鈴木このみさんは、15歳のデビュー時から「完成された歌唱力」を持つ新人として注目されました。
それだけを聞くと、最初から現在まで一直線に上手くなり続けたように思えます。
実際の歩みはもっと劇的です。
初めて自分の録音された声を知った少女が、二十歳前後で歌う意味に迷い、声帯結節の手術で声を失う恐怖を経験し、その後は自分の会社まで作って歌手人生を設計する側へ回りました。
2025年の長期ツアーでは、国内とアジアを巡り、年間25公演のワンマンのうち24公演を完売させています。
現在の歌にある余裕は、若い頃の勢いが弱くなった結果ではなく、声も活動も自分で守りながら攻められるようになった証拠です。
2011年、14歳の優勝はゴールではなく厳しい録音の入口だった
小学生の頃から路上ライブを経験していた鈴木このみさんは、2011年に全日本アニソングランプリで優勝します。
1万組を超える応募者の頂点に立った時点で、歌の力はすでに特別でした。
翌年のデビュー曲「CHOIR JAIL」は、15歳の新人へ渡すには驚くほど難しい曲です。
ハードな音像、速度の変化、大きな感情の振れ幅があり、初めての本格的な録音でブレスと表現を同時に整えなければなりませんでした。
当時の本人は、周囲に大人が並ぶスタジオで、プロとして求められることへ応える難しさを感じています。
後年には、この録音で初めて「自分はこういう声で歌うのか」と知ったと振り返りました。

つまり、デビュー時の歌声は未熟だったというより、自分の力をまだ自分で観察できていない声でした。
高い音は出せても、マイクが拾う息、言葉、感情をどう設計するかは、ここから学び始めています。
2014年、「This game」で難曲を歌う人という期待が固まった
活動初期から、作家たちは鈴木このみさんなら普通ではない音域や転調も歌えると考えるようになります。
その信頼を広く印象づけたのが「This game」です。
中高音が長く続き、最後にはさらにキーが上がるため、一つの最高音だけを出せても曲は成立しません。
声の勢い、速い発音、音程の正確さを最後まで維持する必要があります。
この時期の歌声には、若さの明るさと、音を正面から押し切る強い意志があります。
難しいメロディーでも迷わず前へ進むため、聞き手には限界がないように映りました。
一方で「歌えてしまう」ことは、新しい課題も生みます。
制作側が後に語ったように、技術的に良いテイクは早く録れても、そこから人物の感情が動くところまで深められる余地がありました。
歌唱力を証明する段階から、上手さを忘れさせる表現へ進むことが、次の成長になります。
2016年、二十歳を前に歌う意味を見失いかけた
十代のうちに多くの主題歌と大舞台を経験すると、順調に見える活動の裏で、期待へ応え続ける重さが増えていきました。
十九歳から二十歳頃には、自分らしさとは何か、夢だけを追い続けてよいのかを考え、一人で抱え込む時期があります。
転機になったのが「Love is MY RAIL」でした。
愛を感じる方向へ進めばよいという曲の考え方が、自分の歌手人生を肯定する再出発になります。
それまでの歌は、与えられた難曲を期待以上に歌うことで道を開いてきました。
二十歳以降は、自分が先に立って観客を導きたいという意思が表へ出ます。
歌声にも変化が現れました。
音の高さや声量だけで圧倒するのではなく、歌詞の主人公と自分の経験が重なる場所を探し、その理由を声へ乗せるようになります。
2016年から2020年、パワフルな声の裏で結節を抱えていた
鈴木このみさんは、約4年間にわたって声帯結節を抱えながら活動していました。
代表曲が増え、海外公演やツアーが広がった時期と重なるため、外から見れば歌声はむしろ力強くなっていた頃です。
2020年の「Realize」では、積み重ねてきた信頼を背負うような、厚いロックサウンドに負けない歌を聞かせます。
ただ、本人の中では結節が大きくなり、満足できる歌を出せないもどかしさが増していました。
この事実は、昔の歌を単純に「喉が強かった時代」と見る危うさを教えてくれます。
