布袋寅泰の歌声の変遷|歌に自信がなかったギタリストが、自分の声を選ぶまで

2025年のGUITARHYTHM VIII取材掲載写真の布袋寅泰 シンガー
2025年のGUITARHYTHM VIII取材掲載写真の布袋寅泰

布袋寅泰にとって、ギターは自信を持って差し出せる武器でした。
けれども、歌まで最初から同じように信じられたわけではありません。
ソロで舞台の中央に立ち、自分の声で観客を楽しませることは、ギタリストとしての成功とは別の課題だったのです。

その人が、歌うことを楽しみ、優しい曲を届け、やがて声も自分の音の一つだと言えるようになる。
布袋の変遷を追うと、技術の上達だけでは説明しきれない、歌い手としての自信の育ち方が見えてきます。

『GUITARHYTHM』で、ギターの隣に自分の声を置く

2016年、活動35周年の取材掲載写真の布袋寅泰
2016年、活動35周年の取材掲載写真の布袋寅泰。
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BOØWYではギタリストとして活動した布袋は、1988年に『GUITARHYTHM』でソロデビューしました。
ロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音されたこの作品は、英語で歌う出発点でもありました。
バンドで知られた自分を、そのまま別の場所へ移すだけの独立ではありません。
曲を作り、音を組み立て、その中心で歌うことまで引き受けたのです。

後年の回想では、世界へ届けようと全編英語に挑み、想像以上の難しさを感じたことを明かしています。
デモやコーラスとは、一枚の作品を自分の歌で届ける重みが違いました。
親しんできた洋楽の世界へ近づくために選んだ言葉が、歌う本人には新しい壁にもなっていたのです。

初めて舞台中央のマイクに向かったときには、自分が小さくなったように感じたと振り返っています。
さらに『GUITARHYTHM II』のツアーでは、音作りへの関心に比べて、声や言葉を十分に生かせていないと気づきました。

ツアーを重ね、「さらば青春の光」に気持ちが乗るまで

『GUITARHYTHM III』では観客と熱狂できる音を追求し、ツアーで歌う楽しさが増していきます。
『GUITARHYTHM IV』の頃には、「さらば青春の光」に気持ちを乗せられるようになったといいます。

この話で大事なのは、声が別人のようになったという説明ではないことです。
曲の世界を完成させようとしていた人が、舞台で人と向き合い、歌に自分の気持ちを託せるようになった。
同じ声でも、歌い手が何を担わせようとしているかが変われば、作品の意味は変わります。
聴き手にとっての「布袋らしい歌」は、完成した音源だけでなく、その後の舞台の経験からも育ってきたのでしょう。

『IV』の制作期には、英国のスタジオに滞在し、小さな机で「SURRENDER」や「薔薇と雨」の詞を書いていました。
当時は東京でもホテル暮らしで、後に本人は、この作品に孤独を表す言葉が多い理由を、その生活と結びつけています。
人前で歌う楽しさが育つ一方で、一人で過ごす時間も歌の中へ入っていた。
聴き手を盛り上げる声と、内面を言葉にする声の両方が、ソロの布袋を形作っていたのです。

強さを示す歌から、感謝して歌える時間へ

活動25周年の頃の『ALL TIME SUPER BEST』では、自分を見つめ直す機会が訪れます。
本人はギターを黒帯、歌をまだその手前になぞらえながら、以前より優しい気持ちで音楽に向き合えたと話しました。
自分の音を強く突きつける気持ちから、歌やギターを愛し続けてくれた人への感謝へ。
その違いが、自分の心を柔らかくしたのです。

同作には「さらば青春の光」のアンプラグド版や、オーケストラと組んだ「LONELY★WILD」が収められています。
既に知られた曲を別の編成へ置くことは、歌のどこに重心を置くかを考え直す機会にもなります。
速く鋭いビートに負けないことだけが、自分らしさではなくなっていく。
昔の曲を残したまま、今の自分の気持ちで歌い直せることが、活動を重ねた歌手の強みになりました。

