久保田早紀(久米小百合)の歌い方|中高音の揺れの少なさと、柔らかな声のリズム

久米小百合(右)と葉月(2023年掲載、FM西東京) シンガー
久米小百合(右)と葉月(2023年掲載、FM西東京)

「異邦人」の歌声を考えるとき、声の柔らかさは大切な手掛かりです。
そこには、細かなリズムの取り方も関わっています。
滑らかに続いて聞こえる歌の中に、言葉の入り方や音程の動きが組み込まれています。

久保田早紀、現在の久米小百合の歌声は、声の質感だけで説明しきれるものではありません。
伴奏との関係や、誰に向けて歌うかにも目を向けると、力を誇示せずに歌を届ける姿が見えてきます。

「異邦人」(1979年作品、2023年公開のアニメーションMV)

中域から高音まで、声の揺れが少ない

夫であり、音楽家の久米大作は、2025年の取材で、中域から高音にかけてビブラートが少ないことを、歌声の魅力として挙げています。
さらに、乾いた質感があり、押しつけがましく聞こえない声だと説明しました。

ここでいうビブラートは、音を保っている間に音の高さが細かく揺れることです。
その揺れを大きく聞かせる歌い方に比べると、揺れの少ない歌声では、伸ばした音そのものの質感に耳が向きます。
久米大作の言葉は、中高音の出しやすさを測った説明ではなく、その声が聴き手にどう届くかを語ったものです。

また、乾いた質感という表現も、冷たく突き放すという意味ではありません。
彼は、それを押しつけがましくない魅力と結びつけています。
声を強く揺らして感情を示す以外にも、音を保ち、言葉を進めることで伝わるものがあるのです。

柔らかな声の中にも、細かなリズムがある

モア東京ボーカル教室の「異邦人」の解説では、引き締まった伴奏の上に広がる柔らかな歌と、16分音符の細かなリズムが指摘されています。
声の響きは柔らかくても、歌の進み方には細かい刻みがある、という見方です。

とくにAメロでは、小節の頭から言葉が始まるとは限りません。
拍の途中から入るフレーズがあり、歌だけを大まかに追うと、その細かな位置を見落としやすくなります。
対して、サビは頭から入る形です。
歌い始める位置の違いも、同じ柔らかな声の中で場面を切り替える要素になります。

「柔らかい歌だから、リズムも曖昧でよい」とは捉えにくい曲です。
伴奏が刻む流れと言葉が始まる位置を一緒に追うと、歌声がどこに乗っているかを確かめられます。
音色の柔らかさと、フレーズの入りを保つことが、一つの歌の中で両立しています。

一つの発音を伸ばしながら、音程を動かす

同教室がサビの難所として挙げているのは、一つの発音を伸ばしながら音程が上がり下がりする、3連符の部分です。
言葉を一音ずつ言い直すのではなく、伸ばしている音の中でメロディーを運ぶところに、この曲の細やかさがあります。

この動きと、先ほどのビブラートの少なさは矛盾しません。
音を保つときの細かな揺れと、旋律として決められた音をたどることは、別の動きだからです。
声の揺れを控えながら、メロディーの上り下りを歌うことはできます。

3連符は、一拍を三つに分けて進めるリズムです。
四つに分かれる16分音符の刻みとは、音が進む間隔が違います。
曲全体の速さを変えなくても、言葉の中にこの三つの動きが入ることで、フレーズの流れに変化が生まれます。
声を揺らす量に注目するだけでは、このリズムの違いまでは捉えられません。

言葉が一つだからといって、音程まで一つにとどまるわけではありません。
反対に、音程が変わるたびに言葉を切ると、伸ばして歌う部分のつながりが変わります。
発音のまとまりを保ちながら音を運ぶ、という視点で聴くと、「異邦人」の滑らかさをもう少し具体的に捉えられます。

久米小百合(2025年掲載、撮影:伊藤和幸/週刊女性PRIME)
久米小百合(2025年掲載、撮影:伊藤和幸/週刊女性PRIME)。
画像出典:写真掲載元

細やかな歌は、録音でも繰り返し作られた

完成した「異邦人」の歌からは、制作中の試行錯誤は見えにくいものです。
しかし、本人は2025年の取材で、この曲の歌入れを一晩に100回もやり直したと振り返っています。
その場で自然に歌えた一回を、そのまま世に出したという話ではありません。

ただし、この証言だけでは、音程、リズム、発音のどこを直したのかまでは分かりません。
声の揺れの少なさも、録音時に指示された結果だと決めつけることはできません。
確かに言えるのは、聴き手が知っている歌唱の背後に、繰り返し歌って形にした過程があったことです。

柔らかな声を、何も考えずに出てきた声として捉える必要はありません。
歌入れを重ねたという経験は、親しみやすい一曲にも、歌い手の細かな選択が積み重なり得ることを教えてくれます。

エレピと歌う「異邦人」で、声と言葉に近づく

伴奏が変わった場面も、この歌声を考える手掛かりになります。
2023年のFM西東京の番組では、葉月のエレクトリックピアノに合わせて、久米小百合が「異邦人」をフルコーラスで歌いました。
代表曲を、歌と鍵盤の共演で取り上げた場面です。

原曲の豊かな編曲を知っている人にとっては、声と鍵盤のやり取りに注意を向けやすい組み合わせです。
歌い始めの位置、言葉を伸ばす長さ、次のフレーズまでの間を、それぞれ聴く入口にできます。
伴奏の印象だけでなく、歌がメロディーをどう進めるかを追えるからです。

この共演があること自体を、昔より発声が変わった証拠にはできません。
むしろ、同じ「異邦人」を異なる伴奏の中に置くことで、曲の構成と歌声を分けて考えられる点に意味があります。
大きな編成の響きが好きな人も、言葉と旋律のつながりに関心がある人も、それぞれの入口から親しめる曲です。

聴き手と一緒に歌う場面にも、声の役割がある

久米小百合の歌は、一人の歌唱を聴衆が聴くだけの場に限られていません。
2018年の『女性自身』の取材では、気仙沼での支援コンサートを振り返り、「上を向いて歩こう」「涙そうそう」や賛美歌を会場の人たちと歌ったことを話しています。
アンコールでは「異邦人」も一緒に歌ったそうです。

ここでは、代表曲をどれだけ巧みに聞かせるかだけが、歌う目的にはなっていません。
聴いていた人が知っている歌に加わり、同じ時間を過ごすことも大切な出来事です。
本人も、一緒に歌えることが国や宗教の違いを越えると考えていると語っています。

一方、作品として聴く入口には、2009年のアルバム『天使のパン』があります。
「アメイジング・グレース」など親しまれてきた曲と自作の賛美歌を収め、「イエスはそばに」は英語版、韓国語版も収録しています。
「異邦人」一曲だけに限定せず、既に知っている旋律と、初めて出会う曲の両方から声に触れられる作品です。

声の揺れ、言葉のリズム、伴奏との組み合わせ、そして一緒に歌う人との関係。
久保田早紀の歌声を捉える手掛かりは、そのそれぞれにあります。
同じ曲に込める思いが活動の中でどう変わったのかは、久保田早紀(久米小百合)の歌唱変遷でたどっています。

シンガー人気投票。投票ページはこちら

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました