MyGO!!!!!の「静降想」で、羊宮妃那は、以前なら叫んでいたはずの部分を、そう歌わないことにしました。
高松燈としては叫ぶ方がやりやすくても、この曲に感じた優しさや温かさには、別の声が必要だと考えたのです。
その判断は、声の勢いだけでは説明できない、羊宮の歌い方をよく表しています。
母音をどうつなぐか、気持ちをどこまで高めるか、どんな流れの中で一つのフレーズを歌うか。
本人の制作談から、声の選び方を見ていきます。
「静降想」―公式MV(2025年)
母音をつなぎ、サビでも盛り上げ過ぎない
2024年、MyGO!!!!!は『僕の心のヤバイやつ』とのコラボで、「恋してる自分すら愛せるんだ」をカバーしました。
羊宮は同作でも山田杏奈を演じていますが、この歌は、MyGO!!!!!の燈として歌うものでした。
そこで考えていたのが、その時点の燈なら、母音をつなげて、なめらかに歌えるだろうということです。
母音は「ア・イ・ウ・エ・オ」に当たる音です。
ことばを一つずつ強く放つだけでなく、その響きを次へつなげることも、本人が選ぶ表現になっていました。
サビだから必ず大きく気持ちを盛り上げる、という選択もしていません。
このカバーでは、燈の心情や、曲の中での歩みに合わせ、あえて抑えて歌ったと話しています。
声をどこまで広げるかも、その人物が今どこにいるかと結びついていました。
「恋してる自分すら愛せるんだ」―燈による公式「歌ってみた」(2024年)
原曲の歌手の息づかいを、そのまま借りるとは限らない
カバーでは、原曲らしく歌えたことが、そのまま採用につながるとは限りません。
2024年の取材で羊宮は、原曲の歌手に特有の言い回しや息の量が出ると、燈の歌としては合わない場合があると説明しています。
曲の魅力を受け取りながら、歌う人物の声として成立するかを確かめていました。
節回しが格好よく決まりすぎる時も、調整が必要になるそうです。
叫びの要素を残しつつ、以前とは違う表現も見せる。
技術的にうまく歌えることと、その時点の燈にふさわしいことは、別の基準として考えられています。
「恋してる自分すら愛せるんだ」も、原曲の歌唱と比べるなら、似ているところを探すだけでは足りません。
羊宮が説明する母音のつながりやサビの抑え方に耳を向けると、誰の視点から言葉が届けられるかという、カバーならではの聴きどころが見えてきます。
Aメロからサビまで、つながった気持ちで歌い直す
フレーズの表情は、その前にどんな気持ちで歌っていたかによっても変わります。
羊宮は、録音で歌い直す時にも、通して歌わせてもらうことが多いと説明しています。
Aメロからサビまでの物語がつながっている方が、自分には歌いやすいからでした。
2023年の取材で、共演する林鼓子も、羊宮は曲を一つの芝居のように組み立て、燈として歌うことを大事にしていると話しています。
小日向美香も、同じ燈の歌なのに曲ごとに声が違い、人物がまだしっかり声を出せない時期まで考えていることに驚いていました。
たとえば「壱雫空」のサビだけを切り離して、強い声の見本として捉えると、その前から続いてきた感情は見えにくくなります。
本人が通して歌いたいと考えるのは、一つの声を出す前の流れも、その声の一部だからなのでしょう。
羊宮の歌を考える時には、盛り上がる部分だけでなく、そこへ至ることばのつながりにも意味があります。
「壱雫空」―2023年発表の公式音源
ウィスパーの響きを残しながら、地声を加える

画像出典:写真掲載元
2026年のアルバム『致並跡』の取材では、声そのものの配分にも触れています。
羊宮は、燈の特徴の一つであるウィスパーをどこまで残し、地声をどれほど加えるか、毎回試しながら歌っていると話しました。
息を含んだささやくような響きと、本人が地声と呼ぶ声の使い方を、曲に合わせて考えています。
たとえば「騒混出」では、燈の成長を表すため、地声を多く使うようにしたそうです。
一方で、感情を高ぶらせすぎると、心の叫びが強くなりすぎるとも説明しています。
声に力を加えることと、気持ちを最大まで盛り上げることを、同じ選択にはしていません。
穏やかな「素寄曲」にも、細かな調整がありました。
最初はもっと波風を立てずに歌っていましたが、制作側から、もう少し感情を乗せてもよいと提案されています。
そこで、温かさの中にも、心の芯を感じられるような気持ちの入れ方を選びました。
静かに歌う曲でも、すべてを平らな調子でそろえるわけではありません。
柔らかい声のまま、言葉に意志を持たせる余地があります。
「騒混出」の地声の使い方と「素寄曲」の感情の調整は、声の強さと心の動きを別々に考える具体例です。
「静降想」では、叫びの代わりに、大切に扱う声へ
2025年の「静降想」のサビについて、羊宮は、以前なら「ああ」という声を叫びにしたと思う、と話しています。
今回は、大切なものの形を確かめるように歌うことを選びました。
曲から感じた優しさや切なさ、温かさを、燈の声へどう入れるかという判断です。
声の強さを引けば、歌の気持ちまで弱くなるとは限りません。
この場面で本人が残したかったのは、相手へぶつける勢いより、大切にしているものに触れる感覚でした。
叫べる場所で叫ばないことも、燈として歌う表現になっています。
リズムについても、ボーカルトレーナーと、弾む感じを意識する練習をしました。
小さな打楽器のシェイカーを振りながら歌い、その音には、雪が降り積もるような印象も感じていたそうです。
声の調子に加えて、曲の弾みも、練習の中で確かめていました。
また、2025年の取材では、燈の身振りや表情を演じながら歌うと、歌いづらさもあったと明かしています。
役としての動きを続けるだけでなく、歌唱の安定感を高めるため、地声を強化する練習も始めていました。
役としての身体の表現と、歌のパフォーマンスをどう両立させるか、さまざまな作品やステージを見て考えていると語っています。
声の表情、言葉のつながり、ステージでの動き。
それぞれを燈らしく見せながら、歌として届かせるために、表現と練習の両方を調整しています。
母音をつなげて歌うこと、前から続く気持ちの中でフレーズを作ること、叫びを選ばずに温かさを残すこと。
羊宮の歌い方には、一つの強い声を押し通す方法とは違う、ことばに合わせた細かな選択があります。
その声が、どんな気持ちから生まれ、どこへ向かうのかまでたどると、燈としての歌の作り方が見えてきます。
初期の叫びから、歌を受け取る「君」が見え、自分から会いに行く歌へ進んだ歩みは、羊宮妃那の歌唱変遷でたどっています。







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