セリーヌ・ディオンの歌声の変遷|2013年に選んだ声と、2026年の「All By Myself」

2012年のセリーヌ・ディオン シンガー
Georges Biard / CC BY-SA 3.0

2026年9月12日、セリーヌ・ディオンはパリ近郊で、約6年ぶりとなる全編を通したコンサートを開きました。
終盤には「All By Myself」も歌っています。
1996年の録音で、プロデューサーから予定より高い音を求められた代表曲です。

ところがセリーヌは2013年、長く高く歌う見せ場ばかり求められた時期を振り返り、電話取材中に低い声と短い語尾で別の曲を歌ってみせていました。
新しい声を試した後の「All By Myself」を、どう受け止めればいいのでしょうか。
1990年代、2013年、そして活動を休んだ後の舞台をたどると、彼女が一つの歌い方を別の歌い方に取り替えたわけではないことが見えてきます。

1995~96年|言葉を飾らない仕事の翌年に、高音を求められた

セリーヌはカナダのケベックでフランス語の歌手として活動を始め、1990年には最初の英語アルバム『Unison』を発表しました。
二つの言語で歌うようになった後も、すべての曲を同じ大きさの声で歌ったわけではありません。

1995年のフランス語アルバム『D’eux』では、曲を書いたジャン=ジャック・ゴールドマンから、発音の強調や装飾を控えるよう求められます。
彼女が後に振り返った例は、フランス語のRの発音です。
響きを強く飾るより、歌の言葉をそのまま進めることに取り組みました。
収録曲「Pour que tu m’aimes encore」は同年のパリ公演でも歌われています。
この共同制作の詳しい話はセリーヌ・ディオンの歌い方で扱っています。

その注文の前に、ゴールドマンは彼女が過去の取材で何を話してきたかを読み、人物を知ろうとしていました。
音楽はその声に、言葉はその人柄に合わせて作ったと、後の番組で説明しています。
大きな声を出させないことだけが目的ではなく、その人の言葉として届く曲を用意していたのです。

セリーヌは「Pour que tu m’aimes encore」の仮音源を聴き、夫ルネ・アンジェリルと涙を浮かべたと振り返りました。
その段階の伴奏は、ピアノ、リズムマシン、ギターを中心としたものでした。
豪華な完成形を聴く前から曲が心に届いた経験と、装飾を減らして言葉を進める仕事が、この制作には並んでいます。

翌1996年、『Falling into You』に収めた「All By Myself」では、別の注文を受けます。
プロデューサーのデイヴィッド・フォスターは録音前に曲の高さを変え、後半の山場でセリーヌにさらに高い音を歌わせようとしました。
不安がる彼女を奮い立たせるため、隣のスタジオのホイットニー・ヒューストンに頼める、とまで言ったそうです。

『D’eux』で言葉を飾りすぎないことを学んだ翌年に、今度は声を大きく伸ばす曲を歌う。
セリーヌの歌声は「高く歌う時期」の後に「抑えて歌う時期」が来た、という順番では説明できません。
作り手が曲で何を目立たせたいかによって、声の使い道はすでに分かれていたのです。

1998年、ワシントンD.C.でのセリーヌ・ディオン
1998年、ワシントンD.C.でのセリーヌ・ディオン。
写真:Kingkongphoto & www.celebrity-photos.com from Laurel Maryland, USA / CC BY-SA 2.0

「All By Myself」に加え、1997年の「My Heart Will Go On」も世界中に届きました。
長く伸びる高音が、セリーヌを思い浮かべるときの強い印象になります。
だからこそ、2013年に本人が説明した変化は意外でした。

2013年|語尾を伸ばさず、声のざらつきも残す

英語アルバム『Loved Me Back to Life』を語る電話取材で、セリーヌは「Water and a Flame」の一節をその場で歌いました。
もとはダニエル・メリウェザーとアデルによる曲です。
取材者が記録したのは、これまでの大きなバラードとは違う、低く少しざらついた声でした。

セリーヌは、以前の自分なら言い回しに一語足し、最後の単語を長く伸ばしていただろうと、昔の歌い方も声で再現しました。
今回は長い母音で山場を作らず、言葉を次へ進めています。
彼女はその声を、寝室にいるときのような飾らない声にたとえました。

