TETTAの歌声の変遷|柔らかな高音を磨き、歌で勝負するようになるまで

2026年九月、「INFERNO」公演のTETTA TETTA
2026年九月、「INFERNO」公演のTETTA

TETTAの高い声には、勢いとともに、柔らかく耳へ届く魅力があります。
その声を持つ本人も、最初から思い通りに歌えていたわけではありません。
ONE N’ ONLYでの歩みをたどると、声への不安を確かめ直し、歌で勝負する曲を求め、自分で歌を作るようになった変化が見えてきます。

歌への憧れが、グループの声になっていく

歌への入口には、ものまねがありました。
中学生の頃、美空ひばりを歌うツートン青木や青木隆治に感動し、自分でも練習したといいます。
人前で歌って喜んでもらったことが、さまざまな歌を聴き、研究する楽しさにつながりました。

EBiSSHとさとり少年団の合同プロジェクトから生まれたONE N’ ONLYは、日本語にも英語のような流れを持たせる歌を追求していました。
TETTAは、最初は一度一緒にやってみようという話から始まり、レッスンが増え、「I’M SWAG」ができたと振り返っています。

2018年十一月、「I’M SWAG」でCDデビュー。
後の2025年のメジャーデビューより前から、グループとして歌を積み重ねていたことになります。

2020年、強い曲の中で柔らかな高音が際立つ

最初のアルバム『ON’O』の「Breathe」は、TETTAの声の個性を考える大切な曲です。
REIは、そのデモを聴き、高音でも強く主張しすぎず、柔らかく入ってくる声を高く評価していました。
この時点で、ただ大きく歌うこととは違う持ち味が仲間にも伝わっていました。

2020年、『ON’O』期のTETTA
2020年、『ON’O』期のTETTA。
画像出典:画像掲載元

一緒に歌うEIKUも、TETTAの突き抜けるような高音に刺激を受けたと話しています。
EIKUにとって、ほかの二人の声は、新しい歌い方を学ぶきっかけでした。
三人のボーカルが同じ声を目指すのではなく、互いの個性から学べることが、グループの強さになっていきました。

2021年、ファルセットで自分の弱さも差し出す

「We Just Don’t Care」では、サビをファルセットで歌いました。
TETTAは、活動するほど自分の足りない部分に気付き、悔しくなる時期もあったと明かしています。
この曲は、うまくできない自分も受け止めながら進む気持ちと重なり、その温かさを歌に込めたものでした。

本人は、地声で押す代わりにファルセットを使うことで、曲の繊細さが引き立つと考えていました。
背中を押す曲でも、歌声は柔らかく、ダンスは力強く。
勇気を届ける方法を、声の勢い一つに任せない組み合わせです。

高い声が出ることと、その声で何を伝えるかは、別の課題です。
ここでは、強い自分を見せ続けるだけでなく、迷いも抱える人の歌へと表現を広げています。
柔らかい声は、音域を上げるためだけでなく、気持ちを近づけるための選択になりました。

アカペラと発声の見直しで、声を任せきりにしなくなる

2022年の「UNITE」ツアーでは、以前から望んでいたアカペラに挑戦しました。
自分で歌い出しと間を決める緊張がありながら、その場の空気を作ることを楽しんでいます。
どうすれば客席へ届くかを考え、録音しては聴き比べ、歌を磨きました。

2023年には、初期は自己流の部分が多く、その日の最初の声が出るか不安だったと振り返っています。
ボイストレーナーと練習し、さまざまな音楽を聴く中で、細かな発声や技術が少しずつ分かってきた。
本人は、その頃には以前より伸び伸びと歌えるようになったと感じていました。

華やかな高音を持つ歌手にも、歌い始める前の不安はあった。
それを自信だけで押し切るのではなく、録音して確かめ、学んだことを次の歌へ戻していく。
舞台での余裕を支えていたのは、声を客観的に聴く作業でもありました。

