上白石萌音の歌い方・発声|「個性がない声」が言葉を残す理由

上白石萌音の歌い方と発声を分析する記事のアイキャッチ シンガー

上白石萌音さんの歌声は、派手な癖や圧倒的な声量で耳を奪うタイプではありません。
それでも一度聴くと、メロディーより先に言葉の情景が残ります。

本人は自分の声を、味も色も薄い「水」のようなものだと捉えています。
歌手にとって弱点にも聞こえるこの自己評価こそ、上白石さんの強みをよく表しています。

曲を自分の個性で塗り替えるのではなく、歌詞が求める色へ声を変えられる。
上白石萌音さんの発声を理解する鍵は、高音の種類よりも「話しているように歌う」ための引き算にあります。

「特徴がない声」という悩みが、最大の個性になった

歌手は、数秒で本人だと分かる声を持つほど有利だと思われがちです。
ところが上白石さんは、レコーディングで自分の声を聴き、印象的な歌い方ではない、音符どおりに歌うことが好きだと悩んできました。

この告白が面白いのは、聴き手から見れば「柔らかく透明な声」がすでに個性として成立していることです。
本人にとっては色がないのに、周囲には陽だまりや水のようだと受け取られています。

柔らかな声で歌詞の景色を伝える上白石萌音

両者は矛盾していません。
強い色がないからこそ、映画の主題歌、ロック、昭和歌謡、ミュージカルの曲まで、作品の輪郭を壊さずに入れます。

一杯の水は、それだけでは派手ではありません。
しかし、透明だから光や器の色を映し、温度が変われば受ける印象も変わります。
上白石さんが目指す声も、曲の前へ出る個性ではなく、曲を透かして見せる個性なのです。

話しているように歌うため、歌詞を先に立たせる

上白石さん自身が最もしっくりくると語るのは、「話しているように歌えた」と感じる時です。
歌詞を台詞として捉え、その意味を伝えるために音があると考えています。

ここでいう「話すように」は、音程を曖昧にしたり、声量を小さくしたりすることではありません。
文章のどこを大切にするか、誰へ言う言葉なのかを先に決め、メロディーによって日本語が不自然に曲がらないように歌うことです。

俳優は同じ台詞でも、場面や相手によって間、速度、声の硬さを変えます。
上白石さんはその考え方を歌へ持ち込み、八曲をそれぞれ役作りする感覚で録音したこともあります。

そのため、曲が変わっても「上白石萌音らしい節」を同じ場所へ足すのではありません。
明るい歌なら言葉の立ち上がりを軽くし、切ない歌なら語尾を急いで閉じず、曲の人物が自然に話しそうな流れへ整えます。

感情を声量ではなく、息を吸う瞬間から作る

感情的に歌おうとすると、多くの人は声を大きくし、語尾を震わせようとします。
上白石さんが重視してきたのは、その一歩前にあるブレスです。

息を吸う音も歌詞の一部と考え、次の言葉をどんな気持ちで発するのかを呼吸へ込める。
この方法なら、声を無理に泣かせなくても、ためらい、安心、決意といった感情が言葉の入口に現れます。

声が柔らかくても平板に聞こえにくい理由は、音符へ入った後だけで表情を作っていないからです。
言葉の前にある沈黙と呼吸が、次の一声の意味を決めています。

これは、息を大量に漏らして儚く聞かせる歌い方とは違います。
ブレスは表現の起点ですが、声の芯まで薄くすれば言葉がぼやけます。
上白石さんの柔らかさには、台詞を客席へ届けてきた明瞭さが残っています。

音符どおりに歌うからこそ、作り手の違いが見える

上白石さんは、提供されたデモ音源を聴くと、そのまま世に出したいと思うほど作り手への敬意を抱くと話しています。
そのうえで「なぜ自分が歌うのか」を考え続けてきました。

答えは、原曲やデモを大胆に壊すことではありません。
まず旋律と言葉を正確に受け取り、必要な部分だけ自分の人生や役の経験と結び直すことです。

『なんでもないや』では、素朴な曲ほど歌う人の中身が見えてしまう難しさと向き合いました。
『From The Seeds』では、ロックの強さを求められ、動きながら歌う映像表現にも初めて挑戦しています。