洋楽カバーで、歌って初めて分かった曲の世界

2009年の『MODERN TIMES ROCK'N'ROLL』では、憧れてきた洋楽に、演奏する側として改めて向き合いました。
「悪魔を憐れむ歌」や「テレグラム・サム」は、実際に歌ってみて曲の世界が分かったと話しています。
ギターのフレーズを知っていることと、その言葉を自分の声で引き受けることには違いがあったのです。

この制作では、福富幸宏に共同プロデュースを委ねました。
録り直してみても最初のテイクのほうがよい、と気づくこともあったそうです。
本人が見直したかったのは、整え続けるうちに音楽の勢いまで遠ざけてしまうことでした。
録音で何を足すかを考えるだけでなく、既に出た表現をどう信じるか。
歌を含む自分の演奏を、他人の判断にも預けて楽しめる余白が広がっていました。

海外でギターを選び直した後、日本語の歌へ戻る

Paradox取材での布袋寅泰(右)
Paradox取材での布袋寅泰(右)。
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ロンドンを拠点にするようになってからも、歌とギターの関係を問い直しています。
2015年の『Strangers』では、気持ちを十分に乗せて英語で歌う難しさから、歌の一部を客演者に託し、自分はギターに集中しました。
もっとも、客演者のいない公演では自分で英語も歌っており、歌う役割そのものを手放したわけではありません。

2017年の『Paradox』で日本語へ戻る背景には、海外でも「バンビーナ」などが喜ばれた経験がありました。
共演したズッケロからも、母国語や日本人としての感覚を大切にするよう励まされています。
海外へ向かうなら英語でなければ、という構えがほどけ、目の前の現実を自分の言葉で伝えようとしたのです。

初期の英語への挑戦と、この日本語への帰還は、向かう方向こそ違います。
けれども、どちらも自分の音楽をどう届けるかという試行錯誤でした。
歌の可能性は、使える言語を増やすことだけで広がるのではない。
自分が何を伝えたいのかに戻ることで、改めて選び直せる言葉もあります。

一人で録る歌と、身近な人へ語りかける歌

2021年のEP『Pegasus』では、歌の録音も、アコースティックギターのマイク設置も自分で行いました。
よいテイクが録れても誰からも反応が返らない孤独がある一方、一人だからこそ個人的な音や言葉を作れたと話しています。
「10年前の今日のこと」は、歩んだ時間を静かに見つめる曲として、その自宅録音から生まれました。

続く2022年の『Still Dreamin’』では、長く一緒に歩いてきた人に語りかける「コキア」が入りました。
本人が込めたのは、感謝だけで立ち止まらず、そこからもう一歩を共に歩く気持ちです。
作品全体でも、朝から聴いて元気になれる音楽を作りたいという、新しい動機があったと述べています。

かつての布袋が、歌いながら観客を熱狂させることを覚えていったとすれば、この時期には日常の隣にいる人へ届く歌も加わっています。
その距離感は、大勢に向けた強い声を否定するものではありません。
ステージの中心で歌えるようになったからこそ、そこから離れた静かな時間も、自分の作品に持ち込めるようになったと考えられます。

コキア――THE FIRST TAKE(2021年)

弱点だと思った声も、いまは自分の音の一つ

2025年、布袋は初めの頃には歌が弱点だと思っていたことを明かしました。
それが次第に、この声にしか伝えられないものがあると感じられるようになり、声もギターと同じく自分の音の一つだと考えるようになったのです。
完璧さより、気持ちがこもっているかを大切にする姿勢です。

同年の『GUITARHYTHM VIII』では、森雪之丞の望みに応え、「No More Killing」のメッセージもその声で届けています。

布袋の歌声の変遷は、ギタリストを卒業して歌手になった物語ではありません。
ギターを弾く自分と、歌う自分の両方を抱えながら、声の使い道と伝える相手を広げてきた歩みです。
その違いが具体的な曲でどう表れるかは、布袋寅泰の歌い方でも掘り下げています。
自分が弱点だと思っていた音を、聴き手に差し出せる音へ変えていく。
そこに、長く歌い続けてきた布袋ならではの変化があります。

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