松たか子の歌声はどう変わった?「明日、春が来たら」から『Presence』・現在まで

松たか子の歌声の変化をたどる記事のアイキャッチ シンガー

松たか子さんの歌唱変遷は、年齢とともに声が太くなったという話だけではありません。
大きく変わったのは、歌の中で「誰として声を出すか」です。

1997年の『明日、春が来たら』では、俳優として知られ始めた二十歳の松さんが、自分の名でまっすぐ歌いました。
やがて自作曲を増やし、ディズニー作品ではエルサとして歌い、ドラマでは登場人物の暮らしを背負って歌うようになります。

2021年の『Presence I』では、歌とラップ、三人のコーラスの間に入りながら、松たか子本人より大豆田とわ子がそこにいるような印象まで生まれました。

変化の中心は、美声を磨いて前へ出ることではありません。
自分の声を保ったまま、作品の人物、作り手、共演者へ渡せる範囲が広がったことです。

1997年、『明日、春が来たら』は本人の名前で始まった

松さんは1993年に舞台へ立ち、1997年に『明日、春が来たら』で歌手デビューしました。
俳優の余技として一曲だけ歌ったのではなく、その後もシングル、アルバム、作詞作曲を重ねます。

初期の歌声は、劇場の奥まで押し出す声より、言葉の近さが印象に残ると受け取られてきました。
2003年の本人インタビューでも、難しさとして挙げたのは高音の出し方ではなく、歌詞をどこで切るかという問題でした。

この時点ですでに、松さんの関心は声を大きく見せることより、日本語の流れを壊さず歌うことに向いています。
後年の役を通した歌い方は、突然現れた別の技術ではなく、この言葉への意識が育ったものだと考えられます。

2007年、十年前の自分と同じ曲の中で向き合った

歌手デビュー10周年のベスト盤には、『明日、春が来たら』の原曲と『明日、春が来たら 97-07』が収められました。
新しい版では、現在の松さんが十年前の歌声と一緒に歌います。

単に録り直して昔の声を新しい声へ置き換えたのではありません。
若い自分を消さず、二つの時期を一曲の中へ残したところに、この企画の面白さがあります。

ファンの受け止め方も一つではありませんでした。
若い声の新鮮さを好む人もいれば、後年の声に感情の深まりを感じる人もいます。

どちらが完成形かを決めない作り方は、後の松さんにも続きます。
声が変わることを過去の修正にせず、異なる自分が同時に存在できる作品へ変えたのです。

2014年、エルサとして歌う声が世界へ届いた

『アナと雪の女王』は、歌手・松たか子の変化を最も広く知られた形で示しました。
『レット・イット・ゴー』では、自分の心情を歌うのではなく、抑えてきた力を解放するエルサの物語を声にします。

アナと雪の女王公開時に歌について語る松たか子

本人は曲を初めて受け取った時、自分には歌えないほど大きな歌だと感じました。
それでも、歌手として派手に見せる方向ではなく、映画の場面と人物を成立させる仕事として引き受けます。

この成功で、舞台経験があるから強い高音も簡単に出せるという印象が広がったかもしれません。
しかし後年、本人はこの曲を準備運動にはできず、歌えば声を使い切ると話しました。

変化したのは、強い声を日常的な標準にしたことではありません。
必要な役と場面のために、消耗の大きい声まで作品へ差し出せるようになったことです。

松たか子さんの歌い方・発声で扱った慎重な準備は、この大きな表現を支える裏側です。

2017年、自作曲と「役の歌」が同じアルバムに並んだ

2017年の『明日はどこから』には、自分で書いた表題曲と、椎名林檎さんが作った『おとなの掟』のソロ版が収められました。
同じ一枚の中で、作者としての松さんと、作品から役を預かる松さんが並びます。

『明日はどこから』は、朝のドラマへ渡す曲でありながら、本人の生活から出た言葉でもあります。
一方の『おとなの掟』は、ドラマ『カルテット』の四人の関係が先にあり、普段とは違う録音の進め方を受け入れました。

