松崎しげるさんの歌声は、若い頃の勢いをそのまま保存してきたわけではありません。
大きく変わったのは、声の高さよりも一つの歌を、その時の自分と演奏相手に合わせて作り直す自由さです。
その歩みは「愛のメモリー」だけでも追えます。
2012年の35周年記念盤が作られた時点で、同曲には12のバージョンがありました。
さらに2022年には英語詞のジャズ版が加わり、近年はオーケストラや若い歌手とのセッションで新しい姿を見せています。
同じ曲を何十年も歌う歌手は珍しくありません。
しかし、同じ曲を何度も録音し直し、アレンジも言葉も変えてきた歌手は多くありません。
松崎しげるの歌唱変遷は、昔と現在の優劣ではなく、代表曲を完成させない物語です。
1970〜1972年:顔より先に、コマーシャルから声が知られた
1970年、松崎さんは「8760回のアイ・ラブ・ユー」でソロデビューしました。
すぐに歌手名が広く知られたわけではなく、初期の大きな仕事になったのはコマーシャルソングです。
1972年の「黄色い麦わら帽子」はチョコレートのCMを通じてヒットしました。
本人は後に、CMなら朝から晩まで声が流れるため、そういう歌手のあり方もあると受け入れた時期を振り返っています。
ここで育ったのは、静かな録音作品だけで評価される歌手像ではありませんでした。
短い時間で声を覚えてもらい、商品や映像の印象まで背負う仕事です。
後年、企画の種類を問わず歌い出した瞬間に場を自分のものにする力は、この時期の経験と切り離せません。
1976〜1977年:「難しくて売れない曲」が代表曲になった
転機は、スペインのマジョルカ音楽祭へ出場した「愛の微笑」でした。
1976年に第2位へ入り、歌唱も評価されたこの曲を、松崎さんはレコードにしたいと考えます。
ところが当初は、難しくて誰も口ずさめないという理由で発売に消極的な反応もありました。
状況を変えたのが、三浦友和さんと山口百恵さんが出演するチョコレートCMへの起用です。
歌詞の一部と題名を改めた「愛のメモリー」は1977年に発売され、日本レコード大賞歌唱賞を受賞しました。
面白いのは、最初から国民的な定番曲として設計されたわけではないことです。
一般には難しいと判断された高音と大きな旋律が、CMの映像と結びついたことで、むしろ忘れにくい個性へ変わりました。
以下はビクター提供の公式音源です。
YouTubeへの掲載と収録アルバムは後年のものなので、公開日を1977年の歌唱日とは考えないでください。
1988〜2005年:「愛のメモリー」は昔の録音を流す曲ではなくなる
代表曲が大ヒットすると、歌手は昔の音源と比べられ続けます。
松崎さんが選んだのは、原曲を守るだけでなく、別の伴奏で録音し直す道でした。
1988年のアルバム『TIME』、1994年の『Memories of Love』、2000年のラテン・ジャズ版とバンド版、2003年のライブ版へと形を変えていきます。
2005年にはオーケストラを伴う作品でも録音しました。
声の変化を比べるとき、ここは注意が必要です。
テンポ、楽器編成、スタジオかライブかが違えば、同じ声でも言葉の置き方や伸ばす長さは変わります。
後年の歌唱を年齢だけで説明すると、本人が選び直したアレンジの意味が消えてしまいます。
1988年の『TIME』収録版は、同じメロディーが別の時代の音の中へ移された例です。
2005年の『My Favorite Songs』では、より大きな編成の中で代表曲を扱いました。
2012年:12種類を一枚へ集めると、変化そのものが作品になった
発売35周年の記念盤には、「愛のメモリー」の12バージョンとカラオケ2曲が収録されました。
1976年の「愛の微笑」から、1977年版、1988年版、1994年版、ラテン・ジャズ、バンド、ライブ、クラシック、2009年版までが一枚に並びます。
さらにボサノバ版と2012年版が新録されました。
通常の記念盤なら、代表曲の原曲と新録を一つずつ入れて終わるところです。
