山下達郎さんの歌声には、夏の空気のような明るさがあります。
高音は軽やかに抜けるのに、細く頼りない声には聞こえません。
この声を理解する手がかりは、意外にも「高音を鍛えて名歌手になった」という物語ではありません。
本人によれば、アマチュアバンドで裏声を出せたのが自分だけだったため、リードボーカルを任されたそうです。
つまり、ファルセットは後から加えた必殺技ではなく、山下達郎を歌手にした入口でした。
そこからコーラス、リズム・アンド・ブルース、言葉の扱いが重なり、あの一声で分かる歌唱へ育っていったのです。
裏声を出せたから、リードボーカルになった
若い頃の山下さんは、最初から自分を優れた歌手だと思っていたわけではありません。
本人の説明では、当時のバンドでは楽器が得意ではない人が歌を担当することもあり、自分はドラムを叩きながら歌っていました。
ただし、仲間が好んだビーチ・ボーイズの曲には裏声が欠かせません。
メンバーの中でそれを出せた山下さんが、自然に主旋律を担うようになりました。
この順序は重要です。
山下さんの高音は、低い地声を力で持ち上げた末に獲得したものではなく、地声と裏声の両方が最初から音楽の中にありました。
白人のリズム・アンド・ブルースやコーラスグループをコピーするうちに現在の声になった、という本人の言葉も残っています。
技術名から声を作ったのではなく、好きな音楽を再現しようとした結果、発声の使い分けが育ったのです。
「息が多いのに音が出る」という不思議
山下さんの声を研究してきた歌手からは、「息が多いのに音が出る」という表現が出ています。
この言葉は、声の明るさと強さが同居する理由をよく表しています。
息の成分が増えると、一般には声の輪郭がぼやけやすくなります。
ところが山下さんの場合、やわらかな空気感を残しても、音程と言葉の中心が消えません。
反対に、芯だけを強くすると、声は硬く、押しつけるように聞こえます。
山下さんは声の中心を保ちながら、その周りに息のやわらかさをまとわせています。
そのため、高音が鋭い刃のように突き刺さらず、明るい光のように広がります。
「息声」と「強い声」を別々のものにせず、一つの音の中で両立させているのが大きな特徴です。
明るさは、鼻声だけでは説明できない
山下さんの歌声は、鼻の周辺へ集まるような響きや、少し金属的な抜けを持つと説明されることがあります。
確かに、その響きは声を前へ運び、演奏の中で言葉を見失わせない働きをしています。
ただし、「鼻にかければ山下達郎らしくなる」と考えると、かえって遠ざかります。
鼻声だけを作ると、母音が狭くなり、こもった声になりやすいからです。

山下さんの声には、鼻に近い明るさだけでなく、地声にも裏声にも残る丸い芯があります。
声が上へ抜けても、言葉の土台は口の中から失われません。
鼻腔共鳴と鼻声の違いを知ると、響きを前へ集めることと、鼻だけで鳴らすことが別だと分かりやすくなります。
一人アカペラが、主旋律の後ろまで鍛えた
山下達郎の歌を主旋律だけで捉えると、声の半分しか見えてきません。
1980年の一人アカペラ作品では、何層もの声を自分で録音し、低いパートから高いファルセットまで一人で組み上げました。
そこで必要なのは、最高音を出す力よりも、音程、母音、声の長さを揃える精度です。
一つのパートが派手でも、他の声とぶつかれば和音は濁ります。
このコーラス感覚は、ソロの歌にも表れます。
山下さんの主旋律は前へ出ていますが、伴奏やバックコーラスの居場所を奪いません。
長く伸ばすところと短く切るところが明確で、声そのものがリズム隊の一部として動きます。
高音が爽やかに聞こえるのは、音色だけでなく、音を置く時間が整理されているからでもあります。
「山下節」は、母音をただ伸ばさない
山下さんの歌い方には、一言を聞いただけで本人だと分かる独特の癖があります。
その正体は、しゃくりやビブラート一つではありません。
複数の発声分析で共通して注目されているのが、子音から母音へ入る瞬間と、語尾の切り方です。
言葉を滑らかにつなぎながら、特定の母音を少し揺らしたり、同じ母音をもう一度置くように聞かせたりします。
一方、語尾はどこまでも流さず、早めに切って次のリズムへ場所を渡します。
ねっとりした歌い回しと、歯切れのよさが同じフレーズにあるのです。

この言葉の細工があるため、同じ高さをまっすぐ歌うだけでは出ない表情が生まれます。
山下さんらしさは声質だけでなく、日本語をリズムへ乗せる独自の編集方法にあります。
「悲しみのJODY」は、裏声を脇役にしなかった
ファルセットは、苦しい高音を逃がすための声だと思われがちです。
しかし山下さんは、1983年の「悲しみのJODY」で、ほぼ全体をファルセットで歌うほど大胆に裏声を主役へ置きました。
それでも曲が弱々しく聞こえないのは、裏声にも音の芯があり、言葉とリズムが崩れないからです。
高音だけ一瞬裏返すのではなく、裏声の音色で一曲の世界を保ちます。
この使い方を見ると、地声と裏声の優劣を決めることが無意味だと分かります。
必要な音色を選び、その声のまま歌を成立させられるかが大切です。
ミックスボイスと裏声の違いでも、声の名前より、音程・言葉・音量を保てるかという見方を解説しています。
山下達郎を真似するなら、声の高さより背景を聞く
山下さんの声へ近づこうとして、最初から鼻にかけた高音や強いファルセットを作る必要はありません。
表面の音色だけを追うと、喉や鼻へ力を集め、本人とは逆の窮屈な声になりやすいからです。
参考にしたいのは、一つの声を主役にも脇役にもできる感覚です。
主旋律を歌う時も、伴奏とコーラスの隙間を聞き、語尾を伸ばしすぎず、次の音へ場所を残します。
また、裏声を「高音が出ない時の代用品」にしないことも大切です。
小さな音量でも音程と言葉を保ち、一つの音色として育てると、地声との行き来が滑らかになります。
小田和正さんの透明な高音と比べると、同じように軽く聞こえる男性高音でも、コーラスの置き方や言葉のリズムが違うことが見えてきます。
痛み、強いかすれ、話し声の異常が出た時は練習を止めてください。
不調が続く場合は、耳鼻咽喉科などの専門機関へ相談しましょう。
山下達郎の歌声は、裏声から始まった総合楽器
山下達郎さんは、裏声を出せたからリードボーカルになりました。
その偶然のような出発点が、コーラス、R&B、ドゥー・ワップ、一人多重録音を通して、地声からファルセットまで切れ目の少ない歌へ育ちました。
明るい響きだけでも、息の多さだけでも、あの声は説明できません。
息の中に音を残し、主旋律の後ろにある和音とリズムまで考えるから、軽い高音が長く耳に残ります。
山下達郎の声は、生まれつき高い声の持ち主がそのまま歌った結果ではありません。
好きな音楽を何度も重ね、声を一人分ではなく、バンド全体を組み立てる楽器として磨いた結果なのです。






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