TEEの歌声はどう変わった?「ベイビー・アイラブユー」の告白から「空」の弱さへ

TEEの公式プロフィール掲載写真 TEE

「ベイビー・アイラブユー」のヒットで知られた声を、TEE自身は最初から好きだったわけではない。
他の歌い手と声を重ね、洋楽を日本語で歌い、提供された曲の難しい息継ぎにも取り組んだ。
その先の「空」では、現在の自分の弱さを歌へ持ち込んでいる。
特徴的な声をどう受け入れ、誰の言葉を、誰に向けて歌うようになったのか。
作品の作り方と本人の振り返りから、その変化をたどる。

言いたいことを、すぐには言えない歌

TEEは2010年7月にメジャーデビューし、同年10月に二枚目のシングル「ベイビー・アイラブユー」を発表した。
本人が発売時に説明したのは、相手を好きだと気づいても、気持ちを言葉にできない男の物語だ。
付き合った後にも、この関係が続いてほしいと願う。
きれいに整った告白より、相手を思う不器用さを歌おうとしていた。

2021年の本人取材によると、この曲は初めて作ったラブソングだった。
一番言いたいことをサビへ置く一方、AメロとBメロは何度も書き直したという。
有名な短い言葉を、歌の冒頭から堂々と言うのではない。
そこへたどり着けない時間を長く置くことが、サビで伝える気持ちの強さにつながっている。

歌い方にも、その順序がある。
2019年のFUKIとの対談で、TEEはバースを語り口調で歌い、サビになると急に歌へ変わると説明した。
旋律へきっちり乗せない部分があり、本人もそこを難所に挙げている。
声のかすれた質感だけでなく、話し言葉と歌の間を行き来することが、この曲の個性だった。

ただし、ヒットしたことと、自信を持って歌えたことは同じではなかった。
TEEは後年、知名度に実力が追いつかず、歌のうまさに引け目を感じていたと振り返っている。
広く知られた声を、歌う本人が受け止めていく時間も必要だった。

別の声に渡して、曲の広がりを知る

2011年にはシェネルの英語カバーが生まれ、TEE自身も彼女との新録デュエットを発表した。
TEE側の「love with シェネル」は、自分の歌にもう一人の声を迎えた録音だ。
シェネルが一人で歌った英語版や、彼女側の「love with TEE」とは、それぞれ異なる版になる。

原曲で一人が探していた言葉を、違う声や言語でも届けられる。
歌い手が変わると曲も別の表情を持つ、という経験が早い時期にあった。
一方、歌が広がった先には、作品を自分たちの出来事に重ねる聴き手もいた。
TEEは2021年、結婚式で使った夫婦に会うたび、聴く人の人生の中で曲が完成するように感じると話している。

2015年、短い一言の理由を掘り下げた

「ベイビー・アイラブユー」の後、TEEは歌詞の一行を掘り下げるようになった。
2015年の取材では、好きだと書くこと自体は簡単でも、なぜその言葉を置くのか、もっと合う言葉はないかを考えると説明している。
直接的な言葉を避けるのではなく、そこへ行き着くまでの気持ちを確かめる作り方だ。

同年の「5年後のアイラブユー」は、その姿勢を代表する続編になった。
制作にあたっては原曲を何度も聴き、まだ伝え切れていなかった思いを探したという。
MVも同じ主演、撮影場所、制作スタッフで、二人のその後を描いている。
最初の告白を繰り返すだけでなく、関係を続けた人に何が言えるかを、新しい曲で考え直した。

同じ年の「バカみたいに愛してた」では、過去の恋を振り返るために、RYOJIの声を必要とした。
TEEが求めたのは、温かさと、耳に残るサビのメロディーだった。
打ち合わせから録音まで一緒に取り組み、歌の中心を別の人にも託したのである。
自分で言葉を書くことと、曲にふさわしい他者の表現を受け入れることが、並んで進んでいた。

この頃のTEEは、自分の声もようやく好きになってきたと話している。
ライブで叫ぶと高く響いたり、人にまねをされたりすることが、以前は苦手だったという。
人にすぐ分かってもらえる声は、本人にとっては扱いづらさのある声でもあった。
その個性を大事にしたいと思えるようになったことが、他の声と組み合わせていく時期と重なる。

