手越祐也さんの歌声といえば、明るく突き抜ける高音、大きな声量、分かりやすく揺れるビブラートを思い浮かべる人が多いでしょう。
けれど、本人が音源制作で最も気を付けているのは、意外にも「うまく歌いすぎないこと」です。
高音もビブラートも十分に使えるからこそ、全部を出すと曲より歌手が前へ出てしまう。
そこで、強く歌う場所と引く場所を分け、曲ごとに別の人物を演じるように声を選び直しています。
この「盛れる人が、あえて盛らない」という逆説が、手越さんの歌を派手なだけで終わらせない核心です。
この記事では、本人の発言、制作関係者の証言、複数の歌唱評をもとに、高音、ビブラート、声量が一つの曲の中でどう整理されているのかを読み解きます。
高音は天性の贈り物ではなく、追いつくための武器だった
手越さんは、声変わりをした直後から自然に高音が出たわけではありません。
中学生の頃に好きだったのは、X JAPAN、L'Arc-en-Ciel、ポルノグラフィティのような高いキーを歌うアーティストでしたが、当初は思うように歌えなかったと振り返っています。
しかも、入所した時点で周囲の先輩とは人気も芸歴も大きく離れていました。
その差を「ボーカル力で覆すしかない」と考え、自分でボイストレーナーを探し、高校の帰りに渋谷のカラオケで発声を学び始めます。
ここが、手越さんの高音を見るうえで大切な出発点です。
高い声は、自分の魅力を飾る追加装備ではなく、先にいる人たちへ追いつくために選んだ主武器でした。
だから高音へ入る時にも、遠慮して輪郭を消すより、言葉と音程を明るく前へ出す方向が育ちました。
ただし、現在の声を「すべて地声」「すべてミックスボイス」と一つの名前で決めることはできません。
曲の高さ、音量、母音、感情によって、声に残す厚みは変わります。
ミックスボイスと裏声の違いを考える時も、手越さんのように一曲の中で複数の質感を使う歌手を、一種類の声だけで説明しない方が実像に近づきます。
派手に聞こえる理由は、声量より選択肢の多さにある

手越さん自身は、曲によって歌い方を大きく変えることを自分の強みとして挙げています。
まっすぐな声、少し歪ませた声、息を多く含む声、裏声寄りの軽い声を、楽曲の人物像に合わせて使い分けます。
この選択肢の多さが、結果として歌を派手に聞かせます。
最初から最後まで大声なら、耳はやがてその強さに慣れます。
静かな場所、細い場所、まっすぐ伸ばす場所があるから、ここぞという高音が急に大きく見えるのです。
本人は、作曲家へ曲の主人公がどんな人なのかを確認し、その人物になりきるように声を決めると語っています。
同じ本人が歌っていても、曲ごとに声の服を着替える感覚です。
声量があることと、いつも声量を使うことは別です。
手越さんの強さは、音量の最大値だけでなく、使わない場面を含めた幅にあります。
大きなビブラートは「手越らしさ」であり、曲を奪う危険もある
ファンの歌唱評では、手越さんの高音と並んで、大きく分かりやすいビブラートが繰り返し語られています。
長く伸ばす一音に揺れが加わると、声の存在感が増し、フレーズの終わりまで主役でいられます。
一方で、上のハーモニーを担当した時に、その強い個性が相手の旋律より前へ出て聞こえるという見方もあります。
これは下手だから起こる問題ではありません。
一人で聴けば魅力になる表現が、二人以上の声の中では配分を必要とするという話です。
本人も、カラオケ採点を狙う歌い方ではビブラートや声量を「全部盛り」にする一方、普段の音源ではもっと引くと説明しています。
つまり大きなビブラートは、無意識の癖ではなく、出そうと思えば出せるカードです。
カードを毎回切らず、まっすぐ終える音や息へほどく語尾を残す。
その差があるため、ビブラートが入った一音だけに特別な意味が生まれます。
『ONE LIFE』では、歌い上げないことが一番難しかった
『ONE LIFE』は、手越さんの歌い方を「強い高音の人」という像から見直しやすい曲です。
本人は、聴き手の心へ自然に入る歌を目指し、うまさを見せつける歌い方を避けたと話しています。
この曲では、最初から最大の声で感動を作ろうとしません。
最後の転調など、思いを強く押し出す場所まで力を取っておくため、前半には素朴さと余白を残しています。
さらに興味深いのは、優しい声を出す時には表情も変えるという本人の考えです。
口角を上げ、強いロックを歌う時とは違う顔で録音すると、声色も変わると説明しています。
声は喉だけで作るものではなく、曲の人物がどんな顔で話しているかまで含めて決まる。
『ONE LIFE』の引き算は、単に小さく歌う技術ではなく、聴き手へ近づく人物を選んだ結果なのです。
ソロになって最初に崩れたのは、声ではなく配分だった
グループでは、数人で歌を分け、別のメンバーが歌っている間に回復できます。
ところがソロライブでは、全曲を一人で歌い、その間のMCまで自分で担当しなければなりません。
手越さんは、ソロ最初期のライブを非常に厳しかったと振り返っています。
グループ時代のソロ曲は、一公演に一曲だけ全力で歌えばよかったものです。
それをソロ公演で何曲も続けると、同じ高音を出せても最後まで維持する設計が足りないことが見えました。
そこで、独立後最初のシングル『シナモン』を出す半年前ほどから、発声を一から鍛え直します。
一音の高さを伸ばすより、何曲歌っても次の一曲へ同じ状態で入れる力が必要になったからです。
この経験によって、高音の意味も変わりました。
出せる音を毎回使うのではなく、公演全体のどこへ置くかを考える必要が生まれます。
高音を張り上げずに扱う考え方は、最大音量より再現性を優先する点で、この変化を理解する助けになります。
『絆 -KIZUNA-』で、他人から「弱い手越」を渡された

