久保田利伸さんの歌を難しくしているのは、最高音の高さだけではありません。
同じメロディーを歌っているはずなのに、言葉が前へ飛び出したり、少し後ろへ下がったり、語尾が次の拍へ滑り込んだりします。
その正体は、声をメロディーだけの道具にしない歌い方です。
久保田さんは幼い頃から何十年分ものソウルやR&Bを歌い真似し、楽器の音まで声で再現してきたと明かしています。
フェイク、しゃくり、裏拍、歯切れのよい発音は、後から貼り付けた飾りではありません。
声そのものがドラム、ベース、管楽器の仲間として動くため、一曲の中に立体的なグルーヴが生まれます。
久保田利伸のフェイクは、その場の思いつきではない
フェイクとは、決められた旋律の周りを声で動き、音を足したり変えたりする歌唱表現です。
久保田さんの場合、単に高い音を細かく往復する技巧ではありません。
本人は、幼い頃からブラックミュージックを一日中聴き、聞こえた歌を片端から真似してきたと語っています。
年代ごとに異なる歌手のアドリブやフェイクが身体へ入り、必要な時に取り出せる語彙になりました。
だから一つの曲で同じ動きを何度も見せるのではなく、歌詞、コード、リズムに合わせて声の動きが変わります。
即興に聞こえても、土台にあるのは長い聴取と再現の蓄積です。
ここを見落として形だけ真似すると、語尾へ音を足すほど久保田さんらしくなると誤解してしまいます。
フェイクの多さではなく、曲が欲しがる隙間だけへ声を入れられることが本質です。
声で楽器を再現した経験が、歌の輪郭を作った
久保田さんは、楽器を演奏して聞こえた音を再現する代わりに、声でドラムやベース、管楽器まで真似してきたと説明しています。
この習慣が、歌声を「長く伸ばす線」だけで考えない感覚へつながりました。
ドラムのように短く切る音、ベースのように少し後ろへ置く音、管楽器のように膨らませる音が、一つのフレーズに同居します。
同じ声量で音符をなぞる歌とは、言葉の凹凸がまったく違います。

「LA・LA・LA LOVE SONG」のような親しみやすい曲でも、歌い出しからすべてを強くは当てません。
短く弾く音と、後ろへ引く音と、伸びて空間を作る音が交代するため、メロディーが平面にならないのです。
専門家の解説でも、久保田さんは裏拍のアクセント、息を吸う位置、ロングトーンを切る場所までリズムとして扱う歌手だと指摘されています。
「リズム感がよい」という言葉だけでは軽く聞こえますが、実際には発声の始まりと終わりを拍の中で細かく選べる能力です。
音域が特別に広いから難しいわけではない
久保田さんの歌は高く聞こえます。
しかし、複数のボイストレーナーは、本人の基礎的な声域を極端に広いとは見ていません。
難しさは、一曲の中で低いAメロから高いサビまで移動しながら、音程、言葉、リズムを同時に崩さない点にあります。
高音だけを取り出せば届いても、原曲のように歌うと急に忙しく感じるのはこのためです。
さらに、音を伸ばす場所にも動きがあります。
真っすぐなロングトーンの途中で強さを変え、最後を裏拍で離し、そのまま次の言葉へつなぎます。
高い声を出すことと、久保田さんの歌い方を再現することは別問題です。
音高だけを追うと声が固まり、肝心の跳ねや余白が消えてしまいます。
歯切れのよさと、ねっとりしたつながりを使い分ける
アップテンポでは、子音を素早く処理し、言葉の一部を短く切ることで裏拍を目立たせます。
一方、バラードでは隣り合う音をなめらかにつなぎ、しゃくりや母音の移動で時間を引き伸ばします。
この二つは反対の歌い方に見えます。
久保田さんは、切る技術とつなぐ技術を曲の中で交換できるため、速い曲も遅い曲も同じR&B歌手の声になります。
「Our Christmas」では、音を置く位置がずれるたびに冬の静けさと温度が変わります。
「LOVE RAIN ~恋の雨~」では、言葉を跳ねさせながら高音へ進むので、サビの勢いが大声だけに依存しません。

平井堅さんの歌い方もフェイクを大切にしますが、平井さんが声色の役割を曲ごとに変えるのに対し、久保田さんは一音の長さと位置でリズムの地形を作る印象が強くなります。
日本語をR&Bへ乗せる時、難しいと決めつけなかった
日本語は母音が多く、R&Bのリズムへ乗せにくいと言われることがあります。
久保田さんは、その難しさを前提にしなかったと話しています。
重要なのは、日本語を英語風に崩すことではありません。
子音を短く置く場所、母音を残す場所、語尾を拍の前後へ動かす場所を選び、言葉自体にグルーヴを持たせます。
近年の「the Beat of Life」では、意味を優先した日本語の母音と、英語のライムが完全には揃わない箇所を、歌い方で折り合わせたと本人が説明しています。
言葉をリズムへ従わせるだけでなく、伝えたい言葉を守るためにリズムの見せ方を変えた例です。
日本語の発音を曖昧にすればR&Bになるわけではありません。
言葉が聞こえたまま、拍の中で伸び縮みできることが久保田さんの強さです。
高音には息を足しすぎず、声の芯を残す
久保田さんのファルセットや高音には軽さがありますが、常に息だけの薄い声ではありません。
専門家の分析では、声へ混ざる息が比較的少なく、マイクへ輪郭が乗りやすい発声だと説明されています。
これは喉を強く締めるという意味ではありません。
音の始まりがぼやけない程度に芯を残し、必要な場所だけ空気を増やします。
ミックスボイスと裏声の違いで整理しているように、声区の名前だけで一曲を説明するのは困難です。
久保田さんも、曲、音量、母音、表情によって地声寄りの音と裏声寄りの音を使い分けます。
「すべてミックスボイスだから滑らか」と決めるより、強い音でも息を使い切らず、軽い音でも輪郭を捨てないと捉える方が分かりやすいでしょう。
真似するならフェイクの数ではなく、原曲との差を見る
久保田さんらしさへ近づこうとして、すべての語尾へしゃくりやフェイクを足すと、歌はかえって重くなります。
長年蓄えた語彙を、表面の動きだけで再現することはできません。
参考にしやすいのは、同じ曲の原曲メロディーと実際の歌唱で、どこが変わっているかを見る聴き方です。
音を足した場所だけでなく、短くした場所、何も足さなかった場所、息継ぎの後に少し遅れて入った場所を比べます。
鈴木雅之さんの歌い方と並べて聴くと、同じR&Bを背景に持つ歌手でも、鈴木さんは声の厚みと間、久保田さんは音の位置と細かな運動で色を作る違いが見えます。
声色を似せるより、伴奏のどの音へ声が反応しているかを追う方が、久保田さんの音楽に近づけます。
久保田利伸の歌声は、長い記憶が一瞬で動く声
久保田利伸さんの歌い方は、フェイクが多い、リズム感がよい、高音が滑らかという項目の集合ではありません。
幼い頃から聴き続けたソウルやR&B、歌手ごとのアドリブ、楽器の音色を声へ移した長い記憶が、一瞬の判断として動く歌です。
音域の広さだけでは説明できない難しさも、そこにあります。
一音を出すたびに、長さ、位置、輪郭、次の音への渡し方を選んでいるからです。
フェイクは自由に見えますが、曲から離れるための自由ではありません。
曲の中へもっと深く入り、声を伴奏の一部にするための自由です。
久保田利伸さんの最大の発声技術は、特別な一音ではなく、何十年分もの音楽を現在の一拍へ呼び出せることにあります。
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