「Somebody to Love」では、大勢の声が聞こえてくるのに、歌っている主人公は一人ぼっちです。
誰かを愛したいと願い、働き疲れ、自分の生き方にまで疑いを向けてしまう。
そんな心細い話を、フレディ・マーキュリーはQueenの華やかなコーラスとともに歌います。
しかも、あの大合唱を録音したのは、フレディ、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーの三人でした。
少人数の声を重ねて大勢に聞かせる仕掛けにも驚きますが、この曲の面白さは人数の錯覚だけではありません。
整った合唱の中から、一人の声が何度も強く訴えかけてくることです。
1976年の『A Day at the Races』に収められた「Somebody to Love」を中心に、その歌い方を見ていきましょう。
フレディの力強い高音は、この曲で何を伝えているのでしょうか。
憧れたのは、アレサ・フランクリンのゴスペルだった
Queenには、この前年に「Bohemian Rhapsody」という大ヒットがありました。
声を幾重にも重ね、オペラを思わせる場面まで作った曲です。
次の「Somebody to Love」でも同じように声を重ねていますが、フレディがやりたかった音楽は少し違いました。
彼が夢中になっていたのは、アレサ・フランクリンです。
フレディは、アレサの初期のアルバムにあるゴスペルの歌い方に刺激を受けたと話しています。
その話を何度もするので、ほかのメンバーをうんざりさせたほどだったそうです。
ゴスペルでは、一人が歌いかけ、合唱が応じる形がよく使われます。
一人の歌を全員でそのままなぞるだけでなく、呼びかけに別の声が加わることで、歌の熱気が膨らんでいきます。
「Somebody to Love」でも、フレディのリード・ボーカルとコーラスは、いつも同じ動きをしているわけではありません。
主役が長く声を伸ばす間に、ほかの声が短い言葉を返す。
その掛け合いが、歌を先へ進めています。
ここで歌われるのは、恋がかなった喜びではありません。
愛する相手を見つけられずにいる人の願いです。
明るく華やかな合唱と、歌詞にある寂しさを一緒に考えると、大きな声で歌う理由も見えてきます。
悲しいから声を小さくする、という表し方だけでなく、誰かに届いてほしいから強く呼びかける歌にもできるのです。
三人で大合唱を作っても、きっちり歌うだけでは足りない
録音に入るとき、フレディは多くのコーラスのパートを準備していました。
ブライアンは、その用意された声の組み合わせを、皆で順に形にしていったと振り返っています。
思いつくままに三人が同時に歌って、偶然あの合唱になったわけではありません。
何度も録音を重ねて、声の厚みを作り上げています。
ただし、手間をかけた録音だからこそ、歌まで硬くなってしまう心配もあります。
リズムも語尾も揃えることだけを優先したら、切実な呼びかけより、よく整った合唱のほうへ耳が向いてしまうでしょう。
ロジャーは当時、この曲では自由なゴスペルの感覚を保とうとした、と話していました。
曲のリズムにも、その感覚を支える工夫があります。
大きな拍の中が三つずつに分かれる、揺れのあるリズムです。
フレディはこの揺れに乗りながら、短い言葉を続けたり、一つの音を長く引っ張ったりします。
コーラスが歌の流れを支えるからこそ、フレディはその上で、訴え方を変えていけます。
三人で作った合唱は、主役の声を大きく聞かせるためだけのものではありません。
コーラスが短い言葉を繰り返す一方で、フレディは長く声を伸ばせる。
主役と合唱が違う歌い回しをすることも、この曲の楽しさになっています。

小さく始めた呼びかけが、高音へ膨らんでいく
「Somebody to Love」は、初めから最後まで強い声で押し切る曲ではありません。
冒頭ではフレディの裏声が聞こえ、その後に厚いコーラスが加わります。
一人の声と重ねた声の違いが、曲の始まりから作られています。
この対比が大きな展開になるのが、後半の繰り返しです。
コーラスは小さく始まり、同じ呼びかけを重ねるうちに、次第に勢いを増していきます。
その上でフレディが声を大きく動かし、高い声へと歌い上げる。
音楽を解説するブラッド・ペイジも、この静かな始まりからの積み重ねと、終盤の自由な独唱に注目しています。
高い音が一つ出るだけなら、聴く側の関心は、その音を出せたかどうかへ向かいやすいでしょう。
ところがこの曲では、その前に同じ願いが繰り返されています。
まだかなっていない願いを何度も口にし、とうとう抑えられなくなった、と捉えると、高音はその気持ちの続きとして聞けます。
声の強さを変えることには、音量を変える以上の意味があります。
控えめな呼びかけと、張りつめた訴えを、一つの曲の中で行き来できるからです。
大合唱が盛り上がるほど、フレディがその中で何を求めているのかにも耳を向けたくなります。
ライブで、あの大合唱をどう歌うか
あれほど声を重ねた曲を、ステージではどう歌うのか。
これは、Queen自身も苦労した問題でした。
録音で三人が何度も歌ったパートを、ライブでは同じ人数が一度に担当しなければならないからです。
フレディは「Somebody to Love」をライブで歌うことを、とても神経を使う仕事だと話しています。
最初に演奏したときは、早く終わらせたくて、ひどく速くなってしまったというほどでした。
ロジャーも、ツアーで演奏し始めた頃は、この曲の順番が来るのを恐れていたと振り返っています。
録音で大きな手応えがあった曲が、そのまま得意なライブ曲になったわけではありません。
それでも、この歌はステージの見どころになりました。
ツアーを支えたピーター・ヒンスは、スタジオ版の磨かれた仕上がりに対して、ライブにはもっと強い生々しさがあったと述べています。
スタッフにも楽しみにされる曲だったそうです。
同じ数の声を再現できなくても、フレディが歌詞に込める訴えは、目の前の観客へ届けられる。
その点に注目すると、録音版とライブ版の楽しみ方も変わります。
コーラスが何層あるかだけで比べず、その場でフレディがどう歌を引っ張るかを楽しめるのです。
観客が歌そのものに加わる「Love of My Life」や、晩年の共演で選んだ声については、フレディ・マーキュリーの歌声の変遷でたどっています。

強い声で、心細さを歌える
「Somebody to Love」の主人公は、自信に満ちた勝者ではありません。
うまくいかない毎日の中で、それでも誰かを求めています。
その人を歌うフレディには、高い声も、厚い合唱も、思いきり歌い上げる力もあります。
だからこそ、この曲では声の力強さが、主人公の強さと同じ意味になりません。
小さく願いを口にするところから、周りの声に応じ、感情を抑えきれずに歌い上げるところまで、訴え方の変化を表しています。
華やかなコーラスの中で、切実な一人の声が聞こえてくる理由も、そこにあります。
フレディの高音に驚いたあとで、もう一度、その前の小さな呼びかけへ戻ってみる。
すると「Somebody to Love」は、声のすごさに圧倒される曲であると同時に、誰かを求める気持ちが膨らんでいく曲としても楽しめます。
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