池森秀一さんの歌声は、デビューから変わっていないようで、大きく変わっています。
明るい音色と誠実な言葉は一貫していますが、高音を勢いで押し出す初期の歌唱から、ファルセットと低音を含む広い音域を使い、曲に合わせて力を配分する歌唱へ進みました。
その変化は、単純な上達や年齢による衰えではありません。
自分たちの意思より先に大ヒットしたDEENへ追いつこうとした時期があり、2000年代には自分たちで作品を作る中で声の使い方を変え、2018年前後には原曲キーの歌唱が再び注目されました。
30周年には初期曲を新録し、本人は現在の歌に若い頃以上の手応えを示しています。
この記事では、池森さんの歌声がどの時期に、なぜ変わったのかを年代順にたどります。
1993年、歌手より先に「DEENの声」が世の中へ走り出した
池森さんは北海道でブラックミュージック系の活動をし、ソロデビューの準備をしていました。
ところが上京後、詳しい目的を知らされないまま「このまま君だけを奪い去りたい」を歌うことになります。
曲はすでに大型CMへの起用が決まり、残っていたのは誰の声で歌うかという選択でした。
録音後、池森さんの声が採用され、集められたメンバーでDEENが始まります。
デビュー曲はいきなりミリオンヒットとなり、次の作品も短い間隔で世に出ました。
しかし本人の感覚は、成功を操縦しているというより、先へ行くDEENの背中を必死で追うものだったといいます。
初期の高音には、その速度が重なっています。
後年の本人の振り返りでは、当時は高い音域を勢いで歌えていました。
若さと体力が曲の要求へ直結し、細かな力の配分を考える前に、声を前へ運べた時期です。
1995年頃、初めてのステージで「自分の声が聞こえない」怖さを知った
作品の大ヒットに対し、DEENが本格的に生のステージへ立つまでには時間がありました。
池森さんは、デビューから約2年後の舞台で観客の大きな反応を受け、自分の声も演奏も聞こえなくなったと振り返っています。
これは単なる緊張の思い出ではありません。
録音では完成していた「DEENの声」を、ライブで自分の身体から何度でも出せる歌手になる必要が生まれた瞬間です。
同じ頃には、メンバー主導の「未来のために」が発表されます。
用意された曲を懸命に歌う段階から、作詞や作曲を含め、自分たちでDEENを作る段階へ入り始めました。
「ひとりじゃない」が発表された1996年頃も、明るい高音とまっすぐな言葉が前面にあります。
一方で、曲ごとの表情を増やし、ライブで持続できる声へ進む課題は、ここから長く続いていきます。

2000年代、自分たちのプロデュースとともに歌唱の重心が下がった
2000年のアルバム『'need love』では、制作が完全にメンバー主導へ移りました。
初期のDEEN像へ追いつくのではなく、現在の自分たちが何を作るかを決める時期です。
この頃の池森さんは、ボーカルスタイルがデビュー時とはまったく変わったと語っています。
若い頃は勢いで出していた高音を、ファルセットでゆったり楽に扱えるようになり、自然に低音も伸びてきたという説明でした。
高音を失って低い曲へ移った、とだけ考えると、この変化の半分しか見えません。
実際には、使える声が上から下まで増え、強い地声だけに頼らず曲を作れるようになったのです。
同時期のDEENは、AORやソウル、R&Bなどの要素を深めていきます。
まっすぐ高音へ向かう初期曲だけでなく、低い音域、柔らかな裏声、細かなリズムを使う曲が増えました。
歌唱の変化と音楽性の変化が別々に起きたのではなく、互いを必要とした転換でした。
2008年から2009年、「DEENの背中」へようやく追いついた
池森さんはデビュー後しばらく、初期の大ヒットが作ったDEEN像へ追いつこうとしていました。
15周年の日本武道館公演で、ようやくその背中が見えてきたと表現しています。
翌年の作品では、自分もやっとDEENのボーカルらしくなれたという手応えを残しました。
デビュー曲の時点で「DEENと分かる声」は選ばれていましたが、本人の実感が追いつくまでには十五年以上かかったのです。
この時期には、身体づくりもライブの準備へ組み込まれました。
武道館前にコンディショニングの助言を受け、その後も日常的に続けています。
高音をその場の勢いで出す若い歌手から、ツアーや長時間公演を見据えて身体を管理する歌手へ変わったことが分かります。
