シンディ・ローパーの歌声の変遷|カントリーを歌っても、消えなかった自分の声

2016年、カントリーの名曲を歌うアルバム『Detour』の制作中、シンディ・ローパーは憧れの歌手の曲を録り直しました。
本人が振り返る理由は、自分の声と、その歌手の声が違うこと。
好きなレコードに合わせて歌える曲でも、自分の作品にするには、もう一段階の工夫が必要でした。

1980年代のポップスのスターが、ブルースを経てカントリーへ。
ジャンル名だけを並べると大きな方向転換に見えますが、彼女にとっては、昔から親しんだ音楽との出会い直しでもありました。
その過程で変わったのは、伴奏する人たちとの関わり方や、共演者と一緒に歌うための声の選び方です。
『Detour』の「Funnel of Love」には、その試行錯誤を抜け出すきっかけがありました。

1983年、ポップスの歌声はスタジオで組み立てられた

『She’s So Unusual』の「Girls Just Want to Have Fun」は、演奏者が一度集まって歌い、その全体を録って完成した曲ではありません。
制作では、ドラムマシンと仮の演奏、歌を土台にしながら、生のドラムを加え、楽器のパートを作り替えていきました。
リードボーカルの録音にも、異なる部屋が使われています。

こうした作り方なら、歌った声を聴いた後で、周りの音を調整できます。
シンディの声を中心に、曲のにぎやかさや動きを、スタジオで少しずつ仕上げていけるのです。
後年のアルバムと比べるときには、まず、この録音方法の違いを押さえておきたいところです。

初期から、彼女が力強い曲だけを歌っていたわけでもありません。
「Time After Time」や、1986年の「True Colors」では、親密な言葉を届ける役割も担っていました。
とくに「True Colors」で耳元に語りかけるような歌を目指した理由は、シンディ・ローパーの歌い方で詳しく扱っています。
後年の落ち着いた歌を、年齢とともに初めて身につけた表現だと考える必要はありません。

2010年、ブルースでは共演者にその場へ来てもらう

『Memphis Blues』では、録音の考え方が変わりました。
制作に参加したスコット・ボマーによれば、シンディは多数の候補曲を調べ、準備したうえでセッションに臨んでいます。
ボマーが提案したのは、ゲストに別の場所で録った音を送ってもらうより、現地でシンディと一緒に演奏してもらう方法でした。

アレン・トゥーサンらが実際に録音の場へ参加しています。
全員が同時に集まったわけではなく、B.B.キングの録音にはボマーが出向きましたが、歌と楽器を後から合わせる方法だけで作ろうとはしなかったのです。
録音には8トラックのテープが使われました。
大量のパートを後から積み重ねる前に、誰が何を演奏するかを決める必要がある環境です。

収録曲の「Shattered Dreams」では、シンディの歌にトゥーサンのピアノが加わっています。
1980年代のヒット曲の派手な印象をいったん離れると、歌の合間を楽器がどう埋め、次の歌へつなぐかも気になる組み合わせです。

この変化は、声そのものが低くなった、弱くなった、という話とは別です。
一緒に演奏している人の音を受けて、どこで歌い始め、どのくらい伸ばすかを決める。
共演者が同じ場にいれば、そうしたやり取りを録音することができます。
シンディと制作陣は、ブルースの曲目を選ぶだけでなく、その音楽を歌う場の作り方も変えていたのでした。

2011年、Memphis Bluesツアーのオーストラリア公演で歌うシンディ・ローパー
2011年、Memphis Bluesツアーのオーストラリア公演で歌うシンディ・ローパー。写真:Eva Rinaldi / CC BY-SA 2.0

2016年、好きな歌手のまねでは足りなかった

次の『Detour』で扱ったカントリーも、彼女にとって遠い音楽ではありませんでした。
子どものころにラジオで聴いた歌手たちは、細かなジャンルに分けるより、まず身近な人気歌手だったと振り返っています。
ソロで成功する前に活動したBlue Angelにも、ロカビリーの背景がありました。
ワンダ・ジャクソンの「Funnel of Love」を選ぶことは、自分の音楽歴から飛び離れた選択ではなかったのです。

それでも、慣れ親しんだ曲なら簡単に歌える、というわけにはいきませんでした。
シンディは1980年代にも、自宅でパッツィー・クラインのレコードをかけ、一緒に歌っていました。
その経験があっても、『Detour』の録音では、思い描いたクラインの声と、自分から出る声が違うことに気づきます。
やり直す際には、自分の声に合うキーや歌い方を見つける必要がありました。

伴奏する人たちとの関係にも、同じような試行錯誤がありました。
最初から呼吸が合ったわけではなく、「Funnel of Love」でようやく演奏とうまくつながれたと本人は話しています。
優れたミュージシャンがそろっていても、歌い手がその上に声を乗せるだけで完成するわけではない。
互いの音を聴き、その場の演奏になじむまでの時間が必要でした。

好きな歌手の再現を目指すだけでは、本人の納得する録音になりませんでした。
自分の声に合うキーと、演奏者と一緒に歌える感覚。その両方を探して、新しいレパートリーにしていったのです。

ウィリー・ネルソンの隣で歌うための声

『Detour』の「Night Life」には、声をどう変えたかについて、さらに具体的な説明があります。
ウィリー・ネルソンが歌で参加した曲です。
シンディは彼のバージョンを好んでおり、自分の録音でもその雰囲気を大切にしたいと考えていました。

そこで選んだのは、柔らかく、丸みのある声でした。
ネルソンが一緒に歌うなら、その声に合う響きにしたかったと説明しています。
自分が目立つための声を先に決めてから、相手に合わせてもらったのではありません。
二人の声が同じ曲の中に並ぶことを考えて、自分の歌い方を決めていました。

「カントリーの歌手のように歌う」と言うだけでは、実際に何を変えるのかは分かりません。
この曲では、相手がネルソンであることが、柔らかい声を選ぶ理由になっています。
ジャンル全体の歌い方をまねるより、目の前の一曲と共演者に合わせるほうが、シンディにとって具体的な手がかりになったのでしょう。

初期のヒット曲では、録った声を生かして周りの音を作り込めました。
『Memphis Blues』では演奏者と同じ場で録音し、『Detour』ではバンドとの呼吸や、憧れの歌手と自分の声の違いに向き合っています。
この歩みを追うと、シンディの変化は「派手なポップスから渋い歌へ」という一言では片づきません。
自分の声を残したまま、違う音楽の中で、違う人とどう歌えるか。その答えを、一曲ずつ探してきた歩みなのです。

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