2023年、ダリル・ホールはロバート・フリップを自分の音楽番組に迎え、二人で「NYCNY」を演奏しました。
もとは1977年に録音したダリルのソロ曲です。
あの頃は所属レコード会社にアルバムの発売を止められ、世に出るまで3年かかりました。
それが46年後には、二人が並んで歌とギターを披露しているのです。
ホール&オーツのヒット曲で知られるダリルには、その陰で録音していた歌もあります。
近年、若い頃の高音を一部失ったと認める一方で、かつて発売を阻まれた曲を再び歌っています。
声の変化と、彼が歌う曲の変化を、同じものとして扱ってよいのでしょうか。
1970年代|二人の声は、最初から合っていたわけではない
ダリルは若い頃、フィラデルフィアのソウル音楽の中で歌いました。
本人によれば、曲を渡されれば求められたスタイルで歌う仕事もしていました。
歌えるものを一つの型に限定しなかった人が、やがてジョン・オーツと組みます。
ただし、二人の声は初めからうまく重なったわけではありません。
ジョンは自分がフォーク寄り、ダリルがソウル寄りで、最初の共作では声がなじまなかったと振り返っています。
1972年の「Lilly (Are You Happy)」の頃から、それぞれの声域の強みをつかみ始めたそうです。
その組み合わせが曲作りでも形になったのが、1973年の「She’s Gone」でした。
ダリルは後年、この曲を二人で作った歌の到達点として挙げています。
また、制作を担当したアリフ・マーディンから、アレンジやレコードの作り方を学んだと振り返りました。
互いの違いを消すだけでなく、二人の声を一曲の中でどう生かすかを覚えていく時期でもあったのです。
1975年の「Sara Smile」では、ダリルがソウルで育んだ歌を、二人の名義の曲として届けました。
彼の高い声を覚えている人にとっては、その後の変化を考える出発点になる録音です。
しかし、ダリルにはこの形だけで歌い続けるつもりはありませんでした。
1977年|ヒット曲の声だけでは収まらない「Sacred Songs」
「Sara Smile」の成功のあと、ダリルはキング・クリムゾンのギタリスト、ロバート・フリップとソロアルバム『Sacred Songs』を録音しました。
フリップの音楽的な背景は、自分が育ったフィラデルフィアのソウルとは違います。
ダリルは、二つの背景を合わせて別の音楽を作ることに興味があったと話しています。
作り方も、ヒット曲の再現を目指すものではありませんでした。
ダリルによると、トラックや歌詞がその場で生まれ、歌も最初のテイクを生かしました。
2022年の取材では、フリップの『Exposure』に収録された「North Star」を例に、歌詞を渡されてすぐ歌い始めたと振り返っています。
いつも組んでいる相手とは違う演奏家の前で、自分の声に何ができるかを探す録音でした。
背景が異なる二人を結んでいたのは、曲の枠組みの中で即興することでした。
ダリルは、その場で起こったことに互いが反応できる点を、フリップとの共通点に挙げています。
あらかじめ得意な歌を仕上げて持ち込むだけではなく、相手の演奏から歌が生まれる余地もあったのです。
ところが『Sacred Songs』は1977年に録音されながら、発売は1980年まで延期されます。
続くフリップの作品『Exposure』でも、ダリルが録音した歌の多くは、レコード会社の判断で別の歌手に差し替えられました。
彼には売れたデュオの声という顔があり、その顔から離れた歌を広く届けるのは簡単ではなかったのです。
2007年の取材でダリルは、実験的な作品を作ったことと「Kiss on My List」のようなヒット曲を作ったことの両方を誇りに思うと話しています。
ソロを試したあとにポップスへ「戻った」というより、同じ歌手が二つの道を持っていたのでしょう。
1980年代|ヒットを重ねても、ソロの声は別にあった
1980年のホール&オーツのアルバム『Voices』は、二人を再び大きな成功へ導きました。
ここでは二人が自分たちで制作を主導し、歌を中心に置く方針を取りました。
ダリルが1988年に語ったのは、大きな会場向けのロックのような厚い制作から離れ、十代の頃に親しんだ音楽へ立ち返ったということです。
聴き手との距離が近い歌と、二人の声が合わさる面白さを、もう一度前に出そうとしていました。
声そのものが変わらなくても、周囲の音をどう組み立てるかで、その声の伝わり方は変えられます。
続く『Private Eyes』には「I Can’t Go for That (No Can Do)」が入っています。
大勢に覚えられる曲を歌う一方で、『Sacred Songs』の実験がなかったことになったわけではありません。
1986年、ダリルはデイヴ・スチュワートとソロアルバム『Three Hearts in the Happy Ending Machine』を制作し、「Dreamtime」を発表します。
二年後の取材で彼は、このソロ作によって自分一人のアルバムとホール&オーツのアルバムの違いが分かったと語りました。
その違いの中心に挙げたのが、ジョンと歌うときにだけ生まれる二人の声の組み合わせです。
この発言は、ソロの歌をデュオの縮小版とは考えていなかったことを示します。
『Sacred Songs』ではフリップと実験し、1986年にはデイヴと新しい曲を作りました。
ジョンと二人でしか生まれない声を持ちながら、それ以外の相手と歌う作品も続けていたのです。

