2025年に発表されたBon Joviの共演盤『Forever (Legendary Edition)』は、前年のアルバム『Forever』に友人たちの声を加えた作品です。ジョン・ボン・ジョヴィが最初に電話をかけたのは、ロビー・ウィリアムズでした。ロビーが応じると、ジョンは次の歌手にも声をかけました。
『Forever』は録音できていました。それでも当時のジョンは、その曲を何夜も続くツアーで歌う準備ができていなかったと話しています。自信のある新曲を聴き手に届けたい。そのために選んだのが、別の歌手と一緒にアルバムを作り直すことでした。
ジョンが完成した曲を別の形にしたのは、これが初めてではありません。2003年には「It’s My Life」を内省的なバラードへ変えています。ただ、そのときと2025年では、曲を変えた理由が違いました。大勢に向かって歌うことで知られる彼は、自分の声と曲の届け方をどう選び直してきたのでしょうか。
ロビーが加わった「We Made It Look Easy」は、2025年の『Forever (Legendary Edition)』に収められています。
1986〜2000年|大きな会場へ届く歌が生まれた
1986年のアルバム『Slippery When Wet』に入った「Livin’ on a Prayer」は、Bon Joviを代表する曲になりました。ジョンが歌い、観客も一緒に声を上げられる曲です。一曲の中で物語を伝える声から合唱へ進む作りは、「Livin’ on a Prayer」の歌い方を扱った記事でも取り上げています。

その14年後、2000年のアルバム『Crush』から生まれた「It’s My Life」も、会場の広さに負けない曲でした。前へ進む意志を強い言葉で押し出す原曲は、バンドが新しい時代にも観客と歌える曲を持っていたことを示します。
ところが、ジョンはわずか3年後に「It’s My Life」を別の曲のように歌い直します。
2003年|「It’s My Life」を語る歌に変えた
きっかけは日本でのアコースティック公演でした。バンドはその長い公演を録音し、ライブ盤にするつもりだったとジョンは当時の取材で振り返っています。しかし、録音を聴いた彼らは、そのまま出すことに納得できませんでした。数曲を録り直し、さらにプロデューサーのパトリック・レナードを迎えるうちに、企画は単なるアコースティック盤ではなくなります。
『This Left Feels Right』でバンドは、過去のヒット曲12曲を解体し、別の曲のように組み立てました。ジョンが「It’s My Life」の新しい姿として挙げたのは、内省的なバラードです。2000年に力強く宣言した言葉を、今度は立ち止まって自分へ問いかけるような歌へ変えたのです。
リッチー・サンボラは、ジョンが若いころに影響を受けたトム・ウェイツにも触れ、この作品では物語を語るように歌ったと説明しています。大きな会場で鳴らす賛歌では作りにくかった親密さを、再録では出せたというのです。「Livin’ on a Prayer」にはオリヴィア・ダボを迎え、リッチーは二人の歌が会話のようになると話しました。
ここで問われたのは、昔の高い声をもう一度披露できるかどうかではありません。同じ歌を誰に向けて、誰と歌うか。ジョンは、既に知られた曲に別の居場所を作りました。この2003年の挑戦を、後年の声の不調への対処として説明することはできません。当時の本人たちは、曲を新しく聴かせたいという創作上の選択として語っています。

2019〜24年|録音できる声と、ツアーを続けられる声
2019年のウェンブリー公演について、ジョンは後に「うまく働いていない」と感じながら歌っていたと打ち明けました。1995年や2000年に同じ会場で歌ったときとは違うことも、自分で分かっていたといいます。ただし、その時点で理由は分かっていませんでした。
2022年、ジョンは声帯の手術を受けました。本人の説明では、片側の声帯が萎縮しており、術後はリハビリを続けました。2003年のように自分で編曲を変える話とは違い、歌い続けるために回復を待ち、訓練する時間です。
2024年4月の取材で、ジョンは既に歌える状態だと話す一方、「一晩2時間半、それを週4晩」できるかが課題だと語りました。一曲をスタジオで録ることと、何曲も歌う公演を重ねることは、彼にとって別の壁だったのです。
それでも新作『Forever』は、その時点の声で歌える曲として完成しました。収録曲「Kiss the Bride」は、結婚を控えた娘に向けた父親の歌です。ジョンは取材で、娘が5歳のころにも彼女について曲を書いたと振り返りました。今度は成長した彼女を送り出す物語を、その物語にふさわしい声域で歌ったと説明しています。録音中には涙が出たそうです。
高い音で観客を引っ張った若い日の曲と、娘に語りかけるこの曲では、歌の目的が違います。ジョン自身も、年齢を重ねても25歳の自分を演じるのではなく、変わっていきたいと話していました。ただ、『Forever』を録音できたことは、すぐにツアーへ出られることを意味しませんでした。
2025年|新曲を届けるため、友人の声を招く
ジョンは『Forever』を誇りに思っていました。しかし本人によれば、スタジオでの録音には対応できても、過酷なツアーで必要な歌唱にはまだ届かず、アルバムを公演で届けられなかったのです。その状況から生まれた『Forever (Legendary Edition)』では、元のアルバムの各曲にゲストが参加しました。
最初の電話はロビー・ウィリアムズへ。ロビーが引き受けてくれたことで、ほかの歌手にも頼みやすくなったとジョンは話しています。友人に助けを求めるのは気後れもした。それでも彼は「ME」より大きなものとして「WE」を掲げました。
娘のために書いた2024年の「Kiss the Bride」にも、翌2025年の版ではビリー・ファルコンの声が加わっています。一度完成させた曲を、別の人が入る余地のある曲として開いたのです。
2003年の再録と2025年の共演盤には、完成した歌をもう一度見直す姿勢が共通しています。ただ、前者は曲の新しい表情を探す企画で、後者にはツアーができない時期に新曲を届けたいという切実な事情がありました。友人たちの声が加わったことは、ジョン自身が歌わなくなったことを意味しません。作品に参加する声の形を変えたのです。
2026年|再び観客の前で歌う
2025年にツアー復帰を発表した際、ジョンは最初から長い日程を組もうとはしませんでした。ニューヨークでの公演なら毎晩自宅に帰って眠れることが大事だったと説明し、まず短いツアーを楽しめるか確かめたいと話しています。リハーサルにはバンドの仲間も付き合い、彼を支えました。
2026年7月7日に始まった『Forever Tour』は、マディソン・スクエア・ガーデンでの9公演を経て、エディンバラ、ダブリン、ロンドンへ進み、9月9日のウェンブリー公演で全日程を終えました。2024年には長いツアーを続けられるか分からなかったジョンが、再び複数の夜にわたって観客の前で歌ったのです。
2019年のウェンブリーでも彼を観た音楽記者ポール・ブラニガンは、2026年9月4日の同会場では多くの場面で声が力強く聞こえたと書きました。一方で、最後の「Always」はやや不安定で、観客の声が一緒に歌を終わらせたとも記しています。昔の声へそのまま戻った、と言い切るよりも、その場でバンドと観客と歌い切った公演でした。
1986年の「Livin’ on a Prayer」では、ジョンが観客を大きなサビへ引っ張りました。40年後のウェンブリーでは、少し揺れた「Always」の終わりを観客が共に歌っています。その間には、ヒット曲を静かに語り直した録音も、友人の声を招いた新作もありました。若いころの声をそのまま取り戻す話ではありません。自分の歌を誰とどう届けるかを選び直し、ジョンは再び観客の前へ戻りました。

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