高橋愛は、相手のメロディーを信頼してハモり、曲の主人公になって言葉を歌っています。
舞台では、ポップスとは違う発声も学びました。
本人の言葉には、曲や共演者に合わせて表現を作る工夫があります。
相手のメロディーを信頼して、二人の声を重ねる
2011年の「この愛を重ねて」は、高橋と新垣里沙が二人で歌う曲です。
高橋はBillboard JAPANの取材で、ハモりは互いのメロディーを信用し合わなければ成り立たないと話しました。
新垣とはその関係を作れていて、ライブでも自然に、気持ちよく歌えていたそうです。

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自分の音を出すことに加え、相手が歌う線を受け止めて、二人の声を重ねる。
高橋の説明では、ハモりの歌いやすさが、共演者との信頼にも結びついています。
つんく♂は、この曲を少し跳ねるリズムでもゆったり歌うべき曲と説明しています。
拍の動きを感じながら、二人で落ち着いた表情を作ることが求められていました。
相手と響きを合わせる感覚に、曲が求めるリズムの表情も重なっています。
この曲では、リズムが弾むことと、歌がせわしなくなることを分けて考える必要があります。
細かな動きに乗りながら、二人の旋律はゆったり聞かせる。
つんく♂の言葉は、勢いや声量だけで曲の個性を出すのではなく、リズムに対してどんな落ち着きを持たせるかを示しています。
高橋の語る相手への信頼は、そのゆとりを二人で作る際の手がかりにもなるでしょう。
好きな歌を、自分の声で形にするまで
得意そうに見える曲でも、録音がすぐに完成したとは限りません。
高橋は2021年のリアルサウンドの取材で、「Do it! Now」の自分のパートをうまく歌えず、録音に4時間かかったと振り返りました。
曲自体は大好きで、つんく♂の仮歌を繰り返し聴いていたそうです。
頭の中に好きな歌のイメージがあっても、自分の声でその通りに表せるとは限らない。
本人が区別した、好きであることと実際にできることの距離が、この経験にはあります。
難しかった箇所の発声を細かく説明した話ではありませんが、曲への理解と歌唱の習得が、別々に必要だった例です。
基礎練習については、2014年の取材で巻き舌に触れています。
加入した頃はできなかったものが、発声練習で取り組むうちに得意になったという説明でした。
これは特定の曲を巻き舌で歌うという話ではなく、歌うための準備の中で身につけた動きです。
完成した歌声だけでは見えない、練習を重ねる過程も本人の言葉に残っています。
同じ曲でも、声の使いやすさは違う
高橋は「ダンス・オブ・ヴァンパイア」への出演時、ポップスとは異なる発声を習い、その難しさを話しています。
歌い慣れた方法が、どの作品にもそのまま合うわけではなかったのです。
歌い手として積んだ経験を持ちながら、役を歌うための方法をあらためて学ぶ。
舞台への対応は、既存の歌を大きな声で歌えば済むものではなかったことが、この本人の説明から伝わってきます。
曲と声の相性は、2022年の「愛のドンデン返し」の話にも表れます。
田中れいなは、全体にキーが低めで素直に声を出せる曲だと話しました。
ところが夏焼雅は高いと感じ、高橋も田中は軽々と出しているが自分たちには苦しい、と応じています。
同じ取材で高橋は、ハロプロらしく歌おうと意識しているわけではないとも話しています。
長く歌ってきた中で当たり前になった表現を、聴く側がその人たちらしさとして受け取っている。
本人の感覚では、まず目の前の曲を歌うことがあり、その積み重ねが声の個性として届いているのです。
同じ曲を一緒に歌っていても、相手が楽に出す音を自分も楽に出せるとは限らない。
高橋の説明からは、共演者と表現を合わせることと、自分の声で歌いやすいかを確かめることが、別の課題だと分かります。
曲の主人公になり、歌詞を自分の表現へ変える
「雨の降らない星では愛せないだろう?」を中孝介と録音したとき、高橋は、以前一緒に歌ったジュンジュンとリンリンのことを思い浮かべていました。
二人の歌い方や表情を思い出しながら、その曲を歌っていたと話しています。
曲の主人公になるという考え方は、抽象的に感情を込めることだけではありません。
かつて同じ言葉を歌った人の姿も手がかりにして、自分なりの表現へつなげる。
高橋が歌と芝居を分けていないと説明する背景には、こうした具体的な記憶があります。

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「ラフ・アンド・ピース」では、面白い歌詞に引っ張られて恥ずかしがらず、全力で歌うことを大切にしました。
田中は高橋の芝居好きと豊かな表情に触れ、「ケッコン!~残りものには福がある~」の台詞も印象に残る例として挙げています。
歌の途中で言葉を話す場面にも、演じ切る姿勢が表れていたのです。
面白い歌詞も、その人物にとっては本気の言葉
アルバムに収録された「誤爆~We Can’t Go Back~」について、高橋は、もともと歌いたかった曲だったと話しています。
大人になった三人向けに歌詞も変わると思っていたところ、女子高校生の設定のままだったことに驚いたそうです。
自分の実年齢や生活そのものを歌うのではなく、曲の中で与えられた人物へ入っていく場面です。
「わさびじゃないのよ鰹は」では、高橋は、本気で歌っているからこそ歌詞の内容が面白くなる、と説明しました。
笑わせようとして歌を崩すことより、曲としてしっかり成立させることに面白さを見いだしているのです。
台詞のある「ケッコン!~残りものには福がある~」と合わせると、歌声と話し言葉の両方で人物を立てる作品だとわかります。
共演者の歌を聴くときにも、高橋は細部に耳を向けています。
ananでは、夏焼の「ペーパーセーブ」のビブラートを挙げ、田中の「うどん!うどどん!うどどどどーん!」の声を繰り返し聴いたと話しました。
誰もが同じ声になるように合わせるのではなく、相手がどんな響きを持ち込むかを楽しんでいる。
二人で旋律を信じ合うハモりとはまた違う、三人の個性がある作品での向き合い方です。
曲の内容が面白くても、その中の人物を本気で演じる。
高橋が目指したのは、全力で表現することで生まれる笑いでした。
「この愛を重ねて」では、相手のメロディーを信頼して声を重ねる。
「雨の降らない星では愛せないだろう?」では、一緒に歌った人の記憶から主人公へ近づく。
高橋の歌では、共演者をよく知ることが、自分の声と言葉をどう使うかという選択につながっています。
こうした課題と歌への気持ちが、グループ時代からどう変わったかは、高橋愛の歌唱変遷でたどっています。







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