五木ひろしの歌い方・発声|主役にならないBGMが生んだ「五木節」

デビューから三つの声を歩んだ五木ひろし シンガー

五木ひろしさんの歌い方は、最初から大舞台のために作られたものではありません。
原点は、クラブの片隅で客の会話を邪魔しないように歌ったBGMでした。

声を張らず、ささやくように歌う。
それでも言葉だけは明瞭にして、ふと聞き耳を立ててもらう。
この相反する条件の中から、地声の芯、裏声の抜き、細かな音量操作を一つにつないだ「五木節」が育ちました。

五木ひろしさんの歌唱を理解する鍵は、声の太さやこぶしの数ではありません。
前へ出る力と、引いて余韻を残す力を、同じ一節の中で使い分けることです。

「聞かせる歌」は、聞かせてはいけない場所で生まれた

売れない時代、五木ひろしさんは銀座や新宿のクラブでギターを弾きながら歌っていました。
ステージの観客は歌だけを聴きに来ているわけではなく、テーブルごとの会話が主役です。

大きな声で場を制圧すれば仕事になりません。
かといって、存在を消しすぎれば歌手として耳に残らない。
そこで身につけたのが、ギターの音に溶け込む小さな声と、声量を抑えても届く言葉でした。

本人は、この経験から「語る」歌い方に気づいたと振り返っています。
話し声のように平坦にするという意味ではありません。
旋律の中でも、誰かに言葉を渡す感覚を失わない歌い方です。

華やかな舞台で知られる歌手の土台が、拍手を取りにいけない場所で作られた。
この逆説を知ると、五木ひろしさんの歌が大声の連続ではない理由が見えてきます。

声を「つぶせ」と言われた時期が、自分の声を探す出発点になった

1965年、松山まさるとしてデビューした時は、生まれ持ったきれいな声で歌っていました。
しかしヒットに恵まれず、一条英一へ改名した時期には、声をつぶして歌うよう指示されます。

本人にとって、その声は自分のものに思えませんでした。
誰かの物まねをしているようで、納得できないまま歌っていたといいます。
結果として、その歌い方でも成功には届きませんでした。

ここで大切なのは、苦労の末に喉を荒らしたから独特の声になった、という話ではないことです。
むしろ、外から与えられた声では長く歌えないと知り、自分の声へ戻る必要が生まれました。

発声を語る記事では、特徴的な音を一つ見つけて「これが秘密」と言いたくなります。
五木ひろしさんの場合、その見方は危険です。
一度は声色そのものを作ろうとして失敗し、そこから歌う場所と言葉に合う声を作り直しているからです。

スーツ姿の五木ひろし公式プロフィール写真

「よこはま・たそがれ」は、完成した五木節ではなかった

1970年、三谷謙として挑んだ「全日本歌謡選手権」で10週を勝ち抜き、翌年から五木ひろしを名乗りました。
再出発曲「よこはま・たそがれ」は大ヒットします。

ところが本人は、その録音に長く満足していませんでした。
3回歌ったところで収録が終わり、これから自分の味を出そうと思った矢先だったからです。

後世から見れば、代表曲の歌い方こそ完成形に思えます。
歌った本人にとっては、まだ本気を出す前の声でした。
その作り込みすぎていない歌が広く受け入れられたことは、五木ひろしさんの出発点を象徴しています。

別の取材では、長年同じキーで歌い続けられた理由を、録音時に余計な味を付けようとしなかったことと結びつけています。
若い時に限界ぎりぎりの高さや強さで固定しなかったから、年齢を重ねても曲を自分の中で育てられたという考えです。

「うまく聞かせようとする前」の歌が代表曲になり、のちの歌手人生を支えた。
最初のヒットは、技を盛るより、声が曲の中で無理なく生きることの強さを教えました。

1975年、「千曲川」で自分の意思による二度目の声変わりが起きた

五木ひろしさんは約60年の歌手人生を、三つの声で歩んできたと説明しています。
松山まさるの自然な声、一条英一の作らされた声、クラブ経験から始まり現在へ続く自分の声です。

ただし、三つ目の声も1971年に完成したわけではありません。
1975年の「千曲川」で、地声をより生かし、リズムをはっきり意識する方向へ自分から切り替えました。

背景には、ラスベガスでの公演経験がありました。
日本の歌で重視される抑揚だけでなく、アメリカの楽曲にある明確なリズムを体で学び、その感覚を日本語の歌へ持ち帰ったのです。

ここから見えてくるのは、五木節が「演歌らしい節回し」の別名ではないことです。
日本語の情緒、クラブで覚えた小さな声、海外で意識したリズムが重なっています。
だから、演歌以外の曲を歌っても個性が消えません。

