越智志帆の歌声はどう変わった?デビュー初期から休養・現在までの歌唱の変遷

Superfly越智志帆の歌唱の変遷 シンガー

Superflyの越智志帆さんは、デビュー当時から圧倒的な声量を持つ歌手でした。
それでも、現在まで同じ歌い方を守り続けてきたわけではありません。

最も大きく変わったのは、声の強さそのものより、強さとの付き合い方です。
初期は演奏に負けない声で前へ出て、2015年には自分の色をいったん手放し、休養後は小さな声から歌を作り直しました。

近年は、いつも最大の声を出すのではなく、曲の中で距離や温度を選んでいます。
歌唱の変遷を追うと、Superflyの歴史は「パワフルな歌手がさらに強くなった物語」ではなく、「強さだけでは届かないものを知った物語」に見えてきます。

2007年のデビュー期は、演奏に負けない声が武器だった

越智さんの大きな声は、完成された発声法を静かな部屋で身につけた結果ではありませんでした。
バンドを始めた頃、周囲の爆音に埋もれないよう歌ううちに、声量が育ったと本人は振り返っています。

2007年のデビュー曲「ハロー・ハロー」には、後のSuperflyにも残るロックやソウルへの憧れがすでにあります。
当時の中心にあったのは、声を遠くまで飛ばし、バンドの音を突き抜けて歌の存在を示すことでした。

初期のイメージを決定づけた「愛をこめて花束を」「Alright!!」「タマシイレボリューション」も、大きなサビを持つ曲です。
聴き手にとっては、その突破力こそがSuperflyらしさになりました。

しかし、武器として期待されるものは、ときに本人を縛る役割にもなります。
「Superflyなら最後は大きな声で歌う」という型が強くなるほど、別の表情を見せる余白は狭くなっていきました。

2012年の『Force』後、出し切った強さが空白を生んだ

4枚目のアルバム『Force』を完成させた後、越智さんの中には、すべてを出し切って空っぽになった感覚が残りました。
それまでは自分の内側にあるものを歌へ注ぎ、少人数の制作チームで完成度を高める方法が機能していました。

ところが、そのやり方を続けるだけでは次の作品へ進めなくなります。
ここで必要だったのは、さらに大きな声でも、さらに難しい高音でもありませんでした。

自分から新しい色を足すのではなく、いったん白くなり、他人の曲や感性に染まってみることが次の選択になります。
この発想が、2015年のアルバム『WHITE』へつながりました。

2015年の『WHITE』で、パワーボイスは一つの色になった

『WHITE』では、それまでの中心メンバーだけに閉じず、多くの作家や演奏家を迎えています。
越智さんは自分の色を押し通すより、渡された曲へ反応し、その曲が求める人物になって歌う立場を選びました。

この変化によって、Superflyの強い声が消えたわけではありません。
力強さが唯一の正解ではなくなり、柔らかさ、芝居がかった表情、軽さ、影のある声と並ぶ一つの選択肢になりました。

「Beautiful」は大きなサビを持つ曲ですが、『WHITE』全体では曲ごとに異なる色へ染まる姿勢が貫かれています。
歌手としての変化は、声量を減らしたことではなく、声量だけで自分を証明しなくてもよくなったことでした。

ただし、表現の幅が広がっても、体が強さの型から完全に自由になったわけではありません。
ロック曲や高音にパンチを加えようとすると、理想の太い声と現実の声の差を力で埋めようとする時期が続きました。

2016年の休養で、強い声をいったん手放した

2016年、越智さんは喉の不調により予定していた活動を休みました。
その後の記録で語られているのは、華やかな復活劇より、思うように声が出ない時間の長さです。

復帰へ向けた練習では、いきなり代表曲を全力で歌いませんでした。
セットリストをハミングで通し、声を少し動かしては休ませるところから積み上げています。

この時期を境に、強い声を出すことと、よい声で歌うことが切り離されていきます。
力を抜いた方が自然に響き、以前より高い音まで届くという発見は、初期の「爆音に勝つ声」と正反対でした。

2018年の「Bloom」は復帰後の作品です。
この頃の本人は、口の開き方や姿勢で声の表情が変わることを改めて研究し、リラックスした状態の方が豊かな声になると語っています。

休養は、単に元の声へ戻るための時間ではありませんでした。
大きさを失わずに、力へ頼らない歌い方へ移るための再出発になったのです。

2020年の『0』で、歌声の内側に本人の生活が入った

休養後に制作されたアルバム『0』では、越智さん自身がほぼすべての作詞・作曲を手がけました。
他人の色に染まった『WHITE』から、自分の感覚をもう一度言葉と曲にする段階へ進んだことになります。

