山本彩の歌声はどう変わった?NMB48時代からソロ10年の歌唱変遷

NMB48時代からソロ10年まで山本彩の歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

山本彩さんの歌声は、アイドルを卒業して突然ロックへ変わったわけではありません。
彼女はNMB48へ入る前から、女子中学生バンドでギター・ボーカルを担当していました。

だからソロ活動は、歌手への初挑戦というより、遠回りをして出発点へ戻る出来事でした。
ただし、戻った時の声は同じではありません。

バンド少女の荒いハスキー声は、NMB48で大勢の物語を代表する声になり、ソロでは自分の言葉を背負う声へ変化しました。
さらに休養を経た後は、強い自分だけでなく、緊張や劣等感まで歌の中へ置けるようになります。

その変化を一言で表すなら、声が強くなった歴史ではなく、誰のために歌う声なのかが広がった歴史です。

NMB48より前、山本彩はすでに「バンドの声」だった

山本さんは中学生時代、MAD CATZでギターとボーカルを担当していました。
当時を知る同世代のバンド仲間からは、硬派でロックな人物だったと振り返られています。

この出発点を知ると、後の歩みの見え方が変わります。
NMB48に入ってからギターを覚えたアイドルではなく、一度バンド活動が途切れた少女が、別の巨大な舞台を通って音楽へ戻ってきたのです。

初期の声について本人は、後年「救いようのないガラガラ声」と笑いながら話しています。
完成されたハスキー声ではなく、強く歌おうとするほど息が漏れ、枯れやすい荒さも含んでいました。

公式に確認できるMAD CATZ時代の埋め込み動画が限られるため、ここでは非公式映像を使いません。
重要なのは、ソロ歌手の原型が2016年に突然生まれたのではなく、NMB48加入より前にあったという点です。

2010〜2014年、NMB48で「一人の声」から「グループの顔」へ

NMB48では1期生としてキャプテンを8年間務め、中心メンバーになりました。
自分のバンドを背負う声から、メンバー、曲、番組、ファンまで含む大きな看板を背負う声へ変わった時期です。

アイドル曲では、一人だけの色を濃く出せばよいわけではありません。
短い歌割りで存在を示しながら、次のメンバーへ曲を渡し、踊りと表情も成立させる必要があります。

この環境は、荒いロック声をそのまま押し通すことを許しませんでした。
一方で、声の輪郭が強い山本さんはグループの中でも見つけやすく、やがてNMB48を代表する歌声として受け取られるようになります。

バンド時代の個人性を消したのではなく、個性を短い時間で伝える方法へ作り替えた期間でした。
後のソロで言葉の最初から最後まで責任を持てたのは、この「限られた場所で声を立たせる」経験があったからです。

2015年、『365日の紙飛行機』で力強さより語りかけが知られた

『365日の紙飛行機』は、山本彩という声の知られ方を大きく変えました。
ロック好きのアイドル、NMB48の絶対的エースという文脈を知らない人にも、朝の時間に寄り添う歌声として届いたからです。

それまでの強さを前面に出す曲とは違い、歌詞の人物を急かさず、聴き手が自分の一日を重ねられる余白が必要でした。
第三者の歌唱解説や個人の楽曲分析でも、技巧の派手さより語りかける距離に注目が集まっています。

この歌唱によって、山本さんの声は「強い一人の声」から「多くの人が自分の歌として受け取れる声」へ広がりました。
後のソロ活動でも歌い継がれる一方、いったんセットリストから外す時期もあり、彼女にとって大きな遺産と宿題の両方になっていきます。

2016〜2017年、『Rainbow』と『identity』で自分の言葉を背負う

2016年の『Rainbow』は、長く望んでいたシンガーソングライター活動の出発点でした。
秋元康さんに希望を伝えた際、まず曲を書くよう促され、作詞作曲と言葉選び、歌い方を考える時間を積み重ねています。

最初のツアーではNMB48やAKB48の曲も歌われましたが、翌年の『identity』ツアーではグループ曲を外し、ソロ曲だけでステージを構成しました。
これは声質が急変したというより、歌声の主語が変わった出来事です。

