シンディ・ローパーの歌声はどう変わった?作り込むポップスから、演奏の中で歌うまで

2016年、アルバム『Detour』の録音で、プロデューサーのトニー・ブラウンはシンディ・ローパーに、歌を後日録り直すか尋ねました。彼女の返事は「いま歌ったでしょう」というものでした。バンドと一緒に録った歌がよければ、それを完成版にする。ブラウンが普段行っていた、演奏のあとに何度も歌を録り、よい部分を組み合わせる方法とは違いました。

あの「Girls Just Want to Have Fun」の歌手が、いつからそんな録音を選ぶようになったのでしょう。答えを探すと、1980年代のポップスから突然カントリーに転じた、という単純な話では済みません。古い歌を自分のものとして歌い直し、共演者と一曲を作るまでに、いくつもの準備と失敗がありました。

1983年――「Girls」は、歌を軸に周りの音を組み立てた

1983年のデビューアルバム『She’s So Unusual』で、「Girls Just Want to Have Fun」はシンディを一躍有名にしました。あの賑やかな録音は、全員が最初から最後まで一斉に演奏したものではありません。エンジニアのウィリアム・ウィットマンによると、まずドラムマシンと仮の楽器を録り、歌を手がかりに生のドラムや楽器を加え、仮のパートを入れ替えました。歌も、通常のスタジオのほか、彼女が好んだ別室で録っています。

ここで見えてくるのは、声を加工して別人のようにしたという話ではありません。歌の存在感を中心に据え、曲の動きや賑わいを後から形にしていく制作です。完成した音だけを聴くと一気に弾けた曲に思えますが、制作陣は足場を作ってから少しずつ仕上げていました。

当時から静かな歌もありました。「Time After Time」や後の「True Colors」まで、初期のシンディを大きな声だけでくくることはできません。「True Colors」で誰にどんな声を届けようとしたかは、シンディ・ローパーの歌い方で扱っています。ここから追うのは、その声を作品の中でどう録り、どう共演者と結びつけたかという変化です。

2003年――『At Last』で、歌の物語を残すために音を減らした

次の大きな手がかりは、ブルース盤より前の2003年にあります。昔から親しんだポップスやスタンダードを歌った『At Last』で、シンディは華やかな足し算を控えました。当時の取材で、どのアルバムも最初は簡素な形から始まるが、共同作業の中で別の形になる、と振り返っています。この作品では、曲の「魂」と、そこで語られる物語を感じられるよう、簡素な形を保とうとしたのです。

「At Last」を歌うと、通学時にニューヨークの駅のホームで見た景色がよみがえったとも話しています。声を強く響かせるためだけに伴奏を減らしたのではありません。歌い手が見ている場面を、聴く人にも渡すための選択でした。

2016年の取材では、『At Last』ですでにバンドと一緒に歌を録り、『Memphis Blues』『Detour』でもそれを続けたと本人が明かしています。「歌を後で録るのではなく、その場で歌う」という方法は、『Detour』で突然思いついたものではなかったのです。

2005年――過去のヒット曲を、今の仲間と歌い直す

『At Last』では他人の曲を自分の歌にしました。2005年の『The Body Acoustic』では、さらに、自分の過去の曲を歌い直します。きっかけは意外にも慈善公演でした。制作費を抑えるためにアコースティック編成で歌っていたところ、レコード会社の担当者がその演奏を気に入り、アルバムへつながったと本人は説明しています。

『She’s So Unusual』にも入っていた「All Through the Night」を、この盤ではシャギーとの共演曲にしました。レーベルの曲情報には、シンディ自身のダルシマー演奏も記されています。昔の録音を「未完成だったもの」として直したわけではありません。彼女は当時の取材で、元の版も、新しい版も好きだと語っています。長年歌ってきた曲を、今いる仲間と別の編成で動かしてみる。それが、この時期の変化でした。

この経験を挟むと、後のブルース盤が唐突に現れたようには見えなくなります。以前のレコードを否定せずに、よく知っている曲にも別の編成と共演相手を選べる。その可能性を、自分のレパートリーで確かめていたのです。

