イ・ホンギの歌は、切なさを強く押し出す声から始まりました。
けれども、その声の持ち主が、最初から歌詞の感情を理解していたわけではありません。
デビュー曲の録音に苦しんだ少年は、やがてバンドで激しいロックを歌い、ソロでは声の力加減まで変えていきます。
ホンギの歩みをたどると、声が強くなったという一方向の成長では説明できません。
強く歌う理由も、抑えて歌う理由も、自分で選べるようになっていく。
そして長い時間を経て、自作曲への強いこだわりを語っていた歌手が、昔の曲も自分たちの歴史として歌い直すようになるのです。
「Love Sick」の悲しみが分からなかった10代
2007年、FTISLANDは「Love Sick」で韓国デビューします。
当時10代だったホンギに求められたのは、年齢よりずっと深い悲しみを感じさせる歌でした。
本人が後に振り返った録音は、三日がかり。
歌詞の感情がつかめないまま繰り返し歌い、最後には腹立たしさを抱えた状態になっていたといいます。
大人びた声を持つことと、大人の喪失を自分の経験として歌うことには距離がありました。
求められた表現を形にするところから、ホンギの歌手生活は始まっています。
2010年には「Flower Rock」で日本メジャーデビュー。
その後の日本での活動は、バンドが試せる音楽を広げる場所になりました。
2015年のホンギは、日本で出した作品を振り返りながら、幅広いジャンルを扱ってきた一方、年月とともに歌詞や旋律が大人になったと説明しています。
新しい曲調を覚えることと、歌に持ち込む気持ちが育つことが、並んで進んでいた時期です。
自分の声の強みを見つけ、バンドの音を前へ出す
声の個性を考えるうえで刺激になったのが、ONE OK ROCKのTakaでした。
2013年、ホンギは彼を意識する同世代の歌手として挙げ、自分の声は比較すると太く、暗さがあると話しています。
相手の得意な歌い方を追いかけるだけでなく、その違いから、自分は感情を表す力を磨こうと考えたのです。
歌の強みを、ほかの歌手と同じ場所に求めなくなったことがうかがえます。