写真:Gary Harris / CC BY-SA 2.0
2007年以降|聴かれてこなかった曲を、歌える場所へ
デュオの公演では、ヒット曲を期待する観客がいます。
ダリルは、二人で舞台に立つと十数曲以上の定番を外しにくいと語りました。
アルバムのほかの曲にも思い入れがあるのに、限られた時間では披露できません。
2007年に始めた『Live from Daryl’s House』には、別の役割がありました。
2022年の本人の説明では、デュオの曲もソロの曲も自分には大切で、普段はヒット曲の陰に隠れがちな作品を表に出したかったのです。
番組の一度撮りや即興の面白さはダリル・ホールの歌い方で扱っています。
変遷の上では、何十年も前に作った曲に、今のダリルが歌う場所を与えたことが大きな転機です。
2022年のソロ作品集『BeforeAfter』では、収録曲を年代順に並べませんでした。
本人は、年代順を外すことで異なる時期の曲に通じるものを伝えたかったと説明しています。
2023年にはフリップ本人を迎え、「NYCNY」を二人で演奏しました。
冒頭の共演は、発売を待たされた『Sacred Songs』を、昔話だけで終わらせない出来事です。

写真:Raph_PH / CC BY 2.0(掲載用に縮小)
現在|届かなくなった高音と、気に入っている声
ダリル自身は、若い頃のような高音の一部は今は出せないと認めています。
2018年頃に受けた取材では、子どもの頃はソプラノから高いテナーへ移り、以前のような極端な裏声は失った一方、今の声に増した深さを好むと話しました。
2025年に伝えられた別の取材でも、声が穏やかになり、自分が歌うソウルの感情にいっそう合うと感じていました。
2024年には、1986年のソロ作で組んだデイヴ・スチュワートと再びアルバム『D』を制作し、「Can’t Say No to You」などの新曲を発表しました。
曲を作る相手が戻ってきても、歌うのは現在のダリルです。
本人が好んでいる今の声で、新しいソロ作品を届けています。
昔の曲も、録音当時の歌い方をそのままなぞるわけではありません。
2025年3月のサンアントニオ公演を見た評者は、「Kiss on My List」「Private Eyes」「Rich Girl」を続けた場面で、ダリルが旋律を変え、ときには歌詞を話すように届けたと記録しています。
かつてレコード会社が止めた曲を今の声でフリップと演奏し、新しい曲は再びデイヴと作る。
ダリルの歩みを「若い高音から低い声へ」だけでまとめると、その選択が見えなくなります。
ジョンと作った声、ソロで試した声、そして古い曲を歌い直す現在の声は、時期ごとに別の役割を持ってきました。
1977年の「NYCNY」が2023年に本人たちの共演で戻ってきたことは、変わった声で歌う現在と、かつて外へ出せなかったソロ作品の歴史を、一曲で結んでいます。

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