手越さんは高音の人として知られています。
だからこそ、コラボ作品『絆 -KIZUNA-』では、参加した作家たちがあえて別の面を求めました。
曲によっては、手越さんならもっと高く歌えるにもかかわらず、低めのキーが選ばれています。
強く前へ進む主人公ではなく、傷つき、迷い、自信を失った人物を表すためです。
本人も、その人物に合わせて息を増やし、普段より弱く、時には女性的な柔らかさを感じさせる声を選びました。
これは高音を封印したのではありません。
高音だけが本人の価値だという見方を、一作品の中から崩した試みです。
何でも歌える人ほど、できることを減らすのは難しくなります。
『絆 -KIZUNA-』では、他人が書いた人物を借りることで、自分なら選ばなかった弱さを声へ入れられました。
真似したいのは結果ではなく、曲ごとに役を選ぶ順番
手越さんらしく歌おうとして、高音を張り、語尾を大きく揺らし、すべてのフレーズへ声量を足すと、表面だけが似た歌になります。
しかも、喉や首に負担を集めれば、本人の長年の訓練とは正反対です。
参考にしやすいのは、技の派手さではなく判断の順番です。
まず曲の主人公と距離を決め、その人が強く言う場所、弱く漏らす場所、まっすぐ伝える場所を分ける。
その後で、高音、ビブラート、息声、歪みの中から必要なものだけを選びます。
技術は主人公の感情を見せる道具であり、持っている技術を披露するために主人公がいるのではありません。
手越さんの歌唱が派手でも崩れないのは、常に派手だからではありません。
足し算を十分に覚えたあと、何を引けば一番強く届くかを考えているからです。
NEWS、テゴマス、ソロ活動を通じて、この配分がどう変わったのかは、手越祐也さんの歌唱変遷で年代順にたどれます。
まとめ
手越祐也さんの明るい高音は、声変わり後から自然に出ていたものではなく、芸歴の差へ歌で追いつくために磨いた武器でした。
ビブラート、声量、歪み、息声を大きく使えることも、確かな個性です。
しかし現在の面白さは、それらを全部使うことではありません。
『ONE LIFE』では歌い上げず、『絆 -KIZUNA-』では低いキーと弱い人物を引き受け、ソロライブでは一公演を走り切るために配分を作り直しました。
派手な歌手が引き算を覚えると、弱くなるのではなく、強さを置く場所がはっきりします。
手越さんの歌は、高音の高さ以上に「今は出さない」と決められることによって、長い曲やライブの中でも崩れずに輝いています。






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