歌声の変化は、音色だけを比べても見えません。
一曲の最高音より、公演全体をどう成立させるかへ視点が広がったことが、中期以降の歌唱を支えました。
2018年前後、原曲キーの歌唱が「復活」と呼ばれた
DEENのライブでは、時期によって初期曲のキーを下げることがありました。
ファンの記録にも、低いキーやファルセットを使う歌唱が増えた時期と、2018年前後から原曲キーへ挑む場面が増えた時期が記されています。
25周年の日本武道館では、初期曲を原曲キーで歌う姿が広く話題になりました。
昔を知る人ほど、その変化を「高音が戻った」「復活した」と受け取りました。
ただし、この出来事を声の完全な巻き戻しと考えるのは正確ではありません。
若い頃の勢いだけで出した高音へ戻ったのではなく、ファルセット、低音、身体管理、長年のライブ経験を得た歌手が、別の方法で同じ高さへ向かったからです。
原曲キーであることは分かりやすいニュースになります。
一方で、キーを一つ下げて余裕を作る選択も、長い公演では表現を守る方法になり得ます。
池森さんの変遷で重要なのは、高さを証明したこと以上に、曲と公演に応じて声を選べるところまで来たことです。
2019年、同じデビュー曲をピアノと弦で歌い直した
2019年には「このまま君だけを奪い去りたい」を、ボーカル、ピアノ、ストリングスを中心とした編成で新録しました。
大きなバンドサウンドの上を高音で抜ける初期版とは、歌を支える条件が違います。
音数が減ると、声の勢いだけで空間を埋めることはできません。
言葉の始まり、息の量、語尾を手放すタイミングまで見えやすくなります。
このセルフカバーは、若い頃と同じ声を再現する企画ではありませんでした。
長い活動で増えた低音と柔らかな声を使い、デビュー曲の中にあった大人のラブソングとしての表情を引き出しています。
初期版と2019年版を比べる時は、年齢だけでなく編成と録音意図の違いを忘れてはいけません。
変わった声を隠すのではなく、変化したから可能になったアレンジを選んだ作品です。

2023年、30年前の代表曲を「現在の声」で新録した
30周年のベストアルバムでは、「このまま君だけを奪い去りたい」「瞳そらさないで」「夢であるように」「ひとりじゃない」など、代表曲をオリジナルアレンジで新録しました。
昔の録音を並べるだけではなく、現在のDEENが初期曲へ入り直す企画です。
池森さんは30周年ライブの時期に、30年前と変わらないという評価に対し、むしろ今の方がよいという趣旨の自信を示しました。
そこには、若さと同じものを保ったという意味だけでなく、長く追いかけた「DEENのボーカル」を自分のものにした実感があります。
2023年版のデビュー曲を記事冒頭に置いたのは、現在の声が変遷全体を含んでいるからです。
初期の明るさ、2000年代に増えた低音とファルセット、2018年前後の高音への挑戦、セルフカバーで深まった言葉が一つの歌唱に集まっています。
現在もDEENは制作とツアーを続け、オーケストラ公演やシティポップ、ファンクを軸にした企画へ進んでいます。
歌声を保存するのではなく、編成が変わるたびに役割を変えられることが、長いキャリアの強さです。
池森秀一の歌声は、高音を失って戻したのではなく、音域全体を作り直してきた
池森秀一さんの歌唱変遷は、「昔は高かった」「一時期は下げた」「また出るようになった」という三段階だけではありません。
デビュー初期は、大ヒットの速度へ追いつくように、高音を勢いで歌っていました。
2000年代には自分たちで作品を作り、ファルセットを楽に扱うことで低音まで伸ばします。
15周年でようやくDEENの背中が見え、25周年前後には原曲キーが再び注目され、30周年には現在の声で初期曲を新録しました。
変わらず残ったのは、一言一句を誠実に届ける姿勢と、数秒でDEENだと分かる明るい声です。
変わったのは、その声を高音の勢いだけに預けなくなったこと。
使える声と音楽の幅を増やしたからこそ、初期曲も新しい曲も同じ歌手の現在として成立しています。
池森さんのファルセット、言葉の輪郭、ブレス設計を詳しく知りたい方は、池森秀一さんの歌い方・発声分析もあわせてご覧ください。
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