ケイト・ブッシュの「Wuthering Heights」を、独特な高音の持ち主が歌う曲として覚えている人は多いでしょう。
けれど、あの声には、もう一つの説明があります。
歌っているのは小説『嵐が丘』のキャシー。しかも、亡霊となって恋人のもとへ戻ってきたキャシーです。
ケイトは、その現実離れした存在を表すために、高い声が合うと考えていました。
声の高さを知るだけでは、この歌い方の理由は半分しか見えてきません。
彼女は「この歌の中で、誰になっているのか」から声を考える歌手です。
1978年のデビュー曲から、別人になりすます女性、コンピューターに心を寄せる人へと役柄をたどると、あの不思議な声にも具体的な目的が見えてきます。
恋人を呼んでいるのは、生きている女性ではない
「Wuthering Heights」の語り手は、エミリー・ブロンテの小説に登場するキャサリン、通称キャシーです。
ヒースクリフへの激しい思いを抱く彼女が、死後も相手を求めて窓の外から呼びかける。
この前提を知らないと、切迫した呼びかけや、どこか普通の人間らしくない声も、歌手の変わった癖に聞こえてしまうかもしれません。
ケイトは当時のインタビューで、歌うときにはキャシーになるのだと話しています。
自分の子ども時代の呼び名もキャシーだったことが、登場人物に気持ちを重ねる助けになりました。
小説を外から説明する歌ではなく、その人物自身にしゃべらせる歌にしたのです。
高音を選んだ理由を尋ねられた際にも、亡霊としてのキャシーを表すためだったと説明しています。
つまり、同じ旋律をきれいに歌えれば、どんな声でもよかったわけではありません。
恋人に近づきたいという人間的な願いを、生きている人とは違う存在の声で歌う。その組み合わせが、この曲の設定を伝えます。
ここで高音は、歌唱力を見せるための見せ場以上の意味を持っています。
キャシーの姿を声で想像させるための選択なのです。
歌を細かくつなぐより、一人の人物として歌い通す
その演じ方は、録音に立ち会ったエンジニア、ジョン・ケリーの記憶にも残っています。
彼が振り返るケイトは、歌うときからとても演劇的で、役柄に強く入り込んでいました。
映像の衣装や振り付けを後から足したから、人物らしく見えるようになったわけではありません。
スタジオで声を録る段階から、すでに演じていたのです。
「Wuthering Heights」の歌は、深夜に改めて録音されました。
ケリーによれば、ケイトは二、三回歌い、完成版には一つの通した歌唱が使われています。
別々のテイクからうまく歌えた部分を細かく選び、つなぎ合わせたものではありませんでした。
もちろん、通して歌ったから自動的に名演になる、ということではありません。
ただ、この曲では、キャシーとして呼びかける一連の演技が、そのまま録音に残っています。
高い音を一つ出せるかどうかと、その人物であり続けながら曲を歌い切ることは、別の仕事です。
ケイトの高音の印象には、後者の力も含まれているのでしょう。

「Babooshka」では、一人の女性が二つの顔を持つ
1980年の「Babooshka」は、もっと日常に近い人物の物語です。
夫の愛情を疑った妻が、若い女性のふりをして手紙を送り、相手を試そうとします。
夫はその女性に、以前の妻の魅力を感じてしまう。妻の側は、それを自分への裏切りだと受け取って、関係を壊していきます。
別の女性に夫を奪われた話ではなく、妻が作り上げた別人が、自分自身を傷つける話なのです。
この設定を知ると、曲の中で繰り返される名前も、ただ耳に残る言葉ではなくなります。
バブーシュカは、妻が夫を引きつけるために用意した名前です。
物語を語る部分と、その名前を前に出すサビでは、聴き手に見せる女性の姿が変わります。
映像では、ケイトが黒い衣装とベールで妻を演じ、別の姿では華やかな衣装をまといます。
二人の女性を映しているようで、設定上は同じ一人の女性です。
歌い方にも映像にも変化があるのは、ただ派手に見せるためではなく、同じ人の中にある落差を表すためだと考えられます。
「Wuthering Heights」では、死後も恋人を求め続ける人物を歌う。
「Babooshka」では、自分とは違う人になろうとする一人を歌う。
ケイトの声がひとつの穏やかな調子に収まらない理由は、こうした登場人物の事情にもあるのです。
相手がコンピューターなら、その声も作る
2011年に歌い直した「Deeper Understanding」では、自分以外の声まで物語に合わせて選びました。
もともと1989年の『The Sensual World』に入っていた曲で、孤独な人がコンピューターとの関係に慰めを見いだす話です。
ケイトが歌う人間の側だけでなく、返事をするコンピューターにも声が必要でした。
新しい録音では、息子バーティーの声に加工を施し、コンピューターの声にしています。
彼女が設定したのは、人間に愛情や理解を与える機械の声でした。
冷たい電子音にすれば済む話ではなく、主人公が心を引かれる相手として聞こえなければ、物語が成立しないのです。
「誰が歌っているか」を考えることは、ここではケイト自身の声を変えることだけにとどまりません。
別の人の声を使い、機械らしい響きにして、歌の中の相手を作ることにもつながりました。
人間とコンピューターを、同じ一人の声で区別なく歌うのとは違う聞こえ方になります。
キャシーの高い声、二つの顔を持つ妻、孤独な人に答えるコンピューター。
ケイトの歌には、声が少し変われば人物の印象まで変わる場面が、何度も出てきます。
「Wuthering Heights」の高音も、そうした人物づくりの最初の強烈な例でした。
あれは単に、ケイトが高い声で歌っているのではなく、ケイトがキャシーとして呼びかけている声なのです。
昔の録音を後年の声でどう作り直したかは、ケイト・ブッシュの歌声の変遷で、「Moments of Pleasure」の1993年版と2011年版を中心にたどっています。
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