提供された曲の中には、ささやくような距離を求めるものも、強く外へ開くものもありました。
声を一つの個性として守るより、作り手の意図に応じて別の入口から歌う範囲が広がっています。

坂本真綾さんの歌唱変遷でも、作家から預かった曲を通して歌手像が広がりました。
松さんの場合は、作家の色だけでなく、俳優として演じた人物まで歌の中へ戻ってくる点が特徴です。

2019年、同じエルサでも「もう一度挑戦する声」になった

『アナと雪の女王2』の『イントゥ・ジ・アンノウン』では、前作の成功をなぞればよいわけではありませんでした。
エルサはすでに力を解放しており、今度は未知の声に呼ばれ、自分から新しい場所へ進みます。

アナと雪の女王2でエルサの歌を担当した松たか子

本人もこの歌を難しい挑戦として受け止めています。
世界的に知られた前作があるからこそ、同じ大きさを再現するだけでは人物の次の段階を表せません。

前作では、閉じ込めていた感情を一気に外へ出す場面でした。
続編では、不安と決意が同時にあり、強い声の中にも迷いが必要になります。

ここで重要なのは、二曲の声を技術だけで勝ち負けにしないことです。
同じ人物を二つの時期で歌い分けた経験が、松さんの歌声を「上手い歌手の声」から「時間を持つ人物の声」へさらに広げました。

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2021年、『Presence』で人物の会話がラップの隣へ入った

『大豆田とわ子と三人の元夫』では、主題歌が毎回少しずつ姿を変えました。
松さんの主旋律を中心に、参加するラッパーが入れ替わり、三人の元夫がコーラスに加わります。

『Presence I』の制作では、声に合うキー、旋律、リズムが細かく設計されました。
松さん自身も歌だけでなくラップ部分を担当し、台詞、歌、語りの境界をまたぎます。

初期の松さんは、自分の名前で曲の正面に立っていました。
この作品では、声は曲を支える柱でありながら、共演者が出入りできる場所にもなっています。

聴き手が大豆田とわ子本人の歌のように感じたのは、声色の物まねが優れていたからだけではありません。
ドラマで積み重ねた人物の話す速度や、感情を言い切らない間まで、音楽から切れなかったためでしょう。

2024年以後、歌手活動は「戻る場所」ではなく共演の場になった

2024年には、ゆずとの『Chururi(feat.松たか子)』が配信されました。
最初はCMで一部を歌う依頼でしたが、その声を受けてフルサイズの録音へ発展しています。

これは久しぶりに歌手活動へ戻ったというより、俳優、舞台、音楽を分けず、声を必要とする作品へ参加する現在の形です。
ソロ作品を出す時だけ歌手になるのではなく、共演者や物語との出会いから新しい歌が生まれます。

2025年以降も舞台出演が続き、公式サイトには2026年のロックオペラ公演が掲載されています。
現在地を新しいソロアルバムの有無だけで測ると、松さんの音楽活動は見えにくくなります。

舞台の役、映像の人物、ドラマの主題歌、別の歌手との共演が、すべて一人の声の経験としてつながっています。
歌う場所が増えたというより、場所を隔てていた壁が薄くなったのです。

まとめ

松たか子さんの歌声で変わったのは、高音の太さだけではありません。
歌の中で、誰として声を出せるかが大きく広がりました。

1997年は本人の名前で歌手として立ち、2007年には十年前の自分と同じ曲で歌いました。
2014年からはエルサとして世界へ届き、2017年には自作曲と役の歌を同じ作品へ並べます。

2019年には同じ人物の次の時間を歌い、2021年の『Presence』では人物の会話をラップや共演者の隣まで運びました。
2024年以後も、歌は俳優活動から離れた別の仕事ではなく、作品と人に出会う場として続いています。

変わらず残ったのは、日本語を雑に切らず、言葉の持ち主を先に考える姿勢です。
その土台があるから、自分の歌から役の歌へ広がっても、松たか子さんの声は作り物らしくならないのです。

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