変えたのは歌い方だけではありません。
本人によれば、このアルバムでは以前の録音ほど声に残響をかけず、声が少し割れたところもそのまま残しました。
残響とは、声が尾を引くように聞こえる録音上の効果です。
きれいに整えることに慣れた彼女には、むしろ整えすぎないほうが難しかったといいます。

2013年の電話取材では、かつては誰がより長く、高く音を保てるかを業界が求めた時期があったと振り返りました。
ただし歌手同士が進んで競っていた、と言ったのではありません。
新しい作品では、その期待の外にも楽しめる歌があると伝えたかったのです。

どんな歌をアルバムへ入れるかにも、本人の考えがありました。
当初はステージで歌っているカバーと新曲を半分ずつ収める予定でしたが、歌いたい新曲が集まったため、企画は変わっていったといいます。
先に一つの歌い方を決めて曲をそろえるというより、届いた曲を聴き、その曲を自分が歌いたいと思えるかを確かめていました。

セリーヌは、毎晩歌い、これからも歌い続けるのは自分だから、収録曲は自分で選ぶと説明しています。
新しい制作者と組んだことも、自分で信じられる言葉を歌うことと一緒でした。
声の粗さを残す方針も、そうして選んだ曲の言葉を伝えるための方法だったのです。

大きな歌をやめたわけではない

『Loved Me Back to Life』には、シーアが書いたタイトル曲も入っています。
こちらは強いビートを伴う大きな歌です。
低い「Water and a Flame」だけでアルバム全体を代表させると、同じ2013年にセリーヌが歌った幅を見落とします。

本人もこの頃、「新しい自分」に生まれ変わるつもりはないと話していました。
それまでの歌を誇りに思いながら、声を少し荒くしたり、歌い慣れない言葉を使ったりする。
大きなバラードを手放す代わりに、別の表情を隣へ置いたのです。

2024年|「選んだ声」と「制御できない声」は違う

セリーヌは2024年の取材で、2008年のツアー中から声の制御に異変を感じていたと振り返りました。
長く理由が分からないまま活動を続け、2022年にはスティッフパーソン症候群の診断を公表します。
リハビリについても、声の練習だけで済む話ではなく、身体、気持ち、生活を含む過程だと本人が説明しました。

2018年、ラスベガス公演でのセリーヌ・ディオン
2018年、ラスベガス公演でのセリーヌ・ディオン。
写真:Loibird90 / CC BY-SA 4.0

この経緯を知っても、2013年の『Loved Me Back to Life』で彼女が自ら選んだ歌い方を、すべて病気の結果と決めることはできません。
声のざらつきを録音に残そうとした選択と、声を思うように動かせないことは、同じ「変化」でも事情が異なります。

2024年7月、パリ五輪の開会式で、セリーヌはエディット・ピアフの「Hymne à l’amour」を歌いました。
芸術監督は、式を愛の歌で締めくくりたくて彼女に依頼したと話しています。
活動を休んだ後の一曲でしたが、この時点で長いコンサートを再開できると決まったわけではありません。

2025~26年|新しい録音と、昔の代表曲が同じ舞台へ

ジャン=ジャック・ゴールドマンが2020年に書いたフランス語の「Dansons」を、セリーヌは2025年に録音し、2026年4月に発表しました。
二人が作った1995年の『D’eux』や2016年の「Encore un soir」とつながる新しい仕事です。
発表年と録音年は異なります。

同年9月12日、パリ近郊での復帰公演はフランス語の「On ne change pas」で始まりました。
2024年の開会式では一曲だった歌は、この夜、現地の公演評によれば約2時間15分、25曲のコンサートになりました。
曲目には新曲「Dansons」と、1996年の「All By Myself」もあります。
その公演評は「All By Myself」の最後の高音を記録する一方、声は以前ほどの力がないようにも聞こえると評しています。
声が昔に戻ったかどうかだけでは、この舞台の出来事を言い尽くせません。

「All By Myself」をもう一度歌ったから、2013年に選んだ低い声と短い語尾が消えたわけではありません。
1995年にはフランス語の言葉を飾りすぎず、1996年には高い山場を歌い、2013年には声のひび割れを録音に残した。
2026年の舞台には、その過去の曲と新しい曲が一緒に並びました。
セリーヌは長い高音を捨てずに、ほかの声も自分の歌へ加えてきたのです。

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