『note』では、声質の柔らかさを生かす曲だけでなく、まっすぐな芯や葛藤を引き出す作家との出会いがありました。
歌手の個性を一つの音色へ固定せず、誰が曲を渡したかによって別の面が出る構造です。

竹内まりやさんの歌い方にも、歌手が前へ出すぎず、作詞家として言葉を自然に運ぶ強さがあります。
ただし、竹内さんが自分で書いた言葉の会話らしさを磨くのに対し、上白石さんは他者の言葉へ役として入る比重が大きい点が異なります。

柔らかい声の奥には、作品ごとに変えられる芯がある

作品ごとに声の色を変える現在の上白石萌音

第三者の歌唱分析では、上白石さんの声をエアリーで柔らかいとする見方と、高音には金属的な強い響きもあるとする見方があります。
どちらか一方だけが正しいわけではありません。

低い音量では息の気配を残し、盛り上がる場所では芯を細く保ったまま響きを強められるため、曲の一部分だけを見れば評価が変わります。
柔らかい声と強い高音は、別々の歌手の声ではなく、同じ歌詞を遠くまで運ぶための濃淡です。

重要なのは、最初から最後まで強い響きで押さないことです。
普段の声が穏やかだから、必要な一語だけ輪郭が強くなった時に、音量以上の変化として感じられます。

ミュージカルとJ-POPで声を使い分ける生田絵梨花さんの発声と比べると、違いが分かりやすくなります。
生田さんは舞台の広い響きとポップスの近さを切り替えますが、上白石さんはどちらでも台詞の自然さを中心に置き、役の輪郭へ声をなじませます。

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高音を目立たせないことが、上白石萌音らしさになる

上白石さんの高音は、「ここから高音です」と構えて見せるより、文章の続きを話すように通過する場面で魅力が出ます。
高い音だけを太くしようとすると、それまでの柔らかな言葉とのつながりが切れてしまうからです。

本人がカバーで行うのは、原曲の表面をなぞることではなく、歌が生まれた背景を調べ、自分がその言葉を言える場所を探す作業です。
声区の名前を先に決めるより、歌詞の途中で突然別人にならないことが優先されます。

その意味で、上白石さんの歌を「地声か裏声か」だけで分類しても、本質はつかみにくいでしょう。
音の高さ、音量、母音、曲の人物によって声の混ざり方は変わり、切り替え自体を目立たせないことが表現になっています。

上白石萌音さんの歌唱変遷を見ると、十年前の『なんでもないや』を再録した際、本人が重心を下げて歌ったと語っていることが分かります。
現在の落ち着きは、生まれつき同じ声を守った結果ではなく、経験を重ねて言葉を置く場所が増えた結果です。

参考にするなら、柔らかい音色より「曲を邪魔しない勇気」

上白石さんの表面だけを真似し、息を多く流せば、声が薄くなって言葉が聞こえなくなる可能性があります。
逆に、透明感を保とうとして感情を抑えすぎれば、音程は合っていても物語が動きません。

参考にしやすいのは、声質ではなく順番です。
まず歌詞を台詞として読み、誰が誰へ言う言葉かを考え、そのあとでメロディーへ乗せる。

さらに、原曲の歌い癖をコピーする前に、自分がその言葉を言う理由を探します。
上白石さんがカバーをする時に重ねる調査と役作りは、似た声を出せない人にも応用できる考え方です。

強い高音や息の多い声を無理に再現する必要はありません。
痛み、強いかすれ、話し声の異常が出る歌い方は中止し、不調が続く場合は耳鼻咽喉科などへ相談してください。

まとめ

上白石萌音さんの歌い方は、目立つ癖を足して本人らしさを作る方法とは反対にあります。
自分の声を水のようだと捉え、歌詞、役、作り手によって色を変えられることが個性です。

話しているように歌うため、歌詞を台詞として考え、感情は声量だけでなくブレスの段階から作ります。
音符どおりに歌う姿勢も、無個性なのではなく、作り手の違いを隠さず届けるための選択です。

柔らかさの奥には、必要な場所で響きを強めても言葉を失わない芯があります。
上白石さんの歌から学べるのは、優しい声の作り方より、曲を自分の癖で覆わず、それでも自分が歌う意味を探し続ける姿勢でしょう。

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