来生たかおの歌声の変遷|「Goodbye Day」を35年後に録り直した理由

来生たかお『夢のあとさき』ジャケット シンガー

1981年のシングル「Goodbye Day」を、来生たかおは2016年の『夢のあとさき』でも歌い直している。
40周年の再録盤を作った理由には、過去の録音に残っていた不満があった。
編曲や音作りだけでなく、歌やキーにも、改めて取り組みたいところがあったという。

ところが、オーケストラと一緒に録った歌の多くは、最初から完成品のつもりで歌ったものではなかった。
あとで録り直してもよいと思っていた歌が、そのまま作品に残ったのである。
来生の歌の歩みをたどると、長く親しまれた曲を守りながら、歌を録る方法や舞台の編成を選び直してきたことが見えてくる。

1981年『Sparkle』収録版。

「浅い夢」から、自分で作品を作り上げる時代へ

1976年、「浅い夢」で歌手デビューした来生は、姉の来生えつこが書く詞に曲をつけ、自分でも歌う活動を始めた。
最初の5年間は、商業的には恵まれなかったと後に振り返っている。
後年の代表曲だけを並べると見落としやすいが、自分の声で歌った作品を重ねながら、聴き手へ届くまでに時間がかかった人でもある。

来生たかお『浅い夢』ジャケット
1976年『浅い夢』。
画像:公式掲載元。

1981年の『Sparkle』は、初めて自らプロデュースしたアルバムだった。
収録された「Goodbye Day」は、同じ年にシングルでも発表されている。
歌と作曲に加え、一枚の作品を自分の考えでまとめる立場へ進んだ時期だ。
その年には「夢の途中」も発表し、他の歌手へ曲を提供する仕事と、自分の歌を聴いてもらう活動が並んで広がっていった。

来生たかお『Goodbye Day』ジャケット
1981年『Goodbye Day』。
画像:公式掲載元。

後の『夢のあとさき』には、「浅い夢」のようなデビュー期の曲から、「セカンド・ラブ」「シルエット・ロマンス」といった提供曲までが入る。
そこで歌い直したのは、来生自身のヒットシングルだけではない。
別の歌手の声を通じて知られた旋律も、自分が歌うレパートリーとして育てていったのである。

1976年アルバム収録版。

ピアノ一台の公演を重ね、共演者も迎え入れる

ピアノで弾き語る姿は、2000年代に突然生まれたものではなかった。
1990年の中野サンプラザ公演にも、「Goodbye Day」や「浅い夢」を弾き語りで披露した記録がある。
バンドと歌う曲だけでなく、自分の演奏と声で一曲を届ける場面を、すでにステージに持っていた。

その形をツアーとして本格的に展開したのが、2001年だった。
公式年譜には、この年に初めての弾き語りツアーを7か所で行い、2003年にはピアノ弾き語りだけの「Stand Alone」を6か所で開催したとある。
歌の合間を別の楽器に預ける編成とは違い、ピアノを進める自分が、そのまま歌の時間も作る。
一曲の途中だけでなく、公演全体をその形で届ける経験を積んでいった。

ただし、「Stand Alone」という名前の公演が、その後もすべて一人だけの演奏だったわけではない。
2015年には「Stand Alone Acoustic Tracks」として、ギター、打楽器、鍵盤のサポート奏者を迎えた。
同じ年にはオーケストラと共演する40周年公演も始まっている。
少人数の歌から大編成へ一方向に進んだのではなく、その時々の公演に合わせて、一人で歌う経験も共演者のいる場も選んでいた。

2016年、代表曲とアルバムの中の曲を録り直す

『夢のあとさき』は、オーケストラとの録音を中心とする一枚と、バンドを中心とする一枚で構成された。
渡辺俊幸が編曲したオーケストラ盤には「Goodbye Day」や「夢の途中」を収録。
バンド側では、星勝や萩田光雄らが編曲を手がけ、初期のアルバム曲や提供曲にも改めて取り組んでいる。
「風のニュアンス」と「明日物語」という新曲も入っており、収録曲すべてが昔の曲の再録というわけではない。

たとえばバンド側に選ばれた「ボートの二人」「待ち人来たらず」は、デビューアルバムにも入っていた曲だ。
広く知られた曲を新しくする一方、最初期のアルバムを聴いていた人が覚えている曲にも、40周年時点の歌を残した。
代表作が増えたあとで初期へ戻ることは、ヒットの有無とは別に、自分の曲を選び直す機会にもなる。

