「Still Loving You」や「Wind of Change」でクラウス・マイネを知った人にとって、あの歌声は、最初からずっとScorpionsを支えてきたものに思えるかもしれません。
ところが、代表曲を次々に送り出す直前に、彼は歌えなくなっています。
『Blackout』を制作していた頃のことです。
1984年の『Love at First Sting』に入った「Still Loving You」は、その危機を越えたあとのスタジオ録音です。
華やかな成功の裏には、もう一度歌えるのかと考えた時間がありました。
そして声を取り戻したあとも、マイネは昔のやり方だけで歌い続けたわけではありません。
初期――澄んだ声を、もっと荒くしたかった
若い頃のマイネは、自分の声を、きれいで澄んだ声だったと振り返っています。
しかし、ロックのカバーを歌っていた本人は、もっと荒っぽい声にしたかった。
初期のクラブ公演では、休憩を挟みながら一晩に何時間も演奏し、長い時間叫ぶように歌ったといいます。
もともとの声を、そのまま気に入っていたわけではなかったのです。
ロックを歌うなら、もっと荒れた響きが欲しい。そう思って声を使っていた時期がありました。

後年マイネは、そのような歌い方に加え、Scorpionsでツアーと録音を繰り返した負担を振り返っています。
成功へ進む忙しさの中で、声はいつでも同じように使えるものではなくなっていきました。
『Blackout』制作期――録音に戻れても、まだ安心できなかった
声の不調は、1982年に発表される『Blackout』の制作期に、大きな問題になります。
マイネは手術を受け、歌えないだけでなく、話すことを控える時期も過ごしました。
ほかのバンドの演奏を見て、自分がしていたことを、またできるのだろうかと考えたそうです。
ルドルフ・シェンカーは、別の歌手が欲しいわけではない、声のために必要なことをしてほしいと支えました。
仕事を先へ進めたい仲間が、戻るのを待ってくれている。
その支えを受けながら、マイネは再び歌うために取り組んでいきます。
本人は、およそ半年ほどを経て、録音に戻れたと振り返っています。
ただし、スタジオで歌えることと、何か月も各地を回るツアーに耐えられることは、別の心配でした。
『Blackout』を完成させても、その不安まで同時に消えたわけではなかったのです。
再び自信が持てたのは、その後の長いツアーを終えたときだったそうです。
『Blackout』、続く『Love at First Sting』の成功は、声を取り戻しただけでなく、その声で公演を続けられると確かめた時期でもありました。
2007年――有名な歌手になってからも、初めての準備があった
それから長い年月が過ぎた『Humanity: Hour I』(2007年)の録音でも、マイネには初めての経験がありました。
プロデューサーのデズモンド・チャイルドが、ヴォーカルコーチのエリック・ヴェトロと、制作中ずっと取り組むことを提案したのです。
それ以前にもレッスンを受け、ツアーでは声の練習をしていました。
しかし、スタジオで録音する期間を通して、このようにコーチと準備するのは新しいことだったそうです。
一日の調子に任せず、歌を録る日にきちんと声を使えるようにする、という狙いがありました。
コーチの家で顔を合わせた俳優に、あなたにはそんな練習は必要ないでしょうと驚かれたこともあるといいます。
それでも、マイネ本人は新しく学べることを喜んでいました。
もう実績があるから終わり、とは考えていなかったのです。
同作のタイトル曲「Humanity」について、マイネは、バラードのようなメロディーから、重いリフのあるロックへ進む曲だと説明しています。
穏やかな部分と激しい部分を含む一曲を歌うためにも、録音に向けて声を整えることには意味がありました。
2015年の取材でも、ヴェトロから学んだ練習をツアーやスタジオで続けていると話しています。
1980年代ほど声を酷使せず、休めることにも気を配る。
声の危機から復帰した経験に、その後の新しい学びも積み重ねていたのでした。
2013年――同じ「Still Loving You」を、別の編成で歌う
声を長く使うための工夫とともに、歌う環境も変えてきました。
2013年、アテネで収録された『MTV Unplugged』では、アコースティック楽器を中心に、曲を組み直しています。
「Still Loving You」も、その一曲です。
マティアス・ヤプスは、準備段階で、二本のギターとアコーディオンを使い、タンゴとしてこの曲を試したと話しています。
普段の伴奏を単に小さな音へ置き換えるのではなく、リズムや伴奏の響きから考え直していたのです。
冒頭の1984年のスタジオ録音と、ここでの2013年アテネ公演の歌には、29年の隔たりがあります。
ただ、違っているのは歌手の年齢だけではありません。演奏する楽器も、曲の編曲も変わっています。
その違いを踏まえると、若い頃の歌唱をどれだけ再現したかだけでなく、同じ歌を別の伴奏でどう歌うかという楽しみ方ができます。

マイネにとって、この企画は大きなロックショーの格好よさより、曲そのものを伝える機会だったそうです。
ほかのメンバーが歌う曲や、自分がギターを弾いて一人で歌う曲も入りました。
いつもと同じ公演を縮小したのではなく、歌の聴かせ方を作り直したステージでした。
ギターと声だけで曲を届けようとする考え方や、声に合うカバー曲を選んだ話は、クラウス・マイネの歌い方でも扱っています。
復帰したあとにも、新しい歌の経験があった
マイネは、若い頃に欲しかった荒い声を追いかけ、やがて歌うこと自体が難しくなる時期を経験しました。
戻ってきたあとも、まず録音で、次に長いツアーで、その声を使えるかを確かめています。
その先にあったのは、復帰したときの歌い方をずっと守ることだけではありませんでした。
録音のための新しい練習を取り入れ、同じ曲を違う編成で歌い、何を変えれば歌を届けられるかを考え続けています。
だから「Still Loving You」の1984年版と2013年版は、声が保たれたかどうかだけを判定する材料にはしたくありません。
危機のあとに生まれた代表曲を、長く歌ってきた本人が、違う音楽としても歌っている。
その間に積み重ねた経験まで考えられるところに、マイネの歌声をたどる面白さがあります。
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