話でこの曲のサビを歌っていました。
2006年には録音も試しましたが、本人は無理をしているように感じて採用しなかった。
『Higher Truth』を作るとき、古い譜面や録音をなぞらず、最初の思いだけを持って曲へ戻ったそうです。
時間を置いたからこそ、ようやく自分の伝えたい歌になったと振り返っています。
「Before We Disappear」や「Josephine」については、ほかの人もそれぞれ歌いやすい高さで歌える曲だ、とも話しました。
ジョニー・キャッシュ用の曲を断られたとき、彼は自分の声の幅を前提にした作曲に気づいた。
今度はその声だけに頼らず、別の人へも渡せる旋律を考えたのです。
この時期にもSoundgardenは活動していました。
一人で歌う道を見つけたことは、昔のバンドや高い声を否定することではなかったのです。
自分にしか歌えない難しさへ向かう選択も、声と言葉が前に出るように作る選択も、コーネルにはありました。
「Cleaning My Gun」が採用されなかった理由を、彼は忘れませんでした。
声の幅を曲にどこまで求めるか。
そして、別の人が歌う余地を残すか。
2015年の曲には、Soundgardenで培った声を持つコーネルが、声の強さだけに頼らず歌を作るようになるまでの道のりが残っています。

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