カネコアヤノの歌い方はなぜ弾き語りで強く届く?『祝祭』の最後に置いた「祝日」を読む

カネコアヤノの公式プロフィール写真 カネコアヤノ

カネコアヤノの「祝日」を語るとき、「弾き語りだから素朴」とだけ言うと、いちばん面白い判断を見落とします。
2018年のアルバム『祝祭』で、彼女はこの曲を最初から一人で録る予定だったわけではありません。
バンドで録るつもりから、最後の段階でギターと歌だけに変えました。
伝えたいことが大切だから、その方法が最も強いと考えたのです。

では、バンドで歌う彼女と、ギターを抱えて一人で歌う彼女は、何を変えているのでしょうか。
ここでは年代ごとの声の変化ではなく、一曲の言葉を誰と、どの距離で届けるかという歌い方を考えます。
裏声の獲得から近年のバンドまでの変化をたどりたい人は、別稿のカネコアヤノの歌唱変遷も読んでみてください。

バンドでは、自分が歌わない瞬間も音楽が続く

『祝祭』の冒頭「Home Alone」は、バンドの演奏で始まります。
全体もバンド曲が中心です。
カネコは当時の取材で、バンドで演奏するのは楽しく、マイクから離れたところで声を上げても、周りには三人がいて、その場の空気を大事にできると話しました。
ここでいうバンドの利点は、伴奏が大きいことだけではありません。
歌だけでその場のすべてを担わず、仲間の演奏にも身を任せられることです。

別の曲「グレープフルーツ」についての本人の話は、その意味を少し深くします。
かつての苦しい気持ちを今はそのまま思い出せず、弾き語りでは歌いにくい一方、バンドではメンバーの助けで歌えるというのです。
バンドは歌を飾る背景であると同時に、一人では引き受けきれない感情を支える場所にもなっています。

ただし、「祝日」のバンド録音が『祝祭』に収録されているわけではありません。
本人が語ったのは、録音する前に編成を変えた経緯です。
なぜこの曲だけを弾き語りでアルバムの最後に残したかが、ここでの手がかりです。

2024年公開のカネコアヤノのアーティスト写真
カネコアヤノ公式サイトが2024年に公開した写真 出典:カネコアヤノ公式サイト

一人で歌うときは、言葉を一つずつ手渡す

同じ取材でカネコは、弾き語りでは歌詞を一つずつ丁寧に歌い、客席の人と目を合わせると話しています。
バンドでは自分の声以外にも、その場を動かす音がある。
一人の舞台では、歌う言葉と、言葉の間の沈黙も自分で持つ。
その違いがあります。

カネコは、弾き語りではギターもバンドのときより丁寧に弾くようにしている、と付け加えています。
言葉を読み上げるように歌う姿勢と、手元の演奏を大事にする姿勢が一組になっているのです。
歌声だけを抜き出すより、言葉が置かれる瞬間にギターがどう鳴るかにも目を向けると、一人で作る歌の時間を捉えやすくなります。

その違いを本人が腑に落としたきっかけは、意外にも美術の話でした。
漫画は物語を進める楽しさ、イラストレーションは一枚に向き合って細部を描く丁寧さ、という説明を聞いて、自分のバンドと弾き語りもそうだと感じたといいます。
歌唱を二種類の声色として分けるより、時間の進め方と向き合う密度が異なる二つの表現として捉えるほうが、彼女の言葉に合います。

「祝日」について本人は、期待に応えなければという気持ちを抱えつつ、この曲を歌うと、そもそも音楽と歌うことが好きだと思い直せると語りました。
まず自分自身が曲に支えられる。
その切実さを、演奏で覆わずに聴き手へ渡したかったのでしょう。

曲の冒頭で相手をいたわる発想には、母親の記憶も重なっています。
本人は、子どもの頃にお腹が痛くなると母親に手を当ててもらい、その温かさに助けられたので、自分も誰かにそうしてあげたいと話しました。
大きな理想を呼びかけるだけではなく、目の前の人へできる小さな行為が歌の入口にある。
客席の人と目を合わせ、言葉を丁寧に渡すという彼女の姿勢は、この身近な呼びかけともよく結びつきます。

『祝祭』を「祝日」で終えると決めていたことも重要です。
にぎやかなバンド曲を重ねた最後に、急に歌が一人になる。
アルバムの前半で声を支えた演奏が退いたぶん、言葉を聴く側も、歌う人と近い場所に立ちます。
曲順と編成が、その歌の届き方を変えています。

反対側の入口である「Home Alone」にも、自分を励ます言葉を歌にする意識があります。
本人は、不安へ沈みすぎないよう、朝が来て大丈夫と思えた瞬間を曲へ残したかったと説明しています。
冒頭曲と最後の曲は、バンドと弾き語りという形こそ違っても、歌う自分を支え直す点でつながっているのです。

また「Home Alone」では、文章で読むような少し硬い言葉も、歌って気持ちがよければ取り入れると話しました。
言葉を丁寧に歌うとは、耳なじみのよい表現だけを選ぶことではない。
ひっかかりのある語を自分の旋律に載せることで、聴き手の注意を一つの気持ちへ向ける方法でもあります。

録音に使ったアコースティックギターも、この曲の録音前日に出会った一本だったと当時の記事に記されています。
アルバム全体の最後の一曲で、自分の身体になじむ楽器と声を残す。
その選択を何度も重ねて、あの簡素な形になったことが分かります。

小さな編成でも声が弱くなるとは限らないことは、当時の公演記録からも分かります。
北沢夏音は2017年の「NEWTOWN」で、マイクを使わず、ギターと肉声だけで歌う彼女を見ています。
旧小学校の音楽室に声が響き、一音ずつ確かめるような演奏だったと記しました。
これは「祝日」の録音そのものの記録ではありませんが、音数を絞った場所でも歌を届ける彼女の姿を示しています。

それでも弾き語りが「いつでも正解」ではない

カネコは「グレープフルーツ」を弾き語りでは今歌えないと話す一方、「祝日」を弾き語りで残しました。
同じ歌手が同じ時期にギターを抱えても、曲によって一人で持てるものが違うのです。
彼女の歌い方を「弾き語りこそ本音」「バンドは勢い」と二分すると、この選択を説明できません。

2019年の『燦々』では、本人が裏声を多く使い始めたと語り、2023年の『タオルケットは穏やかな』では、声をバンドの楽器の一つとして演奏に入れられた感覚を喜んでいます。
選べる声や編成が増えても、「この言葉をどんな距離で渡すか」という問いは残っています。
だから「祝日」の弾き語りは、昔の素朴な姿として置き去りにならず、現在のバンドの歌にもつながる基準になるのです。

「Home Alone」で声を仲間に預け、「祝日」で最後の言葉を一人で持つ。
『祝祭』の二つの曲が示すのは、どちらの歌い方が優れているかではなく、歌の意味に合わせて声の置き場所を選ぶカネコアヤノの強さです。

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