布施明の歌声はどう変わった?カンツォーネから声帯ポリープを越えた60年の歌唱変遷

布施明のカンツォーネから60周年までの歌唱変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

布施明さんの歌声は、年齢とともに単純に細くなったわけではありません。
若い頃は、持って生まれた大きな声をカンツォーネの長い旋律へ乗せることで、一気に歌謡界の中心へ出ました。

その後は「シクラメンのかほり」で声を抑える歌を知り、ジャズや舞台で言葉の置き方を広げ、2019年の声帯ポリープを機に呼気の流れから歌い方を組み直します。
声量を失わないことより、声量に頼り切らない表現を増やしたことが、60年で起きた最大の変化です。

しかも、この歴史は円を描いています。
18歳のデビューを導いたのもイタリアのカンツォーネであり、70代の声を立て直す助けになったのもイタリア歌曲の発声でした。
布施明さんの歌唱変遷は、別の歌い方へ乗り換え続けた物語ではなく、最初の土台を何度も作り直してきた物語です。

1965年、声の大きさがカンツォーネと出会った

歌手としての始まりは、きれいに計画されたものではありませんでした。
ジャズ喫茶などで歌っていた布施明さんは、「声が大きい若者がいる」という評判から、イタリアのヒット曲を日本語で歌う候補に選ばれます。

デビュー曲「君に涙とほほえみを」は、本人にとって初めて歌うカンツォーネでした。
声楽を体系的に学んでから挑んだのではなく、録音の現場で新しい歌へ飛び込み、そこからイタリアの歌に夢中になりました。

初期の歌声を理解する鍵は、最初から大声だったことだけではありません。
一つの音を短く当てるのではなく、長い旋律を息でつなぎ、終点へ向かって声を広げる歌と出会ったことです。
この「線の長さ」が、後のロングトーンや大きな強弱の原型になりました。

1966年、「霧の摩周湖」で日本の風景を西洋の旋律へ乗せた

翌年の「霧の摩周湖」は、布施明さんの初期を代表する一曲になります。
作曲の発想にはイタリアの名曲「ヴォラーレ」があり、雄大に広がる旋律へ日本の湖の情景が重ねられました。

当初は海を舞台にする案もありましたが、布施明さんに海のイメージが合わないという判断から、山の湖へ変わったと本人は振り返っています。
つまり、歌手の声だけでなく、人物の印象まで含めて曲の風景が決められました。

「霧の摩周湖」当時の布施明

ここで固まったのは、外国曲をそのまままねる歌唱ではありません。
西洋ポップスの広い旋律を、日本語の言葉と昭和歌謡の情景へ着地させる役割です。
高い音を響かせても日本語が置き去りにならない歌い方が、初期の布施明さんを形作りました。

1972年、「マイ・ウェイ」は年齢に合わない言葉から始まった

20代前半で歌い始めた「マイ・ウェイ」には、人生の終盤を振り返る日本語詞があります。
しかし若い布施明さんには、その言葉を自分の経験として歌うことができませんでした。

そこでステージでは、人生の黄昏を示す一節を、未来へ出る「船出」に置き換えたことがあります。
高音もロングトーンも出せる若者が、技術より先に「この言葉は今の自分ではない」と感じていたのです。

この違和感は、後の歌唱変化を考える上で重要です。
同じ音程を保っていても、歌詞が自分の年齢へ近づくにつれ、長い音は未来への宣言から人生の回想へ変わります。
布施明さん自身も、現在になってようやく本来の内容が身に合うようになったと語っています。

1975年、「シクラメンのかほり」が声量をすぐ使わない歌手へ変えた

30歳を前にした布施明さんは、長く活動を休んで海外で学ぶことを考えていました。
その前にもう一曲だけと渡されたのが「シクラメンのかほり」です。

華やかなポップスを歌ってきた本人は、静かなフォーク調の曲が売れるとは思わず、これで休めると考えたそうです。
ところが曲はミリオンセラーとなり、大きな賞を獲得し、予定していた長い休みは一週間ほどになりました。

1970年代の布施明

歌唱面で起きた変化は、声を小さくしたことだけではありません。
それまでの大きな旋律では、声の広がりそのものが物語を前へ動かしました。
この曲では、声量をすぐ開放せず、静かな言葉の内側へ厚みを残す必要があります。

声の大きさで見いだされた歌手が、大きな声を待たせることで代表曲を増やした。
「シクラメンのかほり」は、布施明さんがパワフルな歌手から、声量の出入りまで演技できる歌手へ進んだ転機でした。

1979年、「君は薔薇より美しい」で強さと軽さが同居した

「君は薔薇より美しい」は、長い高音が布施明さんの代名詞になった曲です。
ただし、1970年代前半の壮大な歌と同じ方法を繰り返しただけではありません。

言葉の運びには軽さがあり、曲の前半は会話のように進みます。
そこからサビで声が広がり、最後の長い音へ向かうため、声量の大きさより変化の幅が印象に残ります。

第三者の歌唱評でも、布施明さんの特徴は、太い声や深いビブラートだけでなく、曲線を描くフレーズと大きな強弱にあると説明されています。
「シクラメンのかほり」で増えた抑制があったからこそ、この曲では開放した声との距離がさらに大きくなりました。