2016年『夢のあとさき』再録版。

一方、この再録盤を聴いたファンの記録には、「待ち人来たらず」のゆっくりしたテンポと、拍より後ろへ寄るように感じる歌い方に戸惑ったという感想もある。
初期のアルバムでも特に好きだった曲だけに、以前の弾む感じを惜しんでいた。
本人にとって歌い直す意味のある曲でも、初期の録音を好む聴き手がいる。
旧作へ戻ったことで、歌う側と聴く側が大切にするものの違いも表に出た。

1976年アルバム収録版。

2016年『夢のあとさき』再録版。

第一枚目の最後に置かれた「浅い夢」は、アコースティック編曲で収めた。
TSUKEMENのTAIRIKUとKENTAがヴァイオリンで参加した。
二人は2011年のサントリーホール公演でも共演している。
デビュー曲を新たな伴奏に置くとき、過去のステージで生まれた共演の縁も録音へつながった。
長い活動の中で出会った演奏家と、最初の曲をもう一度作るという面もあったのである。

2016年『夢のあとさき』再録版。

来生たかお『夢のあとさき』ジャケット
2016年『夢のあとさき』。
画像:公式掲載元。

仮歌として歌った声を、作品に残す判断

再録したいという本人の希望は、過去の編曲、音作り、歌、キーへの心残りから生まれた。
ここでいうキーの問題は複数の曲についての話で、「Goodbye Day」の調を何音変えたという説明ではない。
以前の録音で十分に実現できなかったことへ、改めて手をつける機会だった。

オーケストラとの録音では、約60人の演奏に合わせて歌った。
来生は当初、それを仮歌と考え、出来がよくなければ歌を録り直すつもりだったという。
演奏者が一緒に進むための歌として録っておき、完成させる段階で改めて声を入れる選択肢があったのだ。
しかし、実際には多くの歌をそのまま採用することになった。

本人が振り返ったのは、大人数との同時録音のスリルと、緊張感の大切さだった。
直したいところがあって再録に臨んでも、必ず別のテイクへ置き換えることが答えになるわけではない。
この作品では、演奏と同時に歌った声を聴き返し、残すという判断も行われた。
再録前の希望だけでなく、録音してからの選択まで含めて、40周年の歌が出来上がっている。

2016年『夢のあとさき』再録版。

40周年公演に向けた本人インタビュー。

50周年の選曲と、歌い続けるための区切り

2025年11月26日のNHKホール公演は、『夢のあとさき』の新曲だった「明日物語」で始まった。
40周年に加えた曲が、次の大きな節目を告げる歌になったのである。
一方、アンコールの最後には「Goodbye Day」が置かれた。
1981年の代表曲と、2016年に生まれた曲が、一晩の始まりと終わりを受け持った。

2016年『夢のあとさき』収録のスタジオ音源。

公演では、80年代に他の歌手へ書いた8曲をつなぐメドレーも歌った。
「楽園のDoor」や「あなたのポートレート」など、提供先の歌声を通じて親しまれた曲を、作曲者自身がまとめて歌う構成である。
自分の代表曲と提供曲を行き来できることは、歌手と作曲家の両方を続けた来生のステージを支える持ち味だ。
40周年の再録で取り組んだ、自作の数々を現在の声で届ける仕事は、その後の選曲にもつながって見える。

2025年の50周年公演の案内映像。

そして2026年3月、来生はこの50周年ツアーを、ツアーとしての最後にすると発表した。
数年来、体力面に不安を感じながら公演を続け、今後を考えて決めたと説明している。
同時に、機会があればコンサートを行い、作曲も続けたいという意向を示した。
全国を巡るツアーに区切りをつけることと、歌や曲作りを終えることを、本人は分けていた。

若い頃に残した録音を長く歌い、舞台では伴奏の形を変え、40周年には歌を録り直すかどうかも選んだ。
50周年では、これから音楽を続けるために活動の規模を見直している。
来生の変遷から浮かぶのは、同じ曲を同じ条件で繰り返すのでなく、その時点で納得できる歌の残し方と届け方を考える姿だ。
一曲の中で言葉をどう自然に伝えるのかは、来生たかおの歌い方で掘り下げている。

シンガー人気投票。投票ページはこちら

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました