キュウソネコカミのヤマサキセイヤは、かつて声が潰れることを前提にするような歌い方だったと明かしている。
2015年にはボイストレーニングへ通い、声が潰れにくくなったと話していた。
その後も絶叫は歌の大切な部分に残ったが、強く声を出す理由や、静かに歌う曲の作り方は広がっていく。
「春になっても」「冷めない夢」「ひと言」をたどると、激しさを保ちながら歌い続けるために、何を変えてきたのかが見えてくる。
「ビビった」公式MV(2014年)
初期の歌は、客席の反応とともに形になった
2014年にメジャーへ進んだキュウソネコカミにとって、「ビビった」は後々までライブの中心に残る曲となった。
当時から歌の勢いを支えていたのは、歌い手が一方的に大きな声を出すことだけではない。
自分たちの言いたいことを、観客も一緒に口にする関係が育っていた。
2015年のインタビューで、ヨコタシンノスケは、初期曲「DQNなりたい、40代で死にたい」も、最初から客席との掛け合いを目的にした曲ではなかったと話している。
観客が自然に歌うようになったことで、口にしやすい言い方や、反応の返ってくる箇所が分かってきた。
ヤマサキも、スタジオで自ら体を動かして確かめ、ライブで反応を見て修正する過程を語っている。
言葉の強さに、客席が参加できる形を与えていく試行錯誤だった。

写真出典:Billboard JAPANの2014年記事
2015年「春になっても」――声を守り、聴かれる場所を広げる
『人生はまだまだ続く』に入った「春になっても」では、身近な音楽仲間が歌の変化に気づいた。
ミソッカスのデストロイはるきちは、本人との対談で、初めて聴いた時には誰が歌っているのかと思ったほど、いつもと違う歌だったと話している。
ヤマサキがその理由として挙げたのが、ボイストレーニングだった。
以前の歌い方は、声が潰れることを織り込んだようなものになり、それがつらくなっていたという。
喉を痛めて活動できなくなるバンドを見て、自分はメンバーに迷惑をかけたくないと考えた。
そこで通い始めたトレーニングによって、声が潰れにくくなったと本人は説明している。
目の前の一公演で出し切るだけでなく、その後もバンドを動かしていける声が必要になっていた。
一方、はるきちは、完璧ではないところも含めた歌の魅力を残してほしいと話した。
ヤマサキはライブでは従来の自分もいると返しつつ、音源は家や車で聴かれ、街でも流れてほしいから、きちんと歌いたいと答えている。
すでに好きでいてくれる人だけで満足せず、聴き手を増やすための選択でもあった。
歌の整え方を、届く場所まで含めて考えるようになっていたのである。
バンドの曲作りにも新しい方法が加わった。
「春になっても」はヨコタが中心となり、鍵盤を主体に、そこへギターを乗せる形を試している。
普段はギターが担う伴奏やフレーズを鍵盤が受け持つなど、楽器の役割にも変化があった。
歌い手の準備と、歌を受け止めるアンサンブルの両方を広げた一曲だった。
2016年「わかってんだよ」――自分の行き詰まりを歌の中心へ
翌年の「わかってんだよ」は、映画『14の夜』の主題歌として生まれた。
当時ヤマサキは、次のシングルの表題曲にしたかった案をメンバーやレコード会社から認められず、曲を書けなくなっていたという。
メジャーで次の段階へ進まなければならないという空気の中で、自分の案が通らなくなったことに傷ついていた。
その時に届いた脚本の主人公は、周囲の友人の変化に置いていかれ、自分の立場が下がっていく少年だった。
ヤマサキはそこへ自身の状況を重ね、歌詞を書いた。
ヨコタが受け止めたのも、面白い曲や誰かを批判する曲という従来のイメージを越えて、本人の現状をさらけ出す歌だった。
この曲は、ライブの締め方にも新しい選択肢を与えた。
ソゴウタイスケは、にぎやかな曲を重ねた後でも、最後に置けばライブを締められる曲ができたと話している。
会場を盛り上げる力に加え、うまくいかない自分を正面から届けて、観客の気持ちをつかむ役割が生まれた。
バンドにとっては、自分たちらしいバラードに近い役割を担える歌でもあった。
2020年「冷めない夢」――絶叫に込めるものを決める
結成10周年の時期に発表した『ハリネズミズム』では、「冷めない夢」がバンド自身のあり方を歌う曲になった。
ヤマサキは、それまで夢や目標を語ってこなかったが、10年を経て、追い続けたいものがキュウソネコカミそのものだと気づいたと話している。
バンドの外に別の到達点を置くのではなく、この活動へ挑み続けることを歌にした。
制作への向き合い方にも変化があった。
以前は曲に神経質になりすぎて苦しかったが、自由に取り組んだ2018年の『ギリ平成』で、音楽を楽しむ大切さを再確認したという。
その感覚をメンバーと共有できた状態で、『ハリネズミズム』の制作に入っていた。