裏声は高音を逃げる場所ではなく、哀愁を残す出口になった

「細雪」や「長良川艶歌」の頃から、五木ひろしさんは裏声を意識して使うようになりました。
女性が主人公の歌に、やさしさや哀愁を加えるためでした。

本人が原点として挙げるのは、美空ひばりさんの地声と裏声の使い方です。
さらに都はるみさんから、男性歌手では珍しいほど裏声が魅力的だと指摘され、自分の持ち味として磨くようになりました。

専門用語で声区を細かく分類しなくても、考え方はつかめます。
力強い声のまま最後まで押し切らず、限界へ近づいたところで軽い声へ抜く。
その切り替えによって、音の高さだけでなく、言葉の切なさまで変わります。

長年の聴き手が注目してきたのも、この押し引きです。
強く歌えるのに強さを見せ続けず、弱くした瞬間の方を印象に残す。
五木ひろしさんの裏声は、声量を失った音ではなく、感情の焦点を近づける音なのです。

ステージでマイクを持って歌う五木ひろし

マイクを動かす手まで含めて、一つの発声になっている

五木ひろしさんは、マイクとの距離で自分自身をミキシングすると語っています。
声を出した後に音響担当者が整えるだけでなく、歌っている本人が音の近さと遠さを作る考え方です。

耳元でささやくように届けたい言葉では、声を近く感じさせる。
遠くへ投げたい言葉では、広がりを作る。
伸ばした音を急に切らず、消える寸前の余韻まで扱います。

ハンドマイクが一般的になるにつれ、この操作は歌唱の一部になりました。
地声、裏声、ビブラートだけを切り出しても、五木ひろしさんらしさを説明しきれない理由がここにあります。

声の強弱とマイクの距離が逆方向へ動く場面もあります。
強い声ほど少し離し、弱い声ほど近づけることで、聴こえる音量を大きく暴れさせずに表情だけを変えられます。
発声の巧さを、喉だけの技術に閉じ込めていないのです。

代表曲を並べると、同じ技術が違う人物を作っている

「よこはま・たそがれ」では、後年ほど技を前に出さない素直な声が、断片的な情景をつなぎます。
「千曲川」では地声の存在感とリズムが増し、大きな風景を進む歌になりました。

「細雪」では、地声から裏声へ抜ける動きが女性主人公の繊細さに結びつきます。
「長良川艶歌」では、力強さとやわらかさを同じ曲の中に置き、川の流れと人の情念を両立させました。

さらにカバー作品では、山下達郎さんやコブクロ、平原綾香さんなど、世代も作風も違う曲を歌っています。
本人は新しい歌の言葉と旋律の組み合わせに難しさを感じつつも、流行を知ろうとし続けてきました。

どの曲でも同じ声色に塗りつぶすのではありません。
小さく語る、地声で進む、裏声で抜く、余韻を残すという手持ちの動きを、物語に合わせて配分しています。

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真似るべきなのは「五木声」ではなく、出す音と引く音の選び方

五木ひろしさんのように喉をつぶそうとするのは、本人自身が納得できなかった失敗を繰り返すことになります。
鼻にかけた声、細かなビブラート、裏声だけを表面から似せても、曲の人物までは立ち上がりません。

参考にできるのは、すべての音を同じ大きさで歌わない姿勢です。
どの言葉を近くで語り、どこで地声を使い、どこを軽く抜くのか。
一曲の中に「前へ出る音」と「引く音」があると考えるだけでも、歌の見え方は変わります。

もう一つは、自分の録音を長い時間軸で比べることです。
五木ひろしさんは現在も公演や収録の歌を残し、膨大な自分の録音から過去の自分と向き合っています。
一回の成功より、同じ歌をどう更新するかを見ているのです。

五木ひろしの歌い方は、小さな声から始まった大きな表現だった

五木ひろしさんの発声は、力強い地声、独特の裏声、ビブラートのどれか一つでできたものではありません。
クラブで会話を邪魔せずに言葉を届ける必要から、小さな声にも存在感を持たせる方法が育ちました。

そこへ「千曲川」で意識したリズム、地声から裏声へ抜く技術、自分で音量を整えるマイク操作が加わります。
完成したのは、大きく歌う人ではなく、大きくも小さくも歌える人でした。

最も面白いのは、最初の代表曲が本人にとって未完成だったことです。
五木節は一曲で完成した型ではなく、失敗した声を捨て、仕事場で育て、何十年も録音を確認し続けた過程そのものです。

三つの声がどの時代に現れ、現在の歌唱へどうつながったのかは、五木ひろしの歌声の変遷で年代順にたどります。

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