hideの歌唱変遷|1文字ずつ探した声から、「HURRY GO ROUND」の仮歌まで

hide(ユニバーサル ミュージック掲載写真/撮影:HIDEO CANNO) hide
hide(ユニバーサル ミュージック掲載写真/撮影:HIDEO CANNO)

「DICE」を録音していた頃、hideと共同プロデューサーのI.N.A.は、1文字単位で歌のテイクを選んでいました。
まだ歌い方が固まっていなかった時期の、細かな試行錯誤でした。
一方、後の「HURRY GO ROUND」は、本人が残した仮歌のトラックをもとに完成しています。

同じ歌い手の作品にも、声を探しながら組み上げた歌と、完成前の録音が残された事情があります。
ソロ初期から1998年までを、その間のライブで見せた表情も含めてたどります。

「DICE」―1994年発表曲の公式MV

1993〜1994年、「DICE」の1文字まで歌を探す

X JAPANのギタリストとして活動していたhideは、1993年にソロデビューしました。
翌1994年には、最初のアルバム『HIDE YOUR FACE』を発表します。
この時点で、すでに歌手としての方法が決まっていたわけではありません。

I.N.A.は2018年の取材で、初期にはボーカルのスタイルが確立しておらず、録音した歌を細かく選んでいたと振り返っています。
「DICE」では、複数のテイクから使う箇所を1文字ずつ決めていました。
どの録音でどんな歌い方をしたか、覚えたうえで選び直す必要があったそうです。

その様子を伝えるのが、I.N.A.の著書に載せられた「DICE」の歌詞への書き込みです。
どのテイクを使うか記したメモでしたが、その1枚だけで選び終えたのではありません。
選別は何度も行われ、掲載されたものは、何枚もあったメモの一つでした。
一度歌ったものの良し悪しを決めるだけでなく、前の録音と次の録音を照らし合わせながら、曲の中で使いたい声を絞っていたのです。

I.N.A.が強調したのは、初期にはまだ歌のスタイルを探していた、という事情でした。
この細かさを、後の全作品に共通する録音方法と考えると、歌い手としての歩みを見落としてしまいます。
『HIDE YOUR FACE』の制作は、hideとI.N.A.が、歌を含めた作品の作り方を一緒に覚えていく時間でもありました。

最初のアルバムでは、担当の表記も「ボーカル」ではなく「ボイス」でした。
後年、I.N.A.はそのことを話し、歌うことへの照れもあったのではないかと振り返っています。
この心情はI.N.A.の見方ですが、最初から歌手としての姿を当然のものとしていたわけではない、という制作の話と重なります。

1996年、「ボーカル」と名乗る作品と、語りかけるライブ

hide(ユニバーサル ミュージック掲載写真/撮影:HIDEO CANNO)
hide(ユニバーサル ミュージック掲載写真/撮影:HIDEO CANNO)。
画像出典:写真掲載元

2枚目のアルバム『PSYENCE』は、1996年に発表されました。
I.N.A.によると、ここから担当の表記も「ボーカル」へ変わっています。
表記だけで発声の変化を決めることはできませんが、自分の歌を作品の中でどう位置づけるかを考えるうえで、興味深い違いです。

I.N.A.は、最初のアルバムで培ったものが、その後の制作につながったとも説明しています。
『PSYENCE』について、少人数で短い期間に密度の高い作品を作れたというhideの言葉が紹介されると、初作で二人とも成長したと応じていました。
一つひとつ選び直していた経験は、初期だけの苦労で終わらず、次の作品を作る際の蓄積になっていたのです。

この時期の声を考える時、「GOOD BYE」のような歌も欠かせません。
1996年のツアー「PSYENCE A GO GO」を映画化した制作陣は、この曲でのhideを、優しく語りかけるように歌っていると説明しています。
映画の中でも、顔をアップで捉えた、大切な場面として挙げていました。