1980年代以降、ヒット曲の声から舞台を作る声へ

大ヒット曲が並ぶ時期を過ぎると、布施明さんは歌謡曲だけに歌唱の場所を限定しませんでした。
舞台、テレビ、作詞作曲、洋楽カバーなどへ活動を広げ、2004年にはジャズを前面に出した作品を発表します。

ジャズでは、長い音を最後まで一直線に伸ばすだけでは足りません。
拍より少し前後へ言葉を置き、短い語尾を軽く抜き、演奏との会話を作る必要があります。
布施明さんの歌唱は、声量を中心にした「一人で場を満たす声」から、伴奏や共演者との隙間も使う声へ領域を広げました。

2011年にはジャズ作品の続編を発表し、2015年の50周年では代表曲をセルフカバーしました。
過去の録音をそのまま再現するのではなく、現在の声で曲を組み直す機会が増えていきます。

小田和正さんのオフコース時代からの歌唱変遷と同じく、長く活動する歌手では、昔の最高音を守ることだけが進化ではありません。
編成や言葉の置き方を変えながら、同じ曲を現在の身体へ移す力も変化の一部です。

2009年以降、肩書きを離れて自分の歌う場所を作った

長年出演してきた年末の大舞台について、布施明さんは2009年を区切りとしました。
ポップスの枠を若い世代へ譲りたいという考えを示し、翌年から個人での制作活動を始めます。

2013年には自らの会社を立ち上げました。
大きな番組に選ばれる歌手から、自分で歌う場所や作品を決める歌手へ立場が変わります。

この時期の意味は、テレビ出演が減ったか増えたかではありません。
ヒット曲を短く披露する場だけでなく、コンサート全体の流れを自分で設計し、ジャズ、カンツォーネ、歌謡曲を一つの夜へ並べられるようになったことです。
声の使い方も、一曲の頂点だけでなく、公演の最初から最後までを見通す必要が生まれました。

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2019年、声帯ポリープで最初のカンツォーネへ戻った

2018年末から声の出しにくさが続き、翌年3月、布施明さんは声帯ポリープと診断されました。
ツアーを中止せず完走する希望を持ち、専門医の治療を受けながら、呼気の流れを調整する短期トレーニングへ取り組みます。

後に本人が説明したのは、負担の少ないイタリア歌曲の発声を取り入れたことでした。
薬物治療や吸入も併用しており、発声法だけでポリープが消えたと断定はできません。
それでも検査でポリープが見当たらなくなり、予定していた手術を回避できたことは公表されています。

ここで60年の物語がつながります。
18歳の大きな声を歌へ変えたのはカンツォーネでした。
70代で声を守る方法を探した時にも、戻った先はイタリア歌曲でした。

若い頃と同じ力で歌い続けたのではありません。
最初に覚えた長い息の流れを、現在の身体に合う負担の少ない形へ作り直したのです。
現在の発声と高音については、布施明さんの歌い方・発声分析で詳しく整理しています。

2025年、60周年の武道館で「今の声」を到着点にしなかった

2025年、布施明さんはデビュー60周年を迎え、初めて日本武道館で単独公演を行いました。
過去の代表曲を並べるだけでなく、ジャズや洋楽への関心、舞台で培った語り、長い歌手生活そのものを一つの公演へまとめる機会です。

初期と現在を比べる時、録音条件やキー、編成の違いを無視して「昔より出る」「出なくなった」と決めることはできません。
1960年代のスタジオ音源と60周年のライブ映像では、そもそも役割が違います。

変化を考えるなら、声の高さより、何を見せ場にしているかを見る方が分かりやすいでしょう。
初期は大きな声そのものが登場の衝撃でした。
現在は、小さな言葉、長い間、ジャズの揺れ、最後に開く高音まで、異なる声を一晩の中へ置けます。

中西保志さんの1992年版と2025年版の歌唱変遷でも、代表曲が年齢とともに簡単になるわけではないことが見えます。
布施明さんも同じで、長く歌ったから余裕だけが増えたのではなく、難しさに合わせて選択肢を増やしてきました。

変わらなかったのは、大きな声ではなく長い線を描くこと

60年の間に、声の重さ、選ぶキー、伴奏、言葉の間は変化しました。
ポリープという危機もあり、歌う場所もテレビ中心から自ら作るコンサートへ広がりました。

一方で、デビュー時から残っているものがあります。
一音の大きさで驚かせることより、長い旋律の終点まで声を運ぶことです。

「霧の摩周湖」では日本の風景を広い旋律へ乗せ、「シクラメンのかほり」では声量を抑えながら感情の線を切らず、「君は薔薇より美しい」では軽い言葉から長い高音までを一続きにしました。
声の使い方は変わっても、歌を一本の線として届かせる考え方は変わっていません。

まとめ

布施明さんの歌声は、若い頃の圧倒的な声量をそのまま保存したものではありません。
1965年にカンツォーネで長い息の流れを知り、1970年代には静かな曲で声量を待たせる表現を増やし、その後はジャズや舞台で言葉の置き方を広げました。

2019年の声帯ポリープは大きな危機でしたが、治療とともに呼気を見直し、イタリア歌曲の発声へ戻る転機にもなりました。
デビューを作った歌へ戻りながら、若い頃とは違う身体に合わせて方法を変えたことが、現在の歌声につながっています。

60周年で残っているのは、単純な大声ではありません。
小さな言葉から長い高音までを一つの流れへ収める力です。
布施明さんの60年は、声量を守った歴史というより、声量に頼らず声の大きさを生かす方法を増やした歴史だと言えます。

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