髙塚大夢さんの歌声は、オーディションで突然見つかったものではありません。
中学時代のカラオケ、高校の軽音楽部、大学のアカペラという、性格の違う三つの場所を通ってきました。
デビュー時にはクリアなハイトーンが看板になりましたが、その後の変化は、さらに高い音が出るようになったという一本線ではありません。
11人組で短いパートを担い、声優として低い声を作り、自分で曲を書き、ついには高音より中音域を生かしたソロ曲を選びました。
最初にあった強い声を、場面ごとに使い分けられる声へ変えてきた。
それが髙塚大夢さんの歌唱変遷です。
中学のカラオケから、高校のバンドボーカルへ進んだ
歌へ深く入るきっかけは、中学時代にMr.Childrenが好きな友人とカラオケへ通ったことでした。
友人から曲の魅力を教えられ、一緒に歌うことが習慣になり、BUMP OF CHICKENや海外の音楽にも関心が広がっていきます。
それまで続けていたサッカーから離れ、高校では軽音楽部を選びました。
好きなことへ青春を注ぎたいと考え、ボーカルとギターに取り組んでいます。
本人は、当時の自分には歌をうまくまとめる力がなかったと振り返っています。
それでもバンドのライブでは、その瞬間に客席へ感情を届けなければなりません。
技術が完成してから舞台へ出たのではなく、未完成のまま人前で歌ったことが、後の「パッション」の土台になりました。
髙塚大夢さんの原点は、きれいな高音より先に、ライブで伝える必要に迫られた経験にあります。
大学のアカペラで、前へ出る歌から重なる歌へ変わった
高校のバンド活動を通して、もっと歌を磨きたいという気持ちが生まれました。
そこで大学では、歌の上手な人から刺激を受けられると考え、アカペラサークルへ入ります。
バンドでは、ボーカルの感情が演奏の中心になります。
アカペラでは、一人の声が楽器でもあり、全員の音程とリズムが重なって初めて曲になります。
この環境で、髙塚大夢さんは一歩踏みとどまって音楽全体を考える姿勢を身につけました。
前へ出るだけだった声に、周囲を聞いて引く選択が加わった時期です。
2020年にはアカペラのイベントや歌唱企画にも参加し、当時からクリアで高い声が注目されていました。
本人にとっては見返すと恥ずかしさもある映像ですが、歌を仕事にしたいと考えるまでの重要な経験になりました。
2021年のオーディションで、歌が進路になった
大学3年の就職活動中、先輩から音楽を続けたいならオーディションを受けてみてはどうかと勧められました。
応募は、就職活動のエントリーシートを出すような感覚だったと本人は話しています。
ダンス経験はなく、アイドルを目指してきたわけでもありません。
一方で公式プロフィールには、ロックボーカル、ギター、ボイスパーカッションという、それまでの音楽経験が並んでいました。
「Pretender」の歌唱では、髙塚大夢さんの高音を一人のボーカリストとして確認できます。
この時点では、長いフレーズの中で自分の声を見せることが大きな役割でした。

番組を経てINIのメンバーに選ばれ、歌は趣味や進路の希望から、プロとして責任を負う仕事へ変わります。
本人は、デビュー後に自分の歌と向き合う時間も、音楽を聞いて吸収する時間も増えたと振り返っています。
2021年末の「Brighter」で、ハイトーンがハーモニーの一部になった
デビュー後に最初に求められたのは、一人で歌い切ることではありませんでした。
11人の異なる声の中で、自分のパートをどう見せ、どこで周囲へなじむかを考える必要が生まれます。
「Brighter」のアコースティック版では、尾崎匠海さん、佐野雄大さん、許豊凡さん、藤牧京介さんとともに歌いました。
ダンスや強い音像よりも、声の受け渡しと重なりが前へ出る編成です。
高音は、自分だけを目立たせるための武器から、ハーモニーの上側を支える役割へ変わりました。
短いパートの中で声の雰囲気を変え、強すぎる場所と前へ出る場所を見分ける意識も、このグループ活動の中で育っています。
藤牧京介さんも同じく高音域を担いますが、柔らかくなじむ声を中心に役割を広げてきました。
二人の歩みを比べる場合は、藤牧京介さんの歌唱変遷も参考になります。
2023年は、低い声と自分の言葉を手に入れた
2023年には、歌以外の二つの挑戦が重なりました。
一つは、アニメ映画の主人公を演じた声優経験です。
普段の話し声より年齢も体格も上の人物を演じるため、声の高さを下げる必要がありました。
高音を伸ばすのとは反対に、低い声で人物の強さと感情を成立させる経験です。

もう一つは、INIの「My Story」で作詞に参加したことでした。