「GOOD BYE」―1996年・国立代々木競技場第一体育館のライブ音源(MCを含む)

初期の録音で細かく声を探していた歌い手は、ライブでは、相手へ語りかけるような表情も見せていました。
強い声だけを取り上げると、こうした歌の幅は見えにくくなります。
「GOOD BYE」は、hideの歌を一つの激しさにまとめずに考えるための具体例です。

同じ1996年の公演を2016年に映画化した際には、I.N.A.が音響も作り直しています。
音楽だけでなく、MCや客席の歓声、拍手まで、場面に応じて組み立て直したと制作陣は説明しました。
舞台の歌と、それを囲む会場の空気を届け直す作業でした。
歌っているのは1996年のhideであり、映画の公開年の歌唱ではありません。
後年の映像で触れる声には、当時の表現と、それを今の視聴環境へ届ける工夫の両方が含まれています。

1998年、「HURRY GO ROUND」に残された仮歌

1998年の『Ja,Zoo』の頃には、初期の「DICE」ほど細かくテイクを選んではいなかったと、I.N.A.は話しています。
ただ、そのアルバムは、制作途中でhideが亡くなり、残された声やアイデアをもとに完成させることになりました。
本人が最後まで歌い方を選び終えた録音だけが、収められているわけではありません。

「HURRY GO ROUND」には、仮のボーカルトラックが残っていました。
I.N.A.は、その歌があったから曲を完成させられたと説明しています。
最終的な歌の収録を終える前の声が、残された曲を完成させるための大切な材料になりました。

「HURRY GO ROUND」―1998年発表曲の公式MV

同じアルバムに入る予定だった「子 ギャル」は、事情が異なります。
歌詞と伴奏はできていたものの、録音されていた歌は、まだ歌詞を乗せる前のデモでした。
そのため、1998年のアルバムには収められませんでした。
「HURRY GO ROUND」が完成した背景には、歌詞を歌った仮歌が残されていたという、具体的な違いがあったのです。

歌声合成の技術も使って「子 ギャル」を完成させ、発表に至ったのは2014年のことでした。
その時にも目指したのは、1998年の『Ja,Zoo』に入っていておかしくない作品だったといいます。
時間がたってから発表された曲も、その年にhideの歌い方が変わった結果とは限りません。
本人がどこまで録音していたのかを知ると、残された声の受け取り方が変わります。

後から発表された声にも、録音された時期がある

「HURRY GO ROUND」には、2018年の映画制作をきっかけに見つかった、別のボーカルテイクもあります。
さらに2024年の『REPSYCLE』では、そのテイクをもとにした再編集が行われました。
1998年に世に出た版だけが、本人の残した歌のすべてではなかったのです。
ただし、見つかったのは生前の録音であり、2018年や2024年の新しい歌唱ではありません。

「HURRY GO ROUND」―『REPSYCLE』版(2024年制作/生前の別テイクを使用)

『REPSYCLE』は、最初の3枚のアルバムの音をそろえるリマスターに加え、『Ja,Zoo』では楽曲の再構築も行った作品でした。
「HURRY GO ROUND」の別テイクを使った編集も、その一つです。
同じ曲の二つの版をたどるときには、歌い手の年齢差ではなく、どの歌を選び、どう作品へ仕上げたかに目を向けると、この違いを捉えやすくなります。

初期の「DICE」では、hide自身がI.N.A.とともに、使う歌を何度も選び直していました。
後年には、残された仲間たちが録音へ戻り、本人が届けようとした作品を形にしています。
その間には、初作の経験を次の制作へ生かし、ライブでは優しく語りかける表情も見せた、歌い手としての時間がありました。
hideの歌の変遷は、声が育つ歩みと、声を作品へ残す仕事を合わせてたどることで、より具体的に見えてきます。

曲ごとの声色や音程の動き、声を加工する発想については、hideの歌い方で取り上げています。

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