写真出典:タウンワークマガジンの2020年取材
「冷めない夢」の終盤の絶叫について、本人は、何度も録り直せないため一度で決めるつもりで集中したと説明している。
歌い続けるために声の扱いを見直した後も、強い声を作品から取り除いたわけではなかった。
大切なのは、バンドを追い続けるという思いを、ここで歌い切ることだった。
初期の勢いをそのまま再現するだけでは説明できない、歌う目的のはっきりした絶叫である。
2023年、不安を叫ぶ曲と、言葉を静かに残す曲
『私飽きぬ私』の表題曲は、活動を続ける不安が形になったものだった。
コロナ禍では、ライブで新曲を披露しても従来のように観客と声を交わせず、何度か演奏した曲がセットリストから落ちることも続いたという。
カワクボタクロウのライブ活動休止も重なり、バンドを休止するか、4人で続けるかという局面にも立った。
ヤマサキは、そんな状態では前向きな応援歌も素直に受け取れなかったと話す。
そこで表題曲では、自分の不安を声に出して吹き飛ばしたいという気持ちを込めた。
新曲が定着しにくかった時期を経て、本人がこの先も演奏していけると感じた歌になったのである。
2016年に自分の弱さを表へ出した先で、今度は活動そのものの不安を抱えたまま歌おうとしていた。
同じアルバムの「ひと言」は、別の方法で言葉を届ける曲だった。
言葉が人を傷つける重さを扱い、神戸新聞の取材では、抑えた曲調で淡々と歌う作品として紹介されている。
ヤマサキによれば、当初は弾き語りとして作ったため、バンドの曲にするまでに苦労したという。
ヨコタは、普段なら各メンバーがやりたいことを持ち寄るが、この曲では音を減らしながら互いに確認して作ったと説明している。
静かな歌を成立させるために、歌い手だけでなくバンド全体が演奏の足し引きを変えていた。
不安を強く叫ぶ「私飽きぬ私」と、言葉を抑えて届ける「ひと言」。
両方を同じ作品に収められることが、この時期の歌の幅を示している。
2024年「ネコカミたい」――10年前の歌へ、今の自分たちから返事をする
メジャーデビュー10周年に発表した「ネコカミたい」は、「ビビった」への応答として作られた。
ヤマサキは、昔の歌詞が少しずつ古くなっていると感じ、10年後の自分たちが何を思っているかを歌いたかったという。
バンド内でも、どこまで元の曲へ似せるかを話し合った。
ヨコタによると、掛け声の部分は録音直前まで迷った末に残し、ライブでは観客が元の曲と同じように反応した。
ここで歌を届けたい相手は、今会場にいる観客だけではない。
本人が思い浮かべたのは、かつて一瞬でもキュウソネコカミに関わった人たちであり、すでにライブへ来なくなった人も含まれる。
昔の曲で作った参加しやすさを残しながら、その言葉を、別々の日々を過ごしてきた聴き手へ向け直したのである。
喉の負担を見直した2015年から、自分の弱さや夢をさらけ出す歌、音を減らして言葉を届ける歌へ。
ヤマサキの変遷には、声の使い方と、歌が必要とされる場面の広がりが重なっている。
長く続けたからこそ歌える相手や内容が増え、それに合わせて、何を強く響かせるかも選び直してきた。
声と言葉の届け方をさらに掘り下げた記事は、ヤマサキセイヤの歌い方でまとめている。

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