用意された歌を自分らしく歌うだけでなく、自分が歌う言葉を作る側へ進んでいます。
声の高さを変えて別人を演じることと、自分の言葉を歌へ入れることは、反対に見えます。
しかし、どちらも「その声で誰を、何を表すのか」を考える経験でした。
ハイトーンの印象が強かった歌手に、人物と物語を声で作る意識が加わった時期です。
2024年の一発撮りで、5人の声を背負った
2024年には、INIの5人で「FANFARE」と「I'm a Dreamer」を一発撮りで披露しました。
本人は、アカペラも一発の集中力が重要であり、その経験がこの収録につながったと話しています。
11人のステージから5人の歌唱へ移ると、一人が背負うフレーズとハーモニーの比重が大きくなります。
オーディションでは自分の声を評価してもらうために歌いましたが、この時はINIの楽曲を少人数で成立させるために歌っています。
バンドで身につけた一回の熱量と、アカペラで身につけた周囲を聞く感覚が、同じ場で必要になりました。
過去の経験が、別々の経歴ではなく、一つの歌唱へつながった場面です。
2025年は、歌う人から企画する人へ進んだ
2025年の個人公演「Echoes.」では、髙塚大夢さん自身に焦点を当てたステージを作りました。
そこで披露された「Piece」は、本人が等身大の姿を意識して作詞・作曲した曲です。
グループ曲で限られたパートを磨いてきた人が、一曲と公演の全体を自分で設計する側へ移りました。
同じ年には「Drip Drop」などINIの楽曲制作にも参加し、歌声の役割を外側から考える機会が増えています。
さらにカバー企画では、既存曲を自分の声で解釈する仕事にも挑戦しました。
作る歌と受け継ぐ歌の両方を経験し、声色の選択肢を広げています。
この頃の本人は、INIで歌以外の魅力も増えてきたと感じる一方、自分のオリジナル曲やグループ曲の制作へさらに関わりたいという目標を持っていました。
歌の技術を見せる人から、どんな作品を届けるか決める人へ変わり始めています。
2026年の「またどこかで」で、中音域と物語へたどり着いた
2026年のソロ曲「またどこかで」は、歌唱変遷の中でも象徴的な作品です。
ハイトーンで知られる髙塚大夢さんが、高音を最大の売りにするのではなく、きれいな中音域と少し低めのキーを選びました。
制作では5、6曲のデモを仮歌にし、声質と音域の相性を一曲ずつ確かめています。
さらにAメロとBメロ、現在と過去、歌詞の人物に合わせて声の質感を変えました。
2021年のオーディションでは、高い声そのものが進路を開きました。
2026年には、その声をどこまで高くするかより、どの高さと質感なら物語が最も伝わるかを選んでいます。
変化したのは音域の広さだけではありません。
自分の得意な高さを見せる歌から、作品に必要な高さを選ぶ歌へ進みました。
現在の高音と声の使い分けは、髙塚大夢さんの歌い方・発声の記事で詳しく整理しています。
変わらないのは、歌をもっと知ろうとする姿勢
中学では友人から曲を教わり、高校ではバンドで客席への伝え方を知りました。
大学では、上手な人と出会うためにアカペラへ入り、プロになってからはメンバーの声や新しい音楽から表現を吸収しています。
2026年には、バラードを歌う時に技術へ意識が向きすぎる自分も認め、難しいことを自然に聞かせる歌を目標に挙げました。
完成したと思うより、なぜ自分の声が曲に合わないのかまで客観的に考える方向へ進んでいます。
高音の精度が上がったことだけを成長とすると、この歩みは小さく見えます。
髙塚大夢さんは、前へ出る、混ざる、低く演じる、言葉を書く、中音域を選ぶという、声の使い道そのものを増やしてきました。
まとめ
髙塚大夢さんの歌唱変遷は、高校のバンドで得た熱量と、大学のアカペラで得た調和から始まりました。
2021年のオーディションでは高音が進路を開き、「Brighter」ではその声がグループのハーモニーへ入りました。
2023年には低い声で役を演じ、自分の言葉を歌へ入れ、2024年には一発撮りで少人数の歌唱を背負いました。
2025年は個人公演と作詞作曲へ進み、2026年の「またどこかで」では、高音より中音域と物語を選んでいます。
最初から高い声は武器でした。
変わったのは、その武器を出す場所、引く場所、別の色へ変える場所を自分で選べるようになったことです。
髙塚大夢さんの歌声は、高くなったというより、役割が増えました。
その変化が、ハイトーン歌手という一言では収まらない現在の歌につながっています。
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