MY FIRST STORYのHiroさんは、最初から何種類もの声を自在に使うボーカリストだったわけではありません。
本人は初期の自分について、一曲を同じ調子で歌いがちだったと振り返っています。
そこから全国ツアー、日本武道館、ソロ作品、東京ドームを経て、弱い声、鋭い高音、荒い声、ポップスの柔らかな声を選べるようになりました。
変化の中心にあるのは、声が単純に太くなったことではありません。
兄のTakaさんを意識せざるを得なかった若い歌手が、自分のバンドでしか作れない声を増やし、ついには異なる個性を持つHYDEさんの隣でも役割を失わなくなるまでの物語です。
現在のMY FIRST STORYを確認できる公式映像が、2024年末に公開された「BREAK IT DOWN」です。
- 2011~2012年、歌い方より先にバンドが走り始めた
- 2013年、違う歌声と向き合って「同じ旋律にも別の答えがある」と知った
- 2015~2016年、「ALONE」と日本武道館でクリーンと激しさが分かれ始めた
- 2017~2019年、「REVIVER」以降に一辺倒から抜け出した
- 2021年、「Sing;est」でMY FIRST STORYを引いた時に声の輪郭が見えた
- 2022~2023年、「I'm a mess」で弱い声が代表曲になった
- 2023年、東京ドームで兄の物語を自分の声へ戻した
- 2024年以降、「夢幻」で異なる大物の隣に立てる声になった
- Hiroの変化は、高音が太くなった歴史ではない
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2011~2012年、歌い方より先にバンドが走り始めた
MY FIRST STORYは2011年夏に結成され、2012年4月に最初のアルバムを発表しました。
Hiroさんは高校生の頃に制作チームやミュージシャンと出会い、バンドの中心へ入っていきます。
早い段階から、高い声と感情を前へ出す力は注目されていました。
一方で、将来の完成形を考えてから始めたというより、目の前の音楽へ飛び込みながら自分の役割を作った時期です。
「Second Limit」は、初期MY FIRST STORYの速度と切迫感を代表する一曲です。
当時のライブや音源を語った記録には、透明で感情が伝わる声という評価と、細さや不安定さを指摘する声の両方があります。
高音が出ることはすでに武器でしたが、その武器を一曲の中でどう配分するかは、まだ経験を重ねている途中でした。

後年のHiroさん自身も、この頃に近い自分はBメロも一曲全体も一辺倒になりやすかったと話しています。
初期の魅力は未完成さを隠すことではなく、制御し切れない熱量まで音楽にしていたことでした。
2013年、違う歌声と向き合って「同じ旋律にも別の答えがある」と知った
2013年、Hiroさんはナノさんとのデュエット曲「SAVIOR OF SONG」に参加しました。
同じフレーズを歌っても、声質やアクセントが違えば、まったく別の印象になるという経験です。
これは単発の共演以上の意味を持ちます。
自分の声を強く押し出すだけでなく、別の声と並べた時に何が違うのかを考える入口になりました。
MY FIRST STORYの中でも、曲数が増えるほど同じ高音だけでは物語を作れなくなります。
静かな場所をどう残すか、激しい声をどこで使うか、語尾をどこまで運ぶか。
後のHiroさんが語る「歌い方の幅」は、特別な技法を一つ覚えた結果ではありません。
違う歌手、違う曲、違う客席と向き合うたびに、同じ旋律にも別の答えがあると知った積み重ねです。
2015~2016年、「ALONE」と日本武道館でクリーンと激しさが分かれ始めた
2015年の「ALONE」は、MY FIRST STORYの代表曲の一つになりました。
高音の鋭さとバンドの重さが正面からぶつかり、Hiroさんの声がバンドの印象を決める時期です。
2016年にはアルバム「ANTITHESE」を発表し、47都道府県ツアーを経て日本武道館へ立ちました。
武道館の記録では、クリーンな歌声とデスボイスの対照、感情をむき出しにする場面が強く伝えられています。
ここで重要なのは、激しい声が増えたことだけではありません。
荒い声があるから、次に現れる澄んだ高音が際立つという構造が見え始めました。
武道館は、Hiroさん個人にとっても長く抱えてきた思いが表へ出た場所です。
声の技術と人生の物語が結びつき、単に上手な高音では説明できない説得力が生まれました。
2017~2019年、「REVIVER」以降に一辺倒から抜け出した
2017年の「REVIVER」は、大きな会場へ進むMY FIRST STORYの勢いを象徴する曲です。
この頃から、Hiroさんの歌についてメンバーや周囲が語る言葉も変わります。
単に声が高いことではなく、ボーカルのバリエーションが増え、バンドの音楽的な幅が広がったことが注目されるようになりました。
2019年、Hiroさんは六年ほど前と比べ、歌が圧倒的にうまくなったと話しています。
その説明として挙げたのが、以前のように一曲を同じ調子で歌わず、この部分は違う歌い方をする、この場面は落とすという選択ができるようになったことでした。
成長の自己評価が、最高音や声量ではない点がHiroさんらしいところです。
大きな会場で通用する強い声を得ながら、同時に声を引く判断も増えました。
歌詞の主人公が何を感じているのかを考え、その感情に合わせて音色を選ぶ。
ここでHiroさんは、勢いのある若いボーカリストから、一曲を演じ分けるボーカリストへ移っています。
2021年、「Sing;est」でMY FIRST STORYを引いた時に声の輪郭が見えた
2021年、Hiroさんは本名の森内寛樹として、女性歌手の曲を歌うカバーアルバム「Sing;est」を発表しました。
本人が掲げたのは、歌声で勝負することです。
バンドの激しい音や、MY FIRST STORYらしい荒さを強く出せば、従来のファンには分かりやすかったかもしれません。
しかし、この作品ではロックの癖を抑え、原曲ごとに声の形を変えています。
音楽メディアの批評でも、バンドで見せるエッジをあえて引き、ポップスの歌い手として別のモードを見せた点が注目されました。
高音を出せる歌手が、高音を見せるだけの作品ではありません。
Hiroさんは、歌を専門的な訓練だけで身につけたのではなく、学生時代からカラオケで数多く歌い、自分なりの方法を築いたと話しています。
「Sing;est」は、その我流が一種類の癖ではなく、曲に合わせて組み替えられる方法へ育ったことを示しました。
2022~2023年、「I'm a mess」で弱い声が代表曲になった
2022年に結成十周年を迎えた頃、MY FIRST STORYは激しいロックだけで説明できないバンドになっていました。
その変化を広い層へ届けたのが「I'm a mess」です。
2023年の「THE FIRST TAKE」では、Hiroさんの声がバンドの音圧から離れ、言葉の揺れや息の残し方まで前へ出ました。
初期のHiroさんは、高い声と熱量を押し出す場面で強く印象を残しました。
一方、この曲では声を弱くすること、すぐに感情を爆発させないことが聴き手を引きつけます。
一辺倒から抜け出したという本人の言葉が、最も分かりやすい形で大衆へ届いた一曲です。
強い声を失ったのではなく、強くしない時間を長く保てるようになったことで、サビの感情が大きくなりました。
2023年、東京ドームで兄の物語を自分の声へ戻した
2023年11月、MY FIRST STORYとONE OK ROCKは東京ドームで対バン公演を行いました。
Hiroさんにとっては、バンド結成時から約十二年かけてたどり着いた場所です。
公演の記録では、デスボイスで始まる激しい曲、ハイトーンが響く曲、ラップ、語りかけるような終盤まで、複数の声が一夜に並んでいます。
初期に一方向へ走りやすかった歌が、大きな会場で物語を組み立てる声へ変わったことが表れました。