12種類をまとめたことで、「どれが本物か」ではなく、「同じ歌がどこまで変われるか」が作品の主題になりました。
聴き手の好みも分かれます。
原曲の抑えた部分を好む感想がある一方、後年の歌唱に人生の重みを感じる人もいます。
どちらも声だけを評価しているとは限らず、思い出のアレンジや、その曲を聴いた時代まで含んだ反応です。
2018年発売作品のコンサート版も、代表曲を舞台の歌として残した一つの形です。
2015〜2020年:自分のヒット曲を歌う人から、仲間の歌を残す人へ
45周年のカバーアルバム『私の歌〜リスペクト〜』では、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」や坂本九さんの楽曲など、親交のあった歌手たちの歌を取り上げました。
代表曲を何度も歌い直す姿勢が、ここでは他者の歌を受け継ぐ方向へ広がります。
同じ2015年に始めた「黒フェス」は、世代もジャンルも異なる歌手が集まる場になりました。
松崎さん自身が完成された大御所として中央に立つだけではなく、若い出演者や意外な企画の中へ入っていきます。
歌声の変遷は、声質の変化だけではありません。
誰と歌い、何を残すために歌うかが変われば、歌手の役割も変わります。
50周年へ向かう時期の松崎さんは、自分の声を見せる人であると同時に、別の世代と歌をつなぐ人になっていきました。
2022年:半世紀を越え、日本語の代表曲を英語で歌う
『1/2世紀〜Self Selection〜』では、「愛のメモリー」を英語詞のジャズ版として新録しました。
日本語で知られ尽くした曲から、歌詞の響きもリズムの置き方も変える選択です。
これは1977年へ戻る企画ではありません。
半世紀分の代表曲を集めながら、最も有名な歌にまだ別の入口を作っています。
西田敏行さんとの新しいデュエット曲も収められ、過去を並べるだけの記念盤にはなりませんでした。

この時期の歌声を松崎しげるの発声分析と合わせて見ると、太い高音だけでは説明できない理由が分かります。
長年にわたり、ラテン、ジャズ、洋楽、オーケストラへ声を置いてきた経験が、現在の自由な歌い回しへつながっています。
2024〜2026年:75歳を越えて、セッションの中心で歌を動かす
2024年の音楽番組では、「愛のメモリー」を別アレンジで歌い、「ただそれだけ」と大橋純子さんの「愛は時を越えて」も選びました。
本人は、若い頃に同番組で自分の持ち歌ではない洋楽を歌った経験が成長につながったと振り返っています。
2025年にはソロデビュー55周年を迎え、盟友たちの名曲を歌い継ぐ公演を開催しました。
翌2026年のセッションでは、黒沢薫さん、中西アルノさん、バンドとその場で歌を組み立てています。
歌割りを指示し、演奏の雰囲気を言葉で共有する姿は、決められた完成形を再現する歌手とは違います。

2026年9月にも「黒フェス」は開催されました。
以下は報道機関の公式チャンネルによる当日の映像です。
松崎しげるの歌声で変わったもの、変わらなかったもの
変わったのは、代表曲を置く場所です。
ヒット当時の歌謡曲から、ラテン、バンド、ライブ、オーケストラ、ボサノバ、英語詞のジャズへ移り、近年は世代の違う歌手とのセッションへ広がりました。
変わらないのは、一度決めた形へ自分を閉じ込めない姿勢です。
若い頃は難しすぎると言われた曲を世に出し、成功後はその曲を何度も作り直しました。
55周年を越えると、自分の歌だけでなく、盟友の歌を次へ運ぶ役割も担っています。
2018年に「愛のメモリー」で84点台を出した本人は、歌い方の変化を衰えではなく進化と呼びました。
その言葉は負け惜しみではなく、12種類以上の録音と現在までの活動で裏付けられています。
松崎しげるの歌声は、昔と同じだから残ったのではありません。
変えても本人だと分かる核があるから、何度でも新しい「愛のメモリー」を作れたのです。
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