本人は、この期間を通して感受性の通り道が開いたように感じたと話しています。
以前は「Superflyとして何を見せるか」が先に立つ場面でも、日常で感じた小さな揺れを、そのまま歌へ入れられるようになりました。

「フレア」は、以前のSuperflyを象徴する一直線のロック曲とは異なり、朝の風景に寄り添う温度を持つ作品です。
大きく歌える人が小さくなったのではなく、小さな感情も大きな歌と同じように扱えるようになった時期だと考える方が自然です。

2023年の再延期は、変化が一度で完成しないことを示した

2023年には再び喉の変調が公表され、予定されていたアリーナツアーが延期されました。
一度休養して歌い方を作り直せば、二度と揺らがないという単純な話ではなかったのです。

治療と療養の期間にも、新曲「Ashes」の制作は進みました。
そこで描かれたのは、きれいに立ち直った人の余裕ではなく、思い通りにならない現状の中で、それでも進もうとする感情でした。

歌声の変遷を、技術の向上だけで見ると、この時期は後退に見えるかもしれません。
しかし実際には、不安や焦りを隠して以前の強さへ戻るのではなく、揺れている自分も作品へ入れる方向へ進んでいます。

2024年に延期公演を実現した時、越智さんはライブ中に体から解放されたような、ストレスのない瞬間へ初めて届いたと振り返りました。
デビューから長く求めていた自由は、強さを証明し続けた先ではなく、強さへ戻ろうとする力を手放した先にありました。

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2024年の「Charade」から、声色を場面ごとに選ぶ現在へ

「Charade」では、AメロとBメロに空気を含む広い声を置き、サビでは低い成分を感じる引き締まった声へ変える意図が語られています。
導入に置いた公式MVは、現在の越智さんが一つの曲の中で複数の距離を使う姿を確認する材料です。

初期は、大きな声がそのまま主人公でした。
現在は、近くで語る声、少し離れて響く声、強く輪郭を作る声が、曲の登場人物に合わせて選ばれています。

2025年の初カバーアルバム『Amazing』では、演奏の多くを信頼するミュージシャンへ任せ、本人は曲を理解して歌うことに集中しました。
原曲へ自分の個性をかぶせるより、自分の経験と曲の接点を探す時間に重きが置かれています。

声の大きさを足し算するのではなく、その曲に不要な力を引いていくことが、現在の歌唱を支えています。
越智志帆という歌手の個性は、どの曲もSuperfly色に塗ることから、どの曲の中にも自分の経験を見つけられることへ変わりました。

変わらないのは、言葉を相手へ届けようとする姿勢

歌い方が変わっても、初期から残るものがあります。
それは、大きな声そのものではなく、歌詞が聞こえ、相手へ届く状態を作ろうとする姿勢です。

爆音の中で歌っていた頃は、声量が言葉を運ぶ方法でした。
『WHITE』では他人の曲へ染まることで言葉の人物像を広げ、休養後は力を抜くことで細かな感情まで運べるようになりました。

現在は、感情をそのまま叫ぶだけでなく、体で感じたものを言葉にし、曲ごとに声の距離を選んでいます。
方法は変わっても、「自分が出したい声」より「この歌をどう届けるか」を考え続けている点は一貫しています。

高音の仕組みや、太い声を安全に参考にする方法は、越智志帆の高音と発声の分析で詳しく整理しています。

越智志帆の歌声は、強さを証明する声から曲を生かす声へ変わった

越智志帆さんの歌声は、初期の力強さを失ったのではありません。
演奏に勝つために育った声を持ちながら、その声だけに頼らない方法を長い時間をかけて増やしてきました。

2015年の『WHITE』では自分の色をいったん手放し、2016年の休養後はハミングから声を作り直しました。
2020年の『0』では本人の生活感覚が作品へ入り、2023年の不調を経た後は、揺らぎも隠さず歌へ変えています。

現在の強さは、いつでも最大音量を出せることではありません。
大きな声、柔らかな声、空気を含む声、引き締まった声の中から、その曲に必要な一つを選べることです。

Superflyの歌唱の変遷は、パワーボイスを捨てた歴史でも、昔の声へ戻った歴史でもありません。
自分の最大の武器を、必要な時だけ使える表現へ変えていった歴史です。

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