森昌子さんの歌い方には、難しい旋律を歌い切る力と、歌の中へ自然に入っていく柔軟さがあります。
「越冬つばめ」では、その両方が問われました。
作曲した円広志さんによれば、ファンから歌う難しさを指摘されても、森さんはこの曲で歌唱賞を目指す意思を示したといいます。
一方、約20年ぶりの復帰では、経験豊かな本人が録音中に声を出せなくなりました。
その場で助けになったのは、さらに難しい技を足すことではなく、肩の荷を軽くする言葉でした。
森昌子の歌唱力を、高音の強さや演歌らしい声の揺れだけで考えると、この二つがつながりません。
本人と作り手の言葉から、難しい歌を選ぶ意思と、その歌を無理なく届けるための考え方をたどります。
なお、森さんは2019年に引退しており、ここでは現役時代の歌唱を扱います。
「越冬つばめ」は、歌いやすさだけで選ばれた曲ではなかった
「越冬つばめ」の作曲者・円広志さんは、サビの旋律がオクターブまで大きく動くことを説明しています。
オクターブとは、低いドから次の高いドまでに相当する音の隔たりです。
細かい節回しを加える前に、旋律そのものに大きな動きがあるのです。
円さんの回想では、ファンクラブからカラオケで歌いにくいという声があったそうです。
森さんは、それでも難しいこの曲に挑み、最優秀歌唱賞を目指したいと応じました。
1983年には、実際に日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞しています。
高音が出ることと、難しい曲を代表曲にしようと決めることは別の能力です。
歌いやすい形へ寄せる選択肢もある中で、本人は旋律の大きな動きを引き受けました。
「越冬つばめ」の歌唱を考える出発点は、その選択にあります。
ただし、この証言だけで高音をすべて地声と決めたり、特定の発声法を使っていると断定したりはできません。
曲の難しさについての作り手の説明と、声の出し方の生理的な判定は分けて考える必要があります。

ものまねの幅を見ると、一つの声色には収まらない
森さんは、テレビのものまね番組でも多彩なレパートリーを披露してきました。
2019年の番組でも15人の歌手のものまねを披露し、引退直前まで声の使い分けを持ち味にしていました。
歌手ごとの印象を変えて届けられることは、「森昌子の発声はいつも同じ形」と捉えにくい理由になります。
自分の代表曲を歌う時も、ものまねをする時も、表現の目的は同じではありません。
コンサートを見た人の記録にも、声質の違う歌手まで演じ分ける器用さを評価する声があります。
その一方で、森さん自身の歌のどの時期を好むかは分かれます。
10代の声の張りを好む聴き手もいれば、後年の舞台での長く伸びる声を魅力とする聴き手もいます。
この違いは、誰かの耳が間違っているという話ではありません。
声の若々しさに注目するか、舞台での表現の幅に注目するかで、同じ歌手の見え方が変わるのです。
個人の感想を、そのまま音域や声帯の状態を示すデータとして扱うことはできません。
「哀しみ本線 日本海」では、大人の歌を託された
「せんせい」「同級生」「中学三年生」は、学園を舞台にした三部作として知られています。
少女歌手としての印象が強かった森さんに、大人の歌を託そうとした一人が作曲家の浜圭介さんでした。
浜さんは、「哀しみ本線 日本海」からの作品について、大人の歌を歌える歌手にしたいという狙いで作り、森さんがそれに応えたと振り返っています。
本人が歌いたいと望んだ曲と、作り手が期待した役割が重なった時期です。
この時期の変化は、歌が描く世界にも表れています。
学校生活を描く歌から、別れや孤独を背負う人物の歌へ、声が受け持つ物語の範囲が広がりました。
ただし、歌の主人公を本人の私生活と同一視するのは早計です。
森さんは復帰時に、以前の代表曲を、自分の実像とは別に作り上げられた世界として説明していました。
一人の女性を歌として成立させる力は、自分の経験をそのまま歌うことだけから生まれるわけではないのです。

少女期から歌の幅を広げた歌手として、岩崎宏美さんの歌い方・発声も読み比べられます。
復帰録音で声を助けたのは、気負いをほどく一言だった
2006年の復帰作「バラ色の未来」を録音した時、森さんは強い緊張で思うように声が出なかったと話しています。
作詞家のなかにし礼さんから「笑って歌ってごらん」と声をかけられ、気持ちが楽になったことが、その場の転機でした。
歌の実績がある人にも、過去の成功が重荷になる場面があります。
森さんの体験は、歌唱を技術の足し算だけで考えないための具体例です。
この出来事を、誰にでも効く発声障害の治療法として受け取ることはできません。
復帰後について本人が語ったのは、同じような悩みを抱える人に届く、飾らないメッセージを歌いたいという思いでした。
代表曲の人物を演じる歌と、自分に近い言葉を歌う曲では、歌へ入るきっかけも違います。
「立待岬」の歌い方は、本人にとっても変わっていた
復帰後、森さんはラジオで「立待岬」について、発表当時と今では思いが違い、歌い方も変わったと話しています。
本人は、その時点の歌い方を好んでいました。
同じ曲を歌い続けることは、一度決めた歌い方を毎回正確に複製することだけではありません。
同じ言葉をどんな思いで受け止めるかが変われば、本人が望む表現も変わります。
森さんの発言は、その変化を本人の側から確かめられる手がかりです。
カラオケの助言でも、周囲を意識しすぎず、歌の世界に入って気持ちよく歌うことを勧めていました。
難しい代表曲を持つ歌手が、聴き手にまず伝えたのは、音の飾り方を増やす手順ではなかったのです。
森さんが敬愛した美空ひばりさんの歌い方・発声も、歌手と表現の関係を考える材料になります。
まねる前に、どの曲の何を参考にするかを決める
「せんせい」なら、学園の物語を歌う役割。
「哀しみ本線 日本海」なら、作り手から託された大人の歌。
「越冬つばめ」なら、本人が挑戦を選んだ大きな旋律の動き。
このように曲ごとに整理すると、一種類の「演歌らしい声」を全曲に当てはめずに済みます。
こぶしは音程を細かく動かす表現、ビブラートは伸ばした音を揺らす表現ですが、多く付ければ本人に近づくとは限りません。
どの程度の高音を使うか、どこで声を揺らすかを考える前に、その曲で届けたい人物や思いを整理すると、参考にする点がはっきりします。
長く伸びる声についても、聴き手の「余裕があるように感じた」という感想を、息を限界まで我慢する練習へ置き換えないことが大切です。
痛みや強いかすれ、話し声の異常が出たら歌うのを中止し、不調が続く場合は耳鼻咽喉科などの専門機関へ相談してください。
まとめ|難しい歌に挑む力と、歌へ自然に入る柔軟さ
森昌子さんは、「越冬つばめ」の難しい旋律に挑み、ものまねでは幅広い歌手を演じ分けました。
その一方で、復帰時には気負いをほどく言葉に助けられ、「立待岬」では思いの変化が歌い方にも表れると語っています。
森昌子の歌唱力は、強い高音や声の揺らし方を一つ取り出すだけでは説明し切れません。
難しい歌を選ぶ意思と、曲や時期に応じて歌への入り方を変える柔軟さを合わせて見ると、代表曲同士の違いも理解しやすくなります。
デビューから二度目の引退までの歩みは、森昌子さんの歌声の変遷で年代順にたどります。






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