谷山浩子の歌唱変遷|可愛く作った声を経て、自然な歌い方へ

谷山浩子(2017年4月29日公演) シンガー
谷山浩子(2017年4月29日公演)

谷山浩子は、歌う声を可愛く作っていた時期があると話しています。
その後には、自然な歌い方になったと感じる作品も生まれました。
ただ、その間の歩みをたどると、声の作り方だけでなく、観客への意識や、録音した後に歌を育てる時間も変化に関わっています。
初録音への心残り、苦手な編曲への挑戦、共演によって得た新しい感覚。
本人が具体的な作品に結びつけて語った経験から、歌唱の変遷を見ていきます。

『HIROKO TANIYAMA ’80s』(80年代作品を集めた2000年発売盤のダイジェスト)

ラジオの話し方を、歌う声にも取り入れる

2012年のインタビューで谷山が振り返ったのは、1986年の『水玉時間』あたりから数枚のアルバムで、声を可愛い方向へ作っていたことです。
背景には、1982年から1986年まで担当した「オールナイトニッポン」での話し方がありました。
ラジオで使っていた声を歌にも取り入れ、可愛い声を好む聴き手を意識していたと説明しています。

もともとの声がどう響くかに任せるだけでなく、聴き手にどんな声として届けるかを考え、意識して作っていた時期でした。
ところが後年の本人には、当時の可愛さが行きすぎていたように感じられます。
その時にはよいと思って選んだ表現でも、時間がたって聴くと、自分の感じ方が変わる。
声を作る経験と、その録音を後から受け止め直す経験が、重なっていました。

小さな会場で、観客も緊張していると気づく

一方、人前で歌うことへの苦手意識も長く続いていました。
2017年のORICONの取材では、以前は公演の中止を願い、自分を見に来た観客に対してさえ、早く終わってほしいと思っているのではないかと考えていたと話しています。

転機になったのは、1987年から始めた「101人コンサート」でした。
要望のある地域へ出かけ、小さな会場を細かく回る企画です。
百人ほどの会場では、客席の一人ひとりの顔がよく見えました。
そこで、初めてコンサートを見る側も緊張していることに気づき、自分と同じなのだと思えるようになったといいます。

自分がどう見られているかを考えて固くなっていた意識が、目の前の人を楽しませたいという方向へ動く。
この変化によって、人前で歌う気持ちが楽になったと本人は説明しています。
声の可愛さを聴き手にどう受け取ってもらうかとは別に、実際の観客を前にして歌う感覚が、少しずつ変わっていきました。

「101人コンサートスペシャル」(1988年6月8日・青山円形劇場公演のトレーラー)

発売してから、ライブで歌い方が定まることもある

1992年のアルバム『歪んだ王国』については、別の種類の心残りを語っています。
公式の作品ガイドに寄せた本人のコメントでは、録音のボーカルが淡々としていて、物足りなく感じるというのです。

その理由の一つとして挙げたのが、アルバム発売後、ライブで歌い続けるうちに歌い方が定まってきたことでした。
曲を録音した時点で、その歌に必要な表現をすべてつかめていたとは限らない。
繰り返し人前で歌う時間の中で、本人が納得できる歌い方が見えてきたのです。

後年に同じ曲をもう一度録音したいと思う背景には、初録音と、その後に育った歌との時間のずれもありました。

谷山浩子(公式プロフィール掲載、撮影時期不明)
谷山浩子(公式プロフィール掲載、撮影時期不明)。
画像出典:写真掲載元

自然な歌い方になった時期にも、曲ごとの難しさがあった

谷山が、歌い方や声の出し方が自然になったと感じる作品として挙げたのは、1994年の『銀の記憶』と、1996年の『しまうま』です。
可愛さを強く意識していた頃から、本人が自然だと思える歌唱へ移っていました。

『銀の記憶』については、静かなバラードが多い、秋や冬を感じさせるアルバムだと本人も説明しています。
この作品に収めた「夜のブランコ」は、シングルとして発売するために編曲を変え、録音し直した曲でした。
既にある曲にも、その作品での形を改めて与えていたことがわかります。

その間に発表した1995年の『漂流楽団』では、また違う歌の課題に向き合います。
斉藤由貴へ詞を提供した「DOLL HOUSE」を、窪田晴男の編曲で取り上げたときのことです。
ゆったりしたジャズのような編曲にしようと提案され、本人は歌えそうにないと感じながら、なんとか歌ったと振り返っています。
自然な声に近づいても、曲や伴奏が変われば、歌い手としての難しさは新しく生まれていました。

1996年の『しまうま』には、ホールでピアノと歌を一緒に一発録りした四曲も収録されています。
スタジオ録音の曲と、ホールでの弾き語りを残す曲が、一枚の中に並んだ構成です。
本人が自然になったと振り返る時期には、こうした録音の場や方法の広がりもありました。

『HIROKO TANIYAMA ’90s』(90年代作品を集めた2001年発売盤のダイジェスト)

「Elfin」の再録と、ROLLYから受け取った自由さ

ROLLYとは、2008年の「猫森集会」で初めて共演しました。
その後の共演を経て、2012年には一緒にアルバムを作っています。

『歪んだ王国』の歌への心残りは、後年の再録の喜びにもつながります。
2012年の『ROLLY&谷山浩子のからくり人形楽団』に「Elfin」を録音し直せたことがうれしかったと、谷山は同じ作品ガイドで話しています。
発売後に歌い方が定まった曲を、その後の自分でもう一度残す機会になりました。

この共演アルバムでの発見は、過去の曲を歌い直せることだけではありませんでした。
2012年のROLLYとの対談では、自分は几帳面で、これまで録音に時間をかけてきたと説明しています。
それに対してROLLYの録音の進め方は自由で、一緒に作業する中で、これでよいのだと気づく場面が多かったといいます。
ライブ感のある相手と作ることが、録音へ向かう自分の姿勢にも新しい感覚をもたらしました。

「猫森集会2008・2011」の共演映像集(2012年のアルバム発売記念に公開)

細かく形を決めてから残す歌だけでなく、相手とやってみることで見えてくる歌もある。
長く歌ってきた曲を、別の人と作り直すことが、自分一人では選ばなかった表現に出会う機会にもなっていたのです。

ピアノを弾く谷山浩子と、隣でギターを弾くROLLY
谷山浩子(左)とROLLY(2024年4月25日、撮影:後藤渉)。
画像出典:ぴあ

2012年の単独インタビューでは、長く嫌いだったデビュー当時の声も、まっすぐな感じがよいと思えるようになったと話しています。
今の歌い方を見つけることと、昔の声を好きになることは、両立していました。
谷山浩子の変遷には、声を意識して作る時期も、ライブで歌を育てる時期もあり、そのたびに残された自分の歌への見方も変わっています。

軽やかな声の質感や、高音の伸び、共演する声との重なりについては、谷山浩子の歌い方で扱っています。

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