Hiroさんは、兄を妬みながらも憧れてきた思いを客席へ語りました。
しかし、この公演はTakaさんの弟として認められる日ではありません。
MY FIRST STORYのボーカリストとして東京ドームを自分たちの場所へ変えた後で、ようやく兄と向き合えた日です。
Takaの高音の歌い方と比べても、二人の声が同じものへ収束したわけではありません。
似ている部分を持ちながら、別々のバンドの時間が声の違いを作りました。
Hiroさんの変遷にとって東京ドームは、比較から逃れた日ではなく、比較を自分の物語へ回収した日でした。
2024年以降、「夢幻」で異なる大物の隣に立てる声になった
2024年、MY FIRST STORYはHYDEさんと「夢幻」を発表しました。
二人の声で対立する意思を表現するため、声質の違いが曲の中心に置かれています。
初期のHiroさんが、この曲を同じ勢いだけで歌っていたら、HYDEさんとの違いは声の太さの差に見えたかもしれません。
現在は、明るい輪郭、鋭い高音、荒さ、弱い入り方を選び、HYDEさんの深い声と別の役割を担えます。
この共演は、Hiroさんの声が完成して変わらなくなったことを意味しません。
違う歌手の隣へ立つたび、自分の声のどこを前へ出すか選べるようになったことを示しています。
HYDEの歌い方の特徴と並べると、同じ高音やハスキーという言葉でも、二人が作る景色は異なります。
Hiroさんは、誰かの色を借りるのではなく、相手と違う部分を曲の力へ変えています。
Hiroの変化は、高音が太くなった歴史ではない
森内寛樹/Hiroさんの歩みを、若い頃は不安定で、現在は安定したという一行だけで終えることはできません。
初期のむき出しの熱量は、未熟さであると同時にMY FIRST STORYを始動させた魅力でした。
その後、クリーンと荒い声を分け、曲の場面ごとに歌い方を選び、ポップスではバンドの癖を引き、東京ドームでは人生の物語まで声へ戻しました。
変わったのは、声の強さより、声に任せられる仕事の数です。
現在のHiroさんは、高音を出す人、Takaさんの弟、ハスキーなロック歌手という一つの説明に収まりません。
違う声の隣でも、静かな曲でも、巨大な会場でも、必要なHiroを選べます。
発声の特徴は、森内寛樹/Hiroの高音と歌い方で詳しく整理しています。
二つの記事を続けて読むと、現在の多彩な声が生まれつき完成していたものではなく、一辺倒だった時期から増やしてきた選択肢だと分かります。






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