クリスティーナ・アギレラの歌い方|「Beautiful」を歌い直さなかった理由

2019年、ディズニー・レジェンド授賞式でのクリスティーナ・アギレラ クリスティーナ・アギレラ
nagi usano from Tokyo, Japan / CC BY-SA 2.0

もっと上手く歌えるはずなのに、歌い直さないほうがいい。
クリスティーナ・アギレラの代表曲「Beautiful」では、歌手とプロデューサーの間で、そんなやりとりがありました。
本人は、曲を覚えた今なら、もっとよい歌にできると考えます。
ところが、曲を書いたリンダ・ペリーは、最初の歌声を残したいと譲りませんでした。

「Beautiful」は、2002年のアルバム『Stripped』に収められたバラードです。
人からどう見られようと、自分の価値まで失ってしまうわけではない。
その言葉を歌う声に、リンダは、立派に歌い切るだけでは得られないものを聴いていました。

細かい音まで、自分の望みどおりに歌いたい

クリスティーナの歌では、一つの言葉を伸ばしながら、いくつもの音を素早く行き来する歌い回しが目立ちます。
こうした装飾は「ラン」と呼ばれます。
勢いに任せて声を転がしているようでも、本人は、一つ一つの音をどこに置くかまで細かく考えています。

歌手のレイは、映画『バーレスク』でのクリスティーナの歌い回しに憧れ、何度も練習したと本人に話しました。
そのときクリスティーナが説明したのは、音の位置を詰めていく、数学的ともいえる取り組み方でした。
録音の担当者へ伝えるため、数字を歌いながら説明することさえあるそうです。

2006年、Back to Basicsツアーで歌うクリスティーナ・アギレラ
2006年、Back to Basicsツアーで歌うクリスティーナ・アギレラ。写真:moesi / CC BY-SA 3.0 de

高い音が出るだけでは、あの細かい歌い回しにはなりません。
どの音からどの音へ進むか、どこで伸ばして終えるかまで、歌手の選択が入っています。
クリスティーナは、その仕上がりに強いこだわりを持つ人です。

だからこそ、「Beautiful」をもう一度歌いたかった気持ちも分かります。
最初は手探りだった曲でも、全体をつかめば、もっと狙ったとおりに歌える。
普段なら歌をよくするはずのその作業が、この曲では、なぜ止められたのでしょうか。

自信がありそうな歌姫が、「見ないで」と言った

リンダは、最初から「Beautiful」をクリスティーナに歌わせようと決めていたわけではありません。
クリスティーナに曲を聴かせてほしいと頼まれ、書いたばかりのこの曲を演奏します。
すると彼女は、自分のアルバムで歌いたいと言いました。

リンダは、すぐには納得できませんでした。
美しく、人気もあり、何もかも持っているように見える人が、自分に自信を持てずにいる人の歌を歌う。
それでは、ただ自分の美しさを誇る歌になってしまわないか、と考えたのです。

しかし、録音に来たクリスティーナは緊張していました。
一緒に来た友人に見つめられ、彼女は「Don’t look at me」と口にします。
「私を見ないで」という、その短い言葉が、リンダの思い込みを変えました。

堂々と見える歌姫にも、見られるのが怖いときがある。
リンダは、クリスティーナにも自分と同じような不安があるのだと気づきます。
その言葉は、完成した曲の冒頭にも残されました。

この話を知ると、「Beautiful」で自分の価値を歌うことの意味も変わってきます。
不安を感じたことのない人が、傷ついた人へ上から励ましを送っているわけではありません。
歌っている本人も人の視線を怖がりながら、それでも自分を否定しないための言葉を口にしている。
リンダがこの歌声を残したかった理由には、そうした歌と歌手の近さがありました。

歌を覚えたことで、消えてしまうものがあった

「Beautiful」の完成版は、リンダの自宅スタジオで録ったデモの歌声を土台にしています。
デモは、本格的な仕上げに進む前の試し録りです。
通常なら仮の歌として扱われる段階で、リンダは、すでに残したい歌声を得ていました。

その後、スタジオで楽器の演奏を加え、曲が完成へ近づきます。
クリスティーナは歌い直しを望み、実際にもう一度録音を試しました。
ところがリンダの説明では、歌い始めてすぐに装飾の多い歌い方になり、そこで録音を止めたといいます。

曲をよく覚えたぶん、クリスティーナは、得意な歌い回しを加えられるようになっていました。
一方のリンダが残したかったのは、最初の録音にあった、緊張や不安を隠していない声でした。
同じ人が同じ旋律を歌っていても、言葉に向き合う気持ちまで、前と同じに戻せるとは限りません。

ただし、最初の録音には一切触れてはいけない、と考えたわけでもありませんでした。
リンダは、音程が気になった言葉や、途中で旋律を変えた部分は録り直したとも説明しています。
歌全体を作り替えることと、必要な箇所を直すことを分けていたのです。

最初の歌声にあった心細さを残しながら、一曲として仕上げる。
クリスティーナとリンダは、そのために、歌い直す箇所と残す箇所を選んでいました。

完璧でない自分を歌う声を、完璧にしすぎない

クリスティーナ自身も、普段の自分なら、あの歌声を完成版には残さなかっただろうと振り返っています。
録音した日には、さまざまな気持ちを抱えていました。
けれど、自分が気にする不完全さを受け入れることは、この曲で歌っている内容にも合っていたのです。

2012年のクリスティーナ・アギレラ
2012年のクリスティーナ・アギレラ。写真:Hispanic Lifestyle / CC BY-SA 2.0

「Beautiful」は、自分に自信がない状態を、なかったことにする歌ではありません。
人の言葉で傷つき、見られることを怖がる気持ちを抱えたまま、それでも自分には価値があると歌う曲です。
声の中からためらいをすべて取り除いてしまえば、歌の主人公が、最初から何にも動じない人のように感じられるかもしれません。

細かい音を狙って歌える人が、狙いどおりに整えきっていない録音を、自分の代表曲として残した。
技巧を使い切ることだけでなく、自分では直したくなる表情にも、歌としての価値を認めるようになったのです。

その後、本人が声の変化をどう受け止めたかは、クリスティーナ・アギレラの歌声の変遷でたどっています。
「Reflection」を22年後に歌い直したときには、昔と同じ声を再現することが目標ではありませんでした。

あの一言が残っているから、強い声の意味も変わる

「Beautiful」で、リンダが残そうとしたのは、人の視線を怖がっているクリスティーナが、自分を否定しない言葉を歌う、その録音でした。
歌い直して装飾を増やすと、その心細さが薄れてしまうと感じたのです。

冒頭で「見ないで」と言った人が、その後には大きな声で歌う。
その順番があるから、声の力は、ただの自信満々な振る舞いには収まりません。
不安のある人も、これほど強く自分を肯定しようとするのだと受け取れます。

クリスティーナの歌は、細かい技巧にも耳を奪われます。
けれど「Beautiful」では、技巧を加えようとして止められた録音の話も、歌を理解する手がかりになります。
あの歌声を残すことは、この曲で何を伝えたいのかを選ぶことでもあったのです。

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