平松愛理の歌声はどう変わった?「部屋とYシャツと私」を半音下げて歌い続ける理由

平松愛理・35周年取材時のポートレート シンガー

「部屋とYシャツと私」の昔の録音とライブを比べて、声が低くなったのだろうかと思った人もいるかもしれません。
実は平松愛理自身が、CDとステージではキーが半音違うと明かしています。
その変更は、ヒットした1992年頃のこと。
年齢を重ねるたびに下げてきたのではなく、長く歌うための高さを早い時期に選び直したのです。

一方で、同じ歌を歌い続ける間にも、歌に向き合う方法は変わってきました。
歌詞の登場人物にその後の人生を与え、自宅では歌が生まれた心境に合わせて録音し、代表曲を若い作り手の編曲でも歌う。
半音の理由からたどると、昔の録音を守ることと、今の自分で歌うことを両立させてきた歩みが見えてきます。

「部屋とYシャツと私」――1992年シングルのMV。

1990年――一度きりのつもりで録音した「部屋とYシャツと私」

平松は1989年、「青春のアルバム」でソロデビューしました。
しかし、その前には、自作曲が採用されないまま進むソロ企画を断り、所属事務所を離れた時期もありました。
アルバイトをしながら曲を書き、レコード会社へ持ち込む日々を経て、自分の作品を歌う道を開いたのです。
後に代表曲となる歌も、最初から周囲がヒットを確信していたわけではありません。

「部屋とYシャツと私」が最初に収められたのは、1990年のアルバム『MY DEAR』。
友人の結婚に向けて作った曲で、結婚後の暮らしについて既婚者にも話を聞いていました。
幸せな未来を夢見るだけでなく、夫婦の間に起こりそうなことまで盛り込んだ長い歌です。
当初はシングルではなく、アルバムの中だからこそ発表できる曲と考えていました。

録音にも、後の人気からは想像しにくい事情がありました。
2025年の取材によると、本人はキーをAからA♭へ下げたかったものの、その希望は通りませんでした。
周囲の反対を押して収録する曲で、再び歌う機会もないかもしれない。
そう考え、直前には大橋純子の高い曲を歌って準備し、ともかくその日に声を出そうと録音に臨んだといいます。

「部屋とYシャツと私」――『MY DEAR』(1990年)収録音源。

ここを知ると、原盤の高さの意味が変わります。
何十年もライブで歌うことを想定した設定というより、まず一つの作品として録音を成立させた高さだったのです。
後年のステージと違う理由を考えるには、若い頃の声だけでなく、この曲がアルバムの一曲から代表曲へ変わった経緯も欠かせません。

1992年のヒット後――一曲の高音より、公演全体を歌えるキーを選ぶ

1992年にシングルとして発売されると、「部屋とYシャツと私」は広く知られる曲になりました。
一度録音すれば終わると思っていた歌を、今度は人前で繰り返し歌うことになります。
平松はレコード大賞の作詞賞を受けた頃から、原盤より半音低いA♭で歌い始めました。

理由は、この一曲だけでは説明できません。
本人によると、CDのキーに合わせると、ライブで他の曲の低い音が出しにくくなったのです。
そこで当初から希望していたキーに戻し、その後はさらに下げず、同じ高さで歌っていると2025年に語っています。
代表曲の高音を出すことと、ほかの曲も含めて一つの公演を届けること。
その両方を考えた選択でした。

2015年の25周年公演でも、「部屋とYシャツと私」は「月のランプ」や「戻れない道」、ヒット曲のメドレーなどとともに歌われています。
東京公演を収めたライブDVDは2016年発売。
録音から年月を経た声を聴くときにも、この曲だけで完結しないステージの流れがあることを覚えておきたいところです。

高い音を原盤と同じように出せるかどうかだけでは、歌い続けるための工夫を見落としてしまいます。
平松が選んだ半音は、もともとの希望でもあり、一晩の歌を組み立てるための調整でもありました。
その選択を続けながら、次には同じメロディーで語る人物の時間を動かしていきます。

2019年――半年以上をかけて、歌の夫婦の「その後」を書く

デビュー30周年に発表した「部屋とYシャツと私~あれから~」は、原曲の夫婦が年月を重ねた後を描く続編です。
二人はその後どうなったのかという声は以前から届いていましたが、平松は何度も制作を断っていました。
多くの人が自分の思い出とともに覚えている歌に、作者が続きを与える。
簡単に引き受けられる仕事ではなかったのです。

