夏川りみの歌い方はなぜ心が落ち着く?透明感を生む節回しとタイム感

夏川りみの透明感ある歌い方と発声を分析する記事のアイキャッチ シンガー

夏川りみさんの歌声は、よく「透明感がある」「癒やされる」と表現されます。
けれども、その心地よさを息の多い柔らかな声だけで説明すると、大切な部分を取りこぼします。

声の中心には輪郭があり、長い音でも言葉が薄くなりません。
そのうえで、演歌から受け継いだ少し後ろ寄りのタイム感と、沖縄の歌へつながる節回しが、旋律を急かさずに運んでいます。

夏川さんの歌が落ち着いて聞こえる最大の理由は、声を弱くしているからではありません。
一音を早く片づけず、言葉が聴き手へ届くまで待てる歌い方にあります。

「癒やしの声」より先に、独特の時間が流れている

夏川さんの歌を専門家が評した時、声質より先に挙がったのが独特のタイム感でした。
オペラやジャズの曲を歌っても、そのジャンルへ染まり切らず、最後には夏川りみの歌になるという見方です。

本人にも思い当たる理由がありました。
子どもの頃から演歌を歌ってきたため、拍の真上へ言葉を素早く置くより、わずかに後ろへ引いて歌う癖があると話しています。

これはテンポから遅れることではありません。
伴奏は先へ進んでいるのに、声だけが一歩落ち着いて入るため、聴き手は歌に追い立てられず、言葉を受け取る余裕を持てます。

「涙そうそう」の穏やかさも、音量の小ささだけから生まれてはいません。
フレーズを急いで閉じず、母音の終わりまで時間を渡すことで、悲しみを強く訴えなくても感情が残ります。

演歌の基礎が、沖縄の歌を支える意外な土台になった

三線を手に歌の節回しを解説する夏川りみ

沖縄県石垣市で育った夏川さんですが、幼い頃の練習の中心は沖縄民謡ではなく、演歌と歌謡曲でした。
小学二年生頃から中学生まで、父親の指導で毎日二時間ほど歌い、各地の大会へ出ています。

ここで身についたのは、大きな声で押し切る方法ではありません。
一つの音へ入る前の小さな揺れ、言葉を伸ばした後の収め方、旋律を少し回り込んで着地させる感覚でした。

その経験があるから、沖縄の歌を歌っても節だけが表面へ浮きません。
演歌で覚えた「一音の中に感情を置く」感覚と、島の言葉や旋律が後から結びつき、現在の歌い方になっています。

演歌の名残は、速い曲では弱点にもなり得ます。
本人は速いテンポが得意ではないと認めていますが、その不得意さを無理に消さなかったことで、ゆっくりした歌では誰にも似ない時間が生まれました。

節回しは飾りではなく、言葉の気持ちを曲げる小さな動き

夏川さんの歌には、狙った音へ一直線に入らず、手前でわずかに音を曲げる場面があります。
一般には、こぶし、しゃくり、節回しなど複数の言葉で説明される動きです。

本人が「涙そうそう」を歌い始めた頃、曲を作ったBEGINから、幼い頃に演歌を歌っていた個性が出るよう、小さな節を加える提案がありました。
決められた装飾を毎回付けるのではなく、まっすぐな旋律へ自分の来歴をほんの少し残す考え方です。

節が大きすぎると、言葉より技巧が先に聞こえます。
反対に完全に平らへすると、夏川さんの声が持つ人間らしい揺らぎまで消えてしまいます。

ちょうどよい幅で音を回り込むから、悲しい言葉は涙をこらえるように、懐かしい言葉は遠くを振り返るように聞こえます。
節回しは上手さを見せる飾りではなく、同じ一語の気持ちを少しだけ曲げる句読点なのです。

同じく言葉へ入る瞬間の揺れが個性になる歌手でも、一青窈さんのしゃくりと母音とは役割が異なります。
一青さんが感情の不安定さを残す方向なら、夏川さんの節は旋律を落ち着かせ、言葉を所定の場所へ運ぶ方向に働きます。

ロングトーンが長いのに、声だけが前へ出すぎない

夏川さんを紹介する歌唱解説では、息を多く漏らす声ではなく、芯を保ったまま長い音を運ぶ点が繰り返し注目されています。
ここでいう芯とは、大声や硬い声のことではありません。

小さな音量でも音程と言葉の輪郭が残り、伸ばしている途中で息だけにならない状態です。
だからロングトーンが長くても、声量を見せつける場面には聞こえません。

「童神」のように一息の線が長い曲では、途中で急に音を強くせず、旋律全体を一つの呼びかけとして渡します。
「愛よ愛よ」では同じ安定感を持ちながら、子守歌より広い場所へ声を放つ表情も見せます。

長く伸ばすことを、そのまま息の量の勝負へしない点が重要です。
ロングトーンが続かない時の整え方でも扱っているように、長さより先に音程と声質が崩れないことが必要になります。