提供された物語を代表するだけでなく、自分が書いた言葉を、自分の感情として最初から最後まで引き受ける。
本人も、自作曲ではありのままを曲と歌詞にするため、歌う時に気持ちが入りやすいと語っています。

ただし、この段階ではNMB48のキャプテンとソロ歌手が同時に存在していました。
二つの役割を行き来したからこそ作品の幅は広がりましたが、「自分だけの活動で立つ」という決断はまだ先に残っていました。

2018〜2020年、卒業後に荒さを削り「歌うための声」へ

2018年にNMB48を卒業し、翌年『イチリンソウ』で新しい環境から再始動します。
全国のライブハウスを回り、全曲を作詞作曲したアルバム『α』へ進んだ時期です。

NMB48卒業後にシンガーソングライターとして再始動した山本彩

本人はこの頃、グループ時代より声が研ぎ澄まされ、以前ほどハスキーではなくなったと説明しています。
話す仕事で声を使う割合が減り、歌うことが中心になったこと、睡眠を取るようになったことも変化の理由として挙げました。

個性を守るためにガラガラ声を残したのではありません。
息漏れや枯れやすさを減らしても、声の乾いた色と強さは残りました。
この時期の詳しい発声の変化は、山本彩さんのハスキー声と太い高音の分析で整理しています。

アイドルを離れたことでロックへ戻っただけなら、MAD CATZ時代の再現で終わります。
実際にはグループで得た語りかけと、自作曲で得た個人性が合流し、昔より選択肢の多い歌手になっていました。

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2021〜2023年、表現を広げた直後に声を止め、戻す

2021年の『Don't hold me back』では、ダンスやラップを取り入れ、整ったロック歌唱からさらに外へ出ようとしていました。
制作時には「歌が優等生」と指摘され、音を外してもよいと思うほど本能的な歌唱を選んだと語っています。

しかし同じ年、体調不良のため活動を休止しました。
公式発表では甲状腺バランスの異常を指摘され、制限のある中で活動を続けた末、療養を優先したと説明されています。

健康状態を歌声から推測することはできません。
確かに言えるのは、歌う時間が止まり、復帰後に本人がライブへ向けて「声を戻す」トレーニングを始めたことです。

2023年の『&』では、外から見える強い山本彩像と、本人が抱える劣等感が対になる作品として並びました。
以前はグループを背負う強さが前景にありましたが、復帰後は弱さを隠さず、それでも前へ進む人物を歌えるようになります。

2026年、ソロ10年で『365日の紙飛行機』が自分の歴史へ戻った

ソロ10周年に過去と現在の歌を同じ舞台へ集めた山本彩

2026年、山本さんは『バタフライエフェクト』を発表し、ソロ活動10周年に初の日本武道館公演を行いました。
新曲の「小さな変化がやがて大きな結果を生む」という発想は、遠回りと休止を含む歩みそのものに重なります。

武道館のセットには、ソロ初期、近年作、復帰後の曲とともに『365日の紙飛行機』も入りました。
2017年にはソロ歌手として立つため一度外した曲が、今度は過去の看板ではなく、自分の十年を構成する一曲として戻っています。

これはNMB48時代へ逆戻りしたのではありません。
グループの代表声、自分の言葉を歌う声、休止後に取り戻した声を、どれか一つに絞らなくてもよくなったのです。

同じアイドル出身の歌手でも、鈴木愛理さんの歌唱変遷では、複数グループとソロを通じて声の役割がどう変わったかを別の形で確認できます。

山本彩の歌声は、強さを足すより主語を増やしてきた

山本彩さんの歌声は、MAD CATZのバンド少女からNMB48のキャプテン、シンガーソングライター、休養後の再出発へと変わりました。
けれど変化の中心は、音域が広がった、声量が増えたという一本の物差しでは測れません。

最初は自分の衝動を歌う声でした。
NMB48で多くの人を代表する声になり、ソロで自分の言葉を背負い、復帰後は強さと弱さを同じ人物の中に置けるようになりました。

2026年の武道館で過去の曲と現在の曲が同じ舞台に並んだことは、その到達点を象徴しています。
歌手になるためにアイドルを捨てたのではなく、アイドル時代まで含めたすべてを自分の物語として歌えるようになったのです。

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