迫力がある声でも、本人が楽に出しているとは限りません。
ライブが止まった2020年、歌えない時間の中で、本人はこれからもずっと歌いたい気持ちを改めて確認します。
既存曲を失う不安より、最大限の歌を取り戻す未来を選び、手術を決断しました。
2021年、声は戻ったのではなく新しく作り直された
手術後は、まず声を出さない期間がありました。
話し始めても一日合計30分からで、最初の「おはよう」は驚くほど細い声だったといいます。
復帰日は決まっていましたが、歌唱許可が出たのは約一か月後です。
以前と同じ声が戻る保証はなく、スタジオでほとんど声が出ずに泣いたこともありました。
それでも回復が進むと、高音は出しやすくなり、声の伸びと透明感が増します。
反対に低音は息っぽく弱くなったため、以前なら当然に出ていた領域を一から作り直しました。

ここが歌声の最大の転換点です。
手術前の少しハスキーで少年らしい声から、澄んだ輪郭を持つ声へ変わりながら、昔の曲に必要な鋭さも新しい身体で取り戻していきました。
「元通り」ではありません。
声の状態を観察し、高音と低音のバランスを選び直したことで、長く歌っても疲れにくい新しい楽器になりました。
2022年、歌う仕事を受ける人から活動を決める人へ
デビュー10周年を迎えた2022年、鈴木このみさんは株式会社115を設立し、自ら代表取締役社長になります。
独立は肩書きを増やすためではなく、長い歌手人生へ責任を持つための選択でした。
同じ年には、XAIさんとのツインボーカルユニット、She is Legendも始まります。
一人で難曲を成立させてきた歌手が、相手の声と競い、支え、ハモリながら人物を演じる新しい課題へ入ります。
当初はShe is Legendとしての歌い方や自分の位置に迷うこともありました。
試行錯誤の末、かわいさへ振り切る表現まで試し、自分の得意なパワフルさだけに役を閉じ込めない声を増やしています。
歌唱の変化と仕事の変化はつながっています。
声を守る判断も、どんなライブを作るかも、待つのではなく自分で選ぶ人になりました。
2024年以降、守れるからこそ攻める歌になった
「Reweave」を受け取った時、本人は自分専用の服のようにぴったり合う曲だと感じました。
録音で無理に曲へ追いつくのではなく、現在の声と気持ちが最初から楽曲の攻める姿勢へ重なっています。
2025年には自身最長の国内ツアーとアジアツアーを並行し、多数の公演を完売させました。
かつて結節を抱えながら歌っていた頃には難しかった密度を、今は声の状態を管理しながら走り抜いています。
若い頃の歌は、難曲へ飛び込み、期待を超えることで未来を開く声でした。
現在の歌は、どこまで攻めるかと同時に、どう戻り、次の公演へ声を残すかまで含めて設計されています。
勢いが落ちたのではありません。
手術と再構築を経験したからこそ、強さを偶然へ任せず、再現できるものとして使えるようになりました。
変わったのは声質以上に、自分の声との距離だった
15歳の鈴木このみさんは、初めての録音で自分がどんな声を持っているかを知りました。
十代後半には難曲を歌う人として期待を集め、二十歳前後には、その期待と自分の夢の間で迷います。
声帯結節の手術では、歌声が戻らない可能性と向き合いました。
そこから高音だけでなく低音まで作り直し、独立後は歌手活動そのものを自分で管理しています。
変遷の中心にあるのは、声が太くなった、透明になったという変化だけではありません。
自分の声を無限に使えるものと思っていた少女が、状態を見て守り、必要な時に最大限使える大人へ変わったことです。
それでも、難しい曲へ挑み、観客の前で歌を完成させたい気持ちは変わっていません。
昔の無防備な強さを失わず、壊さずに続ける知恵を手に入れたことが、現在の鈴木このみさんを最もよく表しています。
鈴木このみさんの歌い方と高音の持久力では、手術後に低音から声を作り直した経験が、なぜ現在の強い高音につながったのかを詳しく解説しています。
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