大江千里の歌い方・発声|鼻にかかる声が歌詞を主役にする理由

大江千里の歌い方と発声 シンガー

大江千里さんの歌を、声量や音程の安定だけで採点すると不思議なことが起こります。
もっと太く、もっと真っすぐ歌う歌手はいるのに、「Rain」も「十人十色」も、大江さんの声で聴くと主人公の体温まで近く感じられるからです。

本人はポップス時代の発声を、鼻にかかった自分独特のヘッドボイスだったと振り返っています。
ここでいうヘッドボイスは、高音を派手に鳴らす技名というより、細く軽い響きを生かした歌い方を本人なりに表した言葉です。

結論からいえば、大江千里さんの魅力は「弱い声を克服したこと」ではありません。
少し頼りなさの残る声を、恋に迷い、言い訳をし、強がる人物そのものとして歌の中へ置いたことにあります。

本人が「大江千里的なヘッドボイス」と呼んだ声

大江千里さんは、ニューヨークでゴスペルの先生についた時、それまでの発声をゼロからやり直すことになったと語っています。
その説明の中で自分の歌唱を「鼻にかかった、大江千里的なヘッドボイス」と表現しました。

この言葉が面白いのは、自分の声を一般的な正解ではなく、固有名詞のついた癖として理解していた点です。
鼻にかかって聞こえることも、声が細く揺れることも、本人にとって無自覚な欠点ではありませんでした。

発声を解説する個人記事では、鼻腔共鳴、ミックスボイス、ヘッドボイスなど複数の名前が使われています。
ただし、音源の外側から声帯の動きを断定することはできず、用語の使い方も書き手によって違います。
確かなのは、大江さん自身が太い地声で押し切る歌唱とは別の方法を選び、その方法が歌の人物像と結びついていたことです。

細い響きを自分だけの歌声へ変えた大江千里

声が完璧ではないから、歌の主人公が完璧に見えない

「Rain」は、秦基博さんをはじめ多くの歌手に歌い継がれました。
カバーによって旋律の美しさが広く知られた一方、個人ブログやファンの感想には、技術的に整った歌唱を聴いた後でも原曲へ戻りたくなるという声があります。

これは原曲の方が常に優れているという話ではありません。
大江さんの声には、好きと言い切れない人、格好よく別れられない人、答えを出せないまま歩く人が似合うのです。
発音も声量も完全に均されていないため、歌詞の人物まで完成されたヒーローになりません。

「格好悪いふられ方」という題名は、その関係をよく表しています。
歌い手が格好よくすべてを支配したら、曲の中の格好悪さは観察対象になってしまいます。
少し危うい声が旋律の中にいることで、聞き手は主人公を外から眺めるのではなく、その人の隣を走ることになります。

槇原敬之さんの鼻にかかる声と言葉の関係にも似た魅力があります。
ただ、槇原さんが日本語の輪郭を丁寧に整えて物語を見せるのに対し、大江さんは感情が言葉より半歩先へ出る瞬間まで作品に残します。

高音の迫力より、話し言葉の速度で曲を走らせる

デビュー当時、大江さんは拳を上げて歌う男性ロック歌手とは違う、新しいポップアーティストを目指していました。
汗の匂いを前面に出さず、軽い入口から中身の濃い音楽へ連れていく構想です。

この発想は歌い方にもつながります。
一音を長く伸ばして声の強さを見せるより、短い言葉を次々に置き、ピアノと一緒に場面を動かす。
高音はゴールではなく、主人公の気持ちが追いつかなくなる場所として現れます。

大江さんの曲をカラオケで歌うと、音域だけ見れば極端に高くない曲でも忙しく感じることがあります。
難しさが最高音一つに集まらず、言葉の数、音の跳び方、拍の前後に置かれる語尾へ散らばっているからです。

声を大きくすれば解決するわけではありません。
むしろ一語ずつ重くすると、都会の場面が切り替わる速度や、強がりの裏にある落ち着かなさが消えてしまいます。

ピアノと言葉を同じ勢いで動かす大江千里

「十人十色」「Rain」「格好悪いふられ方」で声の役が変わる

「十人十色」では、軽快なポップスの中で言葉が跳ねます。
この曲が手応えになったと本人が振り返るのは、声の強さより、自分が考えていた新しい男性ポップ像が曲と結びついたからでしょう。

「Rain」では、同じ細い声がもっと内側へ向きます。
後年の数多くのカバーは楽曲の普遍性を証明しましたが、原曲では旋律の美しさと歌い手の不器用さが分かれません。
整っていない感情を整えすぎずに渡せることが、大江さんの歌唱の役割でした。

「格好悪いふられ方」になると、言葉の速度も感情の振れ幅も大きくなります。
それでも声を巨大にして悲劇へ変えず、日常の延長にある失恋として走り切る。
同じ声質でも、曲ごとに主人公との距離が変わるのです。

渡辺美里さんの歌い方は、大江さんが書いた旋律を別の角度から理解する助けになります。
渡辺さんは言葉を遠くへ真っすぐ届け、大江さんは言い切れない揺れを近くに残す。
作家の旋律が、歌い手によって別の身体を得る面白さがあります。

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発声をゼロからやり直しても、昔の歌を否定しなかった

ニューヨークでゴスペルの先生に学んだ経験は、以前の歌唱が間違いだったという宣告ではありません。
一つのジャンルで成立した癖が、別の音楽ではそのまま通用しなかったということです。

その後、大江さんは歌手としての活動から距離を置き、ジャズピアニストとして学び直しました。
2018年には自作のポップ曲をピアノで再構成し、2023年にも1980年代の曲をジャズへ渡しています。
歌声を前面から外したことで、かつて声が担っていた旋律と言葉の強さを、別の角度から確かめることになりました。

昔の歌を恥ずかしい過去として消したのではありません。
ポップスとジャズの両方を本気で経験した現在だからこそ、細い声で歌っていた若い自分も音楽の一部として抱え直せています。
年代による変化は、大江千里さんの歌唱変遷で詳しく追っています。

真似するなら鼻声ではなく「声と人物を一致させる考え方」

大江千里さんらしく歌おうとして、鼻をつまんだような音や不安定な音程を作る必要はありません。
表面の癖だけを足すと、歌詞とは無関係な物まねになります。

参考にしたいのは、声の長所だけで人物を作らない姿勢です。
細い声なら、太く見せる前に、その軽さが似合う言葉やリズムを考える。
高音が大きく出ないなら、音量以外に言葉を前へ運ぶ方法がないかを見る。

聴き比べる時も、最高音より「誰がこの言葉を話しているように聞こえるか」に注目すると、大江さんの歌が急に立体的になります。
佐野元春さんの言葉をビートに変える歌い方と比べると、同じ1980年代の男性シンガーソングライターでも、言葉を走らせる方法がまったく同じではないことが分かります。

大江千里の声は、歌唱力の採点表からこぼれた感情を歌う

大江千里さんの歌い方は、太い高音や長いロングトーンを中心に組み立てられていません。
本人が呼ぶ「大江千里的なヘッドボイス」、話し言葉に近い速度、少し危うさを残した声が一つになり、歌詞の主人公を完成させます。

だから、より整ったカバーが生まれても原曲の役割はなくなりません。
大江さんの声は、上手に歌うことだけでは拾い切れない、言い訳やためらいまで旋律の中へ連れてくる声です。

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