30周年を機に取り組んだときも、元の歌の世界を壊さず、さらに先へ進めたいという難しさがありました。
ラジオ出演時には、その制作が体に痛みを感じるほど苦しかったことを明かしています。
原曲の制作に約2か月かかったのに対し、続編には半年以上。
よく知られたメロディーがあっても、歌う言葉はすぐには決まりませんでした。

その作業を支えたのは、今回も身近な人への取材です。
結婚して20~30年になる友人たちに話を聞き、夫婦が長く暮らしたからこそ抱く思いを探りました。
両親や子どもをめぐることも歌の中へ入ってきます。
結婚前に未来を思い描いた女性が、今度は実際に積み重なった生活の中から夫に語りかける。
同じ旋律でも、平松が歌で表す人物の立場が変わったのです。

平松愛理・2019年ユニバーサルミュージック掲載写真
2019年、続編発表時の平松愛理。
画像:公式掲載元。

2019年9月の30周年記念ライブでは、原曲を序盤に歌い、後半で続編を披露しました。
続編の前には、同世代への取材や制作にかけた時間も客席へ伝えています。
新しい歌ができたからといって、若い頃の二人の言葉が不要になるわけではない。
一つの公演で両方を歌うことで、結婚前の願いと、長く暮らした後の思いを行き来できる形にしました。

発売記念イベントを取材した日刊スポーツの記者は、新曲を歌い始めると目を潤ませる40~50代の観客がいたと記しています。
歌手だけでなく、聴き手も時間を重ねている。
平松の変遷には、昔の歌を懐かしむ人へ、その人の現在にも重なる言葉を届け直す試みがあるのです。

2021年――「BLUE MOON」は、歌が生まれた部屋で声にする

代表曲の続編の次に、別の形で現在の心境が歌になったのが「BLUE MOON」です。
コロナ禍の2020年、月に心を動かされた体験から生まれ、2021年に配信されました。
閉じこもって気持ちが挫けそうになる一方で、外の世界へ意識を向け、自分を励まそうとする。
その二つが同居する曲として、公式の作品紹介でも説明されています。

平松はこの歌を、自宅のベッド脇にマイクを立て、明け方の4時頃に録音したと話しています。
歌詞を書いたときの心境や、自室から見た景色に合わせるためでした。
歌の内容を頭で思い出すだけでなく、どこで、どんな時間に声にするかまで選んだのです。

「部屋とYシャツと私」の初録音では、その日に必要な高さの声を出すことが差し迫った課題でした。
「BLUE MOON」では、歌が生まれた感情へ戻れる場所と時間を自分で用意しています。
どちらも録音ですが、そこへ入っていく方法は同じではありません。
歌詞を作る人と歌う人が一人であることを、録音の準備にも生かした例といえます。

この曲はライブで披露した後、音源化を望む声を受けて発売されました。
アルバムの一曲だった「部屋とYシャツと私」が長く歌う曲になったように、新しい歌も聴き手の反応を受けて残す作品になっていきます。
過去の代表曲との付き合い方を探りながら、その時々の自分から生まれる歌も増やしていました。

2024~2025年――原盤を選び、新しい編曲でも歌う

35周年作品『平松愛理 35th Self Selection Notes』の選曲に際して、平松は過去の歌詞を印刷し、今届けたい歌を選びました。
昔の自分にどう近づけるかと考えた時期を経て、2024年の作品には「BLUE MOON」など近年の曲も加えています。
年代順に経歴を並べるのではなく、過去の作品を現在の気持ちで読み直した選曲でした。

「部屋とYシャツと私」に選んだのは、出発点である『MY DEAR』収録版です。
ライブでは早くからキーを変え、続編も歌ってきた人が、記念作には最初の録音を残す。
自分が今歌う方法と、当時の作品をどう伝えるかは、別々に選べるものなのです。

平松愛理 35th Self Selection Notes 公式画像
2024年発表の35周年選曲作品『Self Selection Notes』。
画像:公式掲載元。

翌2025年には、35歳以下の制作者から募った編曲で、同曲をもう一度歌いました。
選ばれたのは、呼野阿美香によるフルオーケストラのアレンジ。
「部屋とYシャツと私 U-35」としてCDに収録され、6月の東京・神戸公演では呼野との共演も実現しています。
曲を受け取る若い世代が、今度は作る側として加わったのです。

1990年の録音は、その時代の作品として残る。
それでも舞台では歌う高さを選び直し、続編では人物の人生を進め、新しい編曲にも自分の声で応える。
平松愛理が続けてきたのは、昔の一回の歌唱に合わせ続けることより、一曲を長く生かすための選択でした。
長い歌詞を一曲の中でどう届けるのかは、平松愛理の歌い方で詳しく見ていきます。

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