河野純喜さんの歌唱変遷は、声が出なかった人が高音を獲得した物語ではありません。
2019年のオーディション時点で、歌もダンスも本格的な経験がないまま、強い声と高音で注目されていました。
変わったのは、声の高さより、その声を誰が設計するかです。
最初は持っている声で審査へ挑み、デビュー期には教わった方法を自分の声へ合わせ、やがてフェイクや声質を提案し、ソロ曲の言葉まで自分で書くようになりました。
JO1の高音担当は、どのように一曲を作るボーカリストへ進んだのでしょうか。
2019年から現在まで、役割の変化をたどります。
2019年は、未経験なのに声だけは完成して見えた
河野純喜さんは「PRODUCE 101 JAPAN」へ、歌もダンスも未経験の参加者として入りました。
最初のレベル分けでは、力強く聞きやすい声を持っていることが早くから注目されています。
この時期の特徴は、技術の名前より先に声があったことです。
ボイストレーニングの方法を体系的に知る前から、カラオケで歌い、憧れの歌手を真似しながら、自分なりの出し方を持っていました。

「Wherever you are」の推しカメラは、当時の公式プロフィールにも残されています。
現在の洗練されたソロ曲とは違い、まず声そのものを審査へ届ける段階でした。
未経験という言葉は、歌ってこなかったという意味ではありません。
専門的な指導を受けていなくても、声を出し続けた蓄積があり、その自然な強さが最初の武器になりました。
2020年のデビュー準備で、持ち味を消さない高音を探した
JO1としてデビューするまでの短い期間に、河野純喜さんはメインボーカルとして歌う責任を背負います。
オーディションで通用した声を、レコーディングやダンスの中でも再現しなければなりません。
本人は、教わった内容がすべて自分に合うわけではなかったと振り返っています。
先生の方法を正解として丸ごと受け入れるのではなく、自分の強みを残したまま高音へ届くやり方を試行錯誤しました。
デビュー曲「無限大」では、11人の中でサビを支える役割がはっきりします。
同じ年のTHE FIRST TAKEでは、グループ曲を一人で歌う初のソロパフォーマンスに挑みました。
アコースティック編成になり、ダンスや大人数の声で隠れない場所へ立ったことで、呼吸まで聞こえる歌を一人で成立させる必要が生まれます。
声の強さを証明する段階から、一曲の間を自分だけで管理する段階へ進みました。
2021年の「Born To Be Wild」で、声を選ぶ側になった
デビュー2年目の「Born To Be Wild」は、歌唱の主導権が変わった作品です。
河野純喜さんはレコーディングで、どのようなフェイクを入れるか、どの声質を使うか、自分のアイデアを提案しました。
2020年までは、メインボーカルとして難しいパートを任され、それに応える成長が中心でした。
ここからは、用意されたパートを歌うだけでなく、声の形を自分で作る側へ移っています。
本人がボーカルリーダーとしてメンバーと話し合うようになったのも、この頃です。
JO1らしさを「完成した姿」ではなく、成長する姿そのものと考え、個人の技術とグループ全体の表現を同時に見るようになりました。
歌詞の気持ちを理解することが先で、表現はそこから生まれるという考えも明確になっています。
高音の出し方を増やすだけでなく、なぜその声を置くのか考える歌手へ変わりました。
2022年の「OUTSIDERS」で、JO1の外でも声を背負った
2022年には、與那城奨さんとともに「OUTSIDERS」へゲストボーカルとして参加しました。
JO1の曲ではメンバーの声の一つとして機能しますが、外部プロジェクトでは、作品の名前に並ぶ歌手として声を提示する必要があります。
この経験は、高音担当という役割を外へ広げました。
グループの中で慣れた配分に頼らず、別の作家が作る世界で、自分の声が何を担うかを考える段階です。
同じ年、JO1としてもTHE FIRST TAKEへ再び出演しました。
初回の一人歌唱から、メンバーと声を渡し合うパフォーマンスへ進み、ソロとグループの両方で自分の位置を調整する経験が増えています。
2024年は、ライブの熱を声と制作へ戻した
デビュー直後のJO1は、無観客やオンライン中心の活動を余儀なくされました。
振り付けや映像を整えることに力を注ぐ一方、河野純喜さんたちは、実際の観客と作るライブへの憧れを強めていきます。
有観客公演を重ねる中で、準備されたものを正確に見せるだけではライブにならないという課題が生まれました。
メンバーと制作側が何度も話し合い、観客が声を上げる瞬間や、一緒に楽しめる曲の作り方を考えるようになります。
「Love seeker」を含む時期には、JO1の強みをライブだと感じられるようになったと話しています。
ボーカルリーダーの役割も、歌唱を整えるだけでなく、歌詞の伝わり方やステージ全体の熱を制作へ戻す仕事へ広がりました。
初期には「踊ること、歌うことで精一杯」だったグループが、ライブで何を届けるかを自分たちから提案するようになっています。
河野純喜さんの成長も、個人の高音が安定したという尺度だけでは測れなくなりました。
2025年の「Singing in the rain」で、自分の記憶が歌になった

2025年、河野純喜さんは初のソロオリジナル曲「Singing in the rain」を発表しました。
自ら作詞し、幼い頃から雨の中を歩きながら好きなラブソングを歌っていた時間を曲にしています。
これは、歌唱力を見せるために用意されたソロではありません。
誰にも聞かれない場所で歌っていた個人的な記憶を、聞き手と共有するための歌です。
2019年は、持っている声を審査員と視聴者へ届けました。
2020年は、JO1の曲を支えるために高音の答えを探しました。
2021年以降は声色やフェイクを提案し、2025年には歌う言葉の出発点まで自分で作っています。
公式プロフィールに並ぶ制作曲を見ると、JO1曲の作詞だけでなく、作曲へ関わる作品も増えました。
ボーカリストとしての成長が、声の技術から楽曲制作へ連続しています。
現在のパワーボイスと音量調整の特徴は、河野純喜さんの歌い方・発声の記事で詳しく整理しています。
変わらないのは、教わった答えを自分で確かめる姿勢
河野純喜さんは、最初から強い声を持っていました。
それでも、持って生まれた声だけで完成したとは考えませんでした。
指導を受けた時は、自分に合うかを試す。
レコーディングでは、フェイクと声質を提案する。
ライブでは、映像を再現するだけでよいのかをメンバーと考える。
ソロ曲では、自分が何を歌いたいのかを言葉にする。
時期ごとに課題は変わっても、用意された正解をそのまま使わず、自分の表現へ戻す姿勢は変わっていません。
その姿勢が、未経験の強い声を、グループと作品を動かす声へ育てました。
オーディションで武器を知り、グループの役割へ育てた別の例は、JUNONさんの歌唱変遷と比べると違いが見えます。
憧れの歌手を基準にしながら自分の声を作った流れは、EXILE ATSUSHIさんの歌唱変遷にもつながります。
まとめ
河野純喜さんの歌声は、2019年のオーディション時点ですでに強く、高い音まで届いていました。
最初の転機は、未経験の声をそのまま磨くのではなく、自分の持ち味を消さない高音の方法を探したことです。
2020年のTHE FIRST TAKEで一曲を一人で背負い、2021年の「Born To Be Wild」では声色とフェイクを提案する側へ進みました。
「OUTSIDERS」でJO1の外へ声を持ち出し、ライブ中心の制作を経て、「Singing in the rain」では自分の記憶を作詞しています。
高音が出るようになった歴史ではありません。
持っていた高音を、任された役割から、自分で意味を決める表現へ変えてきた歴史です。
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