洋楽のカバーで、他人の曲に自分の経験を入れる

2017年には、洋楽を日本語で歌う『MASTERPIECE ~THE WORLD BEST COVERS~』を発表した。
自分の曲がカバーされてきたTEEが、アルバム一枚を通して他者の作品を受け取る側に立った。
本人は2019年、このアルバムやテレビ番組でのカバーが刺激になり、歌の勉強にもなったと振り返っている。

「See You Again」は、別れと友情という原曲の主題を、日本語とレゲエの伴奏で組み直した曲だ。
後に公開したMVでは、ボクシング時代の先輩で、亡くなった友人でもある辻昌建への思いを重ねている。
既存の旋律を歌っても、そこで思い浮かべる相手は自分の人生とつながっていた。
他者の曲へ近づくことと、自分の経験を込めることは両立する、と分かる一例である。

『Golden 8』で、得意な歌い方の外へ出る

2019年の『Golden 8』は、敬愛する八組の音楽家に自分の声をプロデュースしてもらうアルバムになった。
背景には、九年ほど活動する中で、自分の作るメロディーが似通ってきたという感覚があった。
自作だけでは出会えない歌を、他の作り手に求めたのである。

前川真悟との「JUMP UP!」では、沖縄のフェスで皆が一緒に歌える曲を目指した。
TEEが沖縄へ来る、という場面を二人で話し、前川ならではの曲を受け取ったという。
作り手と話し、誰とどこで歌うのかを共有することが、新しい歌へ入る手掛かりになった。

清水翔太に依頼した「片方の未来」では、もっと具体的な歌唱の課題にぶつかった。
優しく歌う、土の匂いを感じさせるように歌う、感情を強く出すといった抑揚には、TEEも手応えがあった。
それでも清水の曲では、息継ぎの表現が難しかったという。
本人が「翔太ブレス」と呼んだその歌い方を身につけるため、繰り返し歌い込んだ。

得意な声色へ曲を引き寄せるだけでは、提供された歌の表情を受け取り切れない。
息の使い方まで、他の歌い手の発想から学ぶ必要があったのだ。

「片方の未来」の録音風景(2019年公開)。

Microとの「I and 愛」では、言葉を作る手順にも発見があった。
TEEは歌詞をある程度まとまった文章で考えるが、Microは一節ずつ考えては歌い、その場で試し直していったという。
共作は完成した歌を分担するだけでなく、声に出しながら言葉を決める過程に触れる機会にもなった。
TEEはこのアルバムで、自分でも知らなかった自分を見つけられたと話している。

TEEとMicroの共演ライブ(2020年公開)。

「空」では、励ます自分の弱さも歌った

2022年の「空」では、歌へ持ち込む言葉の出発点が変わった。
2025年の本人取材によると、ヒット以降はファンの期待を大切にしてきたが、今回は今の自分を映したかったという。
コロナ禍で子どもが生まれ、生きる意味を問い直したことが制作につながった。

曲には、けがでボクシングを断念した頃、父親に空を見るよう言われた記憶も重なっている。
TEEは、聴き手を上から引っ張るより、同じ目線で寄り添いたいと考えている。
だから、このときの弱さもそのまま歌った。
完成後は、自分自身が落ち込んだときにも支えになる曲になったという。

USENのインタビューに掲載されたTEEの本人写真
TEE(2025年の取材写真)。
写真出典:USENインタビュー

2025年の「証明」でも、誰かを励ます言葉を、自分と無関係な場所から歌ってはいない。
依頼元のドキュメンタリーの現場を訪れ、就職後にも戸惑いながら働く人たちへ、自分の迷いを重ねた。
十五年続けても人生の答えは出ていない。
自分を鼓舞する曲で、他の人の夢にも光を当てたいと話している。

初期の不器用な告白も、後年の答えの出ない自問も、簡単には言い切れない気持ちを歌へ渡している。
そこには、他者の声を迎え、他者の旋律や呼吸を学んでも残る、聴き手に近い場所で歌いたいという姿勢がある。
「ラブソングのTEE」という像を少し休ませているのかもしれない、と本人は表現した。
得意な歌を捨てるのでなく、自分の声に託せる気持ちが増えてきたのである。

最初の代表曲で、語るような部分からサビの告白へどう進むかは、TEEの歌い方で詳しく扱う。

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