2024年に発表されたギタリスト、マイケル・シェンカーの作品には、アクセル・ローズが歌うUFOの「Love to Love」が収められました。
シェンカーによれば、アクセルはほかにもUFOの曲を二曲歌っています。
しかし発表されたのは「Love to Love」だけです。
シェンカーによれば、アクセルは残り二曲での自分の歌を気に入らなかったといいます。
どちらも歌い終えたのに、作品には残さなかった。
その判断の理由をシェンカーは詳しく語っていませんが、録った声を聴き、その曲に残すかを選ぶことは、アクセルがデビュー作から続けてきた仕事でした。
最初は荒々しいバンドの録音の中で、やがて長いバラード、重ねたコーラス、ほかの歌手が親しまれてきた曲の中で、何を選ぶようになったのでしょうか。
1987年|思いどおりに言えなかった、たった二語
デビュー作『Appetite for Destruction』を出した年の取材で、アクセルは録音をやり直せるなら直したい箇所があると話しました。
アルバム全体で、思いどおりの言い方にならなかった言葉が二つだけ残っていたのです。
どの言葉だったかは本人も忘れており、音程を外したわけでもない。
それでも締め切りのために録り直せなかったことを覚えていました。
このアルバムは、ドラムやギターなどの演奏を同じ部屋で合わせて録り、生の勢いを重視しています。
一方で歌の重ね方は、スタジオでアクセル自身が試しました。
ハーモニーを思いついて録り、テープを持ち帰って聴き、翌日に残すかどうかを決めていたといいます。
荒い音を目指すことと、歌を細かく選ぶことは、彼の中で矛盾していませんでした。
声の高さも、出せるものをすべて一曲に詰め込んだわけではありません。
デビュー後の別の取材では、低い声を使える曲を見つけるのは難しかったと話しています。
低く歌ってみて合わず、やめた曲もあった。
「It’s So Easy」ではようやく、その声が曲に合うと感じたのです。
「Mr. Brownstone」の歌も、ミック・ジャガーのまねをして遊んだところから取り組み、納得するまで練ったと振り返っています。
高く鋭い声だけが、最初から決まったアクセルの歌ではありません。
曲に合う声を探し、録音してからも選ぶという方法が、すでに始まっていました。
1988年|同じ「You’re Crazy」に、別の編成を与える
『Appetite for Destruction』の「You’re Crazy」は、速い演奏の中に歌を置いた版です。
しかしスラッシュによれば、曲が生まれたときはもっと遅いアコースティックの形でした。
リハーサルで速いロック曲に変え、翌1988年発表の『G N’ R Lies』には、元の姿に近い版が収められました。
もっとも、元の形に戻したからといって、歌手本人がその録音を好きになったわけではありません。
1989年の取材でアクセルは、演奏は良いと思う一方、自分の歌には納得していないと打ち明けています。
曲には特別なものを感じるのに、求めていたところへ届かなかったというのです。
曲の姿を選び直しても、録音した自分の声には不満が残る。
デビュー間もないアクセルにとって、好きな曲と、満足できる歌は同じ意味ではなかったのです。
同じ1988年の「Patience」では、穏やかな声から切迫した声へ移る一曲内の表現にも取り組んでいます。
その感情の動きは、アクセル・ローズの歌い方の記事で詳しく扱っています。
1990~92年|長いバラードでは、一音の置き方を考える
次にアクセルが広げたのは、曲の規模でした。
1990年の取材で、制作中のバラードについて、一つひとつの音がふさわしいか、どう伸ばし、どんな効果を生むかを考えていると話しています。
初期作の荒い音も意図して選んだものだと、同じ取材で説明しました。
彼にとっては「荒い音から丁寧な音へ」という単純な進歩ではなく、曲ごとに違う完成形を求める仕事だったのです。
翌1991年の『Use Your Illusion I』には、長い展開を持つ「November Rain」が入りました。
短いロック曲とは違い、ピアノとともに歌い始め、楽器が増える中でも旋律を担う曲です。
1992年の取材では、ホーン、バックコーラス、もう一人の鍵盤奏者が加わった編成でこの曲を演奏した夜、ピアノに座って、その場にいられることをうれしく思ったと振り返っています。
初期の五人だけの音を好む人がいることも、本人は知っていました。
それでも、大きくなった舞台のエネルギーは失われていないと答えています。
デビュー作では二語の言い方を気にした歌手が、長い曲では一音をどう伸ばすか、周囲の演奏にどう置くかまで考えました。

2008年|一番良かった歌は、前面に出る声だけではなかった
『Chinese Democracy』が2008年に発表されたあと、アクセルはこの作品で自分が最も良く歌えたところを尋ねられました。
挙げたのは「There Was A Time」の終盤と、「Catcher in the Rye」のバックボーカルです。
バックボーカルは、主旋律の後ろで声を重ね、曲を支える歌です。
1987年の時点でもアクセルはハーモニーを自分で考えていたので、2008年に初めて声を重ねたわけではありません。
それでも、長い制作を経た作品について尋ねられたとき、前に立つ歌だけでなく、後ろから支える歌も自分の成果として選んだのは興味深いところです。
1987年にも試していた重ね声が、後年には本人が最も良くできたと挙げる歌の一つになっていました。
2016年|すでに二人の歌手が形にした曲へ入る
2016年、アクセルはAC/DCのツアーに参加しました。
自分たちの曲を作るのとは違い、そこにはボン・スコットとブライアン・ジョンソンが歌い、聴き手が覚えている曲があります。
ツアー前の取材でアクセルは、二人がそれぞれの曲でしてきたことが、その曲を特別なものにしていると話しました。
AC/DCの音の大きさや仕事の進め方も未知で、最初から自分がなじめるかは分からなかったそうです。
初回の練習では自分がうまくできず、また来週試すよう言われた、と冗談めかして振り返っています。
中でも「Hells Bells」は、それまで歌った中で最も難しい曲だと語りました。
公演前の時点では、練習で形になっても本番でどうなるかはまだ分からない。
長年親しまれた他人の歌を担うことは、自分の声をただ押し出せば済む仕事ではなかったのです。

2024年発表作|三曲歌っても、一曲だけを残した
その後、マイケル・シェンカーの『My Years with UFO』で、アクセルはUFOの「Love to Love」を歌いました。
もとの曲は1977年に発表されています。
ここでも、別の歌手が先に形にした曲を、自分の歌として録ることになりました。
シェンカーの証言では、アクセルは「Only You Can Rock Me」と「Too Hot to Handle」も歌っています。
ただし、その二曲での自分の仕上がりを気に入らず、残したのは「Love to Love」だけでした。
二曲を外した具体的な理由は明かされておらず、声域や体調の問題だとは言えません。
デビュー作では、言い直したい二語があっても発売の締め切りがありました。
「You’re Crazy」の遅い版は、自分の歌を気に入らなくても発表しています。
それから数十年後、シェンカーとの録音では、歌った三曲の中から発表する一曲を選びました。
満足できなかった歌を残すかどうかは、いつも同じ答えではなかったのです。
初期の低い声、長いバラード、主旋律を支える声、そして他人が歌ってきた曲。
曲が変わるたび、声に求められる役割も変わりました。
その中でアクセルは、自分の歌を録り、聴き、残すかどうかを考えています。
1988年には不満のある歌も世に出し、2024年の発表作では三曲のうち一曲が残った。
その選択の積み重ねにこそ、単なる高音の増減では見えない歌声の変遷があります。

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