2023年、歌を聴かせる曲を自分たちから求める

「Reflection」は、ライブを重ねて歌唱力が付いてきたからこそ、歌で見せる曲が欲しいという思いから生まれました。
TETTAはEIKUと作詞に参加し、レッスン場の鏡を題材に、自分たちの葛藤と前へ進む気持ちを書いています。
歌を受け取るだけでなく、歌う言葉を作る側にも踏み込みました。

歌詞は、遠征先のホテルなどでも考えていました。
当初はもっと直接的で深刻な言葉が多く、JUNEの助言を受け、柔らかい表現へ修正しています。
本音をそのまま出すことと、聴く人へ届く歌にすることの違いを、制作の中でも確かめていました。

遠くの国を目指すことが、日本のファンを置き去りにする意味になってほしくない。
TETTAは、そうした思いも歌詞へ入れました。
個人の迷いから仲間と進む未来へ、わずかな言葉の違いに心の動きを込めています。

同年の「You are」は、ロックバラードをCD作品の表題曲に据えた挑戦です。
TETTAは、ボーカル三人だけで完結せず、ダンサーも含めて一つの作品にしたかったと話しています。
歌を中心に置きながら、グループ全体で見せる曲を求めていました。

歌声を聴かせる表題曲への喜びと同時に、本人は、ピアノとギターを軸にしたシンプルな構成の難しさも感じていました。
声を前面に出すほど、歌の表情を自分たちで担う部分が増える。
歌唱力への手応えは、さらに歌の力を問われる曲へ向かう動機になっています。

2024年、強調する歌から、流れを生かす歌へも

47都道府県を回る中で、TETTAはボーカルを突き詰め、公演ごとに自信が付いたといいます。
次の『Fiesta』でも、新しい歌い方を試しました。

2024年、『Fiesta』期のTETTA
2024年、『Fiesta』期のTETTA。
画像出典:画像掲載元

表題曲「Fiesta」では、準備していた強いアクセントを、録音の途中で変えています。
言葉をつないで流れるようにした方が聴きやすいという助言を受け、いくつも試して形を決めました。
自分の歌を作り込んでいても、現場で別の方法を受け入れる柔軟さがあります。

一方の「Free Hug」は、明るく、笑顔を感じさせる歌い方を選んだ曲です。
同じEPの中で、勢いのある曲と、親しみやすい歌の両方を担っていました。
グループの表現が広がるにつれ、TETTAの声にも違う役割が生まれています。

バンドでの歌、そして自宅で組み立てる「FREEZE」へ

2025年の「EBiDAN THE LIVE」では、EBiDANバンドのボーカルに初挑戦し、10-FEETの「第ゼロ感」を歌いました。
EIKUがドラムを担当する心強さがありながら、本人は強い緊張も感じていたといいます。
慣れたグループの歌割りを離れ、別の編成の中へ立つ経験です。

同年の「BLAST」期には、ボーカルとラップの担当を固定しすぎず、曲に応じて歌えるグループを目指すと話しています。
自分の声の個性を持ちながら、メンバーの役割も広げていく。
歌手としての成長は、グループの歌の作り方とも結び付いていました。

2026年の「INFERNO」では、HAYATOとのユニット曲「FREEZE」を披露しています。
二人でメロディーを作り、それぞれのパートを自分たちで作詞しました。
自宅で録音し、言葉が旋律へどう収まるかを確かめながら仕上げたと、TETTAはステージで明かしています。

夜中にHAYATOが訪れ、作詞は別々の部屋で。
一人で考えた言葉を持ち寄り、実際に声にして確かめる作業を、二人で進めていました。

初期には、まず声が出るかという不安がありました。
その後は、録音を聴き直して歌い方を選び、やがて歌う言葉と旋律そのものを確かめるようになる。
柔らかな高音を磨く歩みは、歌を自分で組み立てる力へとつながっています。

TETTAの変化を、昔より高い声が出るようになったという一言だけで捉えると、この過程が見えなくなります。
声の持ち味を知り、その持ち味をどの曲でどう使うかを選ぶようになったことが大切です。
地声と裏声、発音や語尾の具体的な工夫は、TETTAの歌い方で掘り下げています。

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