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同じ頃、ホンギには、韓国でバラード歌手のように見られることへのもどかしさもありました。
日本の公演では、自作曲を含む選曲や構成を自分たちで決める経験を重ねていました。
その手応えがあるからこそ、歌手一人の声で成立する曲だけでは伝わらない、バンドとしての音楽を届けたかったのでしょう。
その意思が前に出たのが、2015年のアルバム『I WILL』と「PRAY」です。
ホンギは、バンドをやっている人にも響く音を目指したと説明し、日本での録音に時間と労力を注いだことを話しています。
韓国で耳なじみのよい曲を選ぶよりも、自分たちが続けたいロックを示す。
激しい伴奏の中で高音を響かせる歌唱には、その選択が重なっていました。
ただし、ここで突然ロックを覚えたわけではありません。
本人は当時、続けてきた音楽を韓国では新しい形で披露するのだと説明しています。
歌の変化と、それをどの国で、どの作品として届けたかを分けて見ると、「PRAY」はバンドの意思を表に出した転機として見えてきます。
バンドを強くした年に、ソロでは力を抑える
2015年には、ソロ活動という別の入口も開きました。
ホンギはそれまで、生の楽器で演奏する音楽への思いが強かったものの、電子音を使う音楽を作る人たちと接する中で考えが広がったと話しています。
バンドの外へ出ることで、自分の声を違う音の中に置いてみる余地が生まれたのです。
日本ソロ作『AM302』には、ラジオのように、いろいろな音楽が自然に耳へ届く作品にしたいという考えがありました。
リード曲「モノローグ」も、当初のバンド的な構成からシンセサイザーの音へと編曲を変えています。
音楽の幅を広げることが、自分の声を新たな角度から届ける方法になりました。
「モノローグ」は歌い方も比較的フラットにしたというホンギ。
強さを調整することも、新しい挑戦でした。
2018年には、FTISLANDでも新しい音に踏み出します。
ホンギが作った「Hold the moon」は、バンドとして初めて取り組むフューチャーベースを取り入れた曲でした。
ジェジンは、新しい方向がホンギの声に合っていると評価しています。
電子的な音を使うことが、ソロだけの寄り道ではなく、バンドの声を生かす選択にもなっていきました。
一方、同年の日本ソロ作『Cheers』で目指したのは、明るく前向きな作品でした。
「Pathfinders」ではダンスにも挑み、従来の切ないバラードを期待する人の前へ、異なる姿を差し出します。
強い悲しみを担う歌手という入口を持ちながら、楽しい時間を作る側にも立つ。
活動の場を増やすほど、声に任せる感情の種類も増えていったと考えられます。
「Pathfinders」では、先へ進む人を励ます歌詞に、自分自身の経験を重ねました。
最初に曲を聴いた時、徐々に盛り上がる展開に希望を感じたといいます。
曲を用意されて歌う立場から、その旋律で何を伝えるかを自分の言葉で決める立場へ。
新しい姿に挑むソロ活動には、歌の主人公を自分で作っていく側面もありました。
経験が歌詞に追いつき、復帰後には裏声も選ぶ
新しい音楽へ進む一方で、昔からある歌との関係も変わっていました。
2018年12月の横浜ソロ公演で、ホンギはバラードを歌った後、以前よりも深い感情に共感できるようになったという実感を語っています。
デビュー時にはつかめなかった悲しみを、年月がたった自分の感情として受け止める。
声の技術とは別に、歌う内容との距離が近づいていたことを示す場面です。
2021年4月、兵役を終えたホンギは活動を再開しました。
6月のオンラインファンミーティングでは、ミュージカルの話を交えながら、日本のファンにも再び歌を届けています。
復帰後の活動には、バンドの再始動を待つ時間と、ソロで声を届ける機会の両方がありました。

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日本ソロ作『Drawing』の「Found me」で選んだのは、気楽に聴けるサウンドでした。
ホンギ自身、そのような伴奏に自分の歌を乗せてみたかったと説明しています。
大きな音で復帰を宣言するだけでなく、肩の力を抜いて聴ける曲へ声を置く。
以前から続くソロでの試みが、再出発にもつながっています。
同年12月の「Unthinkable」では、声にも新しい選択を加えます。
ホンギは、以前はあまり使わなかったファルセットに新曲で挑んだと話しています。
復帰後に目指したのは、かつての歌唱へ戻ることだけではありませんでした。
昔の曲を、自分たちの歴史として歌い直す
2022年の日本武道館公演では、歌詞の伝わり方を重視する姿勢が前に出ました。
久しぶりの日本ツアーに向けて過去の曲を聴き直し、今届けたい言葉を考えたというホンギ。
声を出して応援できない時期の客席へ、曲に込められた意味を受け渡そうとしていました。
再会の熱量を上げるだけでなく、歌の中身をもう一度確かめる再出発でもあったのです。
さらに2026年9月の東京公演では、以前は自分たちで作った音楽へのこだわりが強かったものの、昔の曲も自分たちの一部だと考えるようになったと語っています。
観客が持つ思い出まで含めて、過去の作品を歌う意味を捉え直していました。
歌わされる曲から自分で作る曲へ進んだ後で、そのどちらも引き受ける場所へたどり着いたと読めます。
「Love Sick」の感情が分からず苦しんだ少年から、昔の歌に宿る時間を受け止める歌手へ。
ホンギの変遷には、ロックの力強さ、ソロでの抑制、裏声への挑戦といった、異なる方向の選択があります。
それらをつないでいるのは、その時の自分にとって、どんな声で何を届けたいかを問い直す姿勢でしょう。
曲ごとの力加減や声の使い分けは、イ・ホンギ(FTISLAND)の歌い方で詳しく扱っています。

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その後の録音や、聴き手に向けた曲の選び方までをたどります。



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