夏川さんらしさを真似ようとして息を大量に吸い、最後まで吐き切ろうとすると、かえってフレーズがせわしなくなります。
参考にしたいのは肺活量の印象ではなく、音を伸ばしている間も言葉の気持ちを変えない落ち着きです。

地声と裏声の境目を、本人も細かく数えていない

夏川さんの高音を、地声、裏声、ミックスボイスのどれか一つへ決めるのは簡単ではありません。
本人が歌唱を解説する場でも、ある音を裏声へ切り替えたのかと問われ、はっきり意識していないと答えています。

これは技術がないという意味ではありません。
音域に合わせて声は変化していても、本人の意識では「ここから別の声」と線を引くより、言葉を同じ流れで届けることが先にあるのでしょう。

聴く側が声区名を付けることはできますが、分析者によって呼び方が割れる部分もあります。
息の量、音量、母音、曲の雰囲気が変われば、同じ高さでも聞こえ方は変わるためです。

大切なのは、名称を当てることより、切り替わった瞬間に歌の景色が途切れない点です。
高音だけを軽くして別の人物になるのではなく、低い音で始めた言葉の温度を保ったまま上へ移しています。

早いテイクほど、夏川りみの声が素直に残る

歌を急かさず届ける夏川りみ

二十五周年の作品を録音した時、夏川さんは最初の一、二回に良い歌が残りやすいと語っています。
回数を重ねるほど上手くなるように思えますが、考えすぎると小さな工夫が増え、かえって素直さから遠ざかるからです。

この話は、彼女の透明感を理解する手がかりになります。
透明なのは、感情が薄いからではなく、届けたいものと実際の声の間へ、余計な演出を挟みすぎないからです。

もちろん、何も準備せず一回だけ歌えばよいという意味ではありません。
長年の基礎と曲への理解があるからこそ、録音が始まった後は足し算を続けず、最初の反応を信じられます。

「晴れ渡る」を録音した際にも、果てのない沖縄の海と空を思い浮かべ、広がりを持って歌ったと説明しています。
技術用語より先に景色を置くことで、ロングトーンや節回しが目的ではなく、景色を渡す手段になります。

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「涙そうそう」だけでは、声の広さを見誤る

代表曲の静かな印象が強いため、夏川さんを穏やかな曲だけの歌手と思うと、歌の幅が狭く見えます。
実際のコンサートは、前半に聴かせる歌を置き、後半には沖縄のリズムや掛け声を使う祭りのような場面を作っています。

静けさと明るさは、別々の発声へ交換されるわけではありません。
声の芯と少し後ろへ置く時間感覚を残したまま、リズムに乗せる言葉の短さや、客席へ向ける勢いを変えています。

「涙そうそう」では記憶を胸の内側へ置き、「童神」では誰かを包むように長い線を描きます。
「愛よ愛よ」では祈りを遠くへ広げ、近年の「詩、歌、唄」では、歌うことそのものへの感謝を正面から渡します。

曲ごとの差を知ると、透明感が一種類の声色ではないと分かります。
強く歌っても濁りにくく、楽しい曲でも急かさないという、時間と言葉の扱いが共通しています。

真似するなら、細い声ではなく「待てる歌」を参考にする

夏川さんの声へ近づこうとして、まず息を多く混ぜる必要はありません。
声を弱くしすぎると、母音の途中で輪郭が消え、節回しもロングトーンも不安定になります。

参考にしやすいのは、一つの言葉を歌い終えるまで次を急がない考え方です。
伴奏へ乗り遅れない範囲で、語尾を雑に捨てず、音へ入る前の小さな動きにも理由を持たせます。

節やこぶしを毎回同じ場所へ加えるのも避けたいところです。
どの言葉を懐かしくしたいのか、どこはまっすぐ伝えたいのかを先に決めれば、装飾は必要な場所だけに残ります。

沖縄の歌らしい表面を借りるより、自分が思い浮かべた景色と言葉の距離を声へ反映する方が、本質に近い学び方です。
沖縄から生まれた別の強い個性と比べるなら、仲宗根泉さんが大声でも言葉を届ける歌い方を見ると、同じ地域的背景の中にも異なる時間と声の使い方があると分かります。

まとめ

夏川りみさんの歌い方が心を落ち着かせるのは、息の多い癒やし声だからだけではありません。
演歌で身についた少し後ろ寄りのタイム感、感情を小さく曲げる節回し、言葉の輪郭を失わないロングトーンが重なっています。

その声は、弱いのではなく静かに強い声です。
一音を早く処理せず、聴き手が言葉を受け取るまで待つため、曲の中に広い空間が生まれます。

録音で早いテイクを大切にする姿勢にも、歌へ余計なものを足しすぎない考えが表れています。
透明感とは最初から作る声色ではなく、長い訓練の後で、言葉と景色だけを素直に残した結果なのでしょう。

星美里時代から「涙そうそう」を自ら選び、現在は八重山古典民謡へ学び直そうとする歩みは、夏川りみさんの歌唱変遷で詳しくたどります。

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