2010年――『Memphis Blues』は、歌う場そのものを変えた

ブルースの名曲を集めた『Memphis Blues』では、スタジオでの共同作業をさらに徹底しました。制作に関わったスコット・ボマーは、シンディと何十曲もの候補を調べ、録音前に時間をかけたと振り返ります。ボマーが望んだのは、ゲストに音声ファイルを送って後から歌や演奏を貼り合わせるのでなく、スタジオへ来てもらうことでした。アレン・トゥーサンらは現場に入り、例外のB.B.キングについてはボマーが出向いて録りました。

使用したのは8トラックのテープです。録った後から何でも足せる環境ではないため、どの人が何を演奏するかを先に考えなくてはなりません。「Shattered Dreams」ではトゥーサンのピアノとシンディの歌が同じ作品に収まっています。曲を選ぶだけでなく、歌い手と演奏者がどう出会うかまで、レコードの作り方に含まれていました。

2011年、Memphis Bluesツアーのオーストラリア公演で歌うシンディ・ローパー
2011年、Memphis Bluesツアーのオーストラリア公演で歌うシンディ・ローパー。写真:Eva Rinaldi / CC BY-SA 2.0

初期の「Girls」が歌を手がかりに周りの音を組み上げた録音なら、ここでは録音する前の選曲と顔合わせに重心が移っています。ただ、1983年の制作に生演奏がなかったわけではなく、2010年に初めて仲間と歌ったわけでもありません。何をその場で決め、その演奏をどこまで残すか。その選択を積み重ねてきた結果でした。

2016年――「似せる」ことをやめたとき、バンドとつながった

カントリー盤『Detour』の曲は、彼女にとって未知の音楽ばかりではありませんでした。シンディは、子どものころにラジオで聴いたパッツィー・クラインらの歌を、当時はジャンルより先に親しみのあるポップソングとして受け取っていたと話します。ソロデビュー前のBlue Angelにもロカビリーの経験がありました。それでも「好きでよく知っている曲」を自分の録音にするのは簡単ではありません。

最初のセッションでは、経験豊富な演奏者同士は息が合っていても、自分はそこへうまく入れなかった、と本人は率直に振り返ります。バンドとつながったと感じた最初の曲が、ワンダ・ジャクソンの「Funnel of Love」でした。その場の演奏を一つの歌として成立させるには、周りが上手いだけでも、自分が歌えるだけでも足りなかったのです。

憧れのクラインの曲でも同じ壁がありました。昔はレコードに合わせて歌い、同じように歌えるつもりでいた。しかし録音した声は彼女の声ではない。シンディは自分に合うキーと、自分の声が生きる歌い方を探し直しました。先人の声を消して自分だけを押し出すのではなく、先人の歌を自分の声で引き受けるための修正です。

共演相手に合わせて、声の形を変える

同じ『Detour』の「Night Life」では、声についてもう一つ具体的な選択がありました。シンディはウィリー・ネルソンの歌うこの曲が好きで、彼も参加するなら、自分の声を柔らかく丸い響きにして、相手の声と合うようにしたいと説明しています。これは「カントリーだから声を低くした」という抽象的な変化ではありません。一緒に歌う相手を思い浮かべた、一曲ごとの判断です。

ただし、この曲を二人が同じ部屋で同時に歌った、と考えてはいけません。制作陣の取材によれば、『Detour』のゲスト歌手は、ビンス・ギルを除いて予定の都合で後から声を加えています。シンディがバンドと一緒に歌を録ったことと、ネルソンの声が同時に録られたことは別です。相手がその場にいなくても、彼の歌を迎え入れるために自分の声を選んでいたのでした。

1983年のポップスには、歌を中心に音を作り上げる面白さがありました。2003年には歌の物語が届く余白を守り、2005年には自作を別の仲間と歌い直し、2010年にはブルースの演奏者と録音の場を作った。2016年のカントリーは、その積み重ねの先にあります。変わったのは「派手な声が静かな声になった」ことではありません。どの曲を、誰と、どんな場で歌うか。そのたびに自分の声の置き場所を探せる歌手になったのです。

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