松原のぶえの歌い方・発声|代表曲ほど怖い歌手が「10の力を7」にした理由

松原のぶえの歌い方と発声を紹介するアイキャッチ シンガー

松原のぶえさんは、17歳のデビュー時から「素直な声」と安定した歌唱力を評価されてきた演歌歌手です。
ところが本人にとって、「おんなの出船」「演歌みち」「蛍」は自信の証しではなく、今でも緊張するほど怖い歌だといいます。

意外なのは、怖さの原因が高い音や大きな声だけではないことです。
若い頃の松原さんは、持っている声を一曲で全部使い切るように歌っていました。そこから「蛍」で教えられたのが、10ある力を7か8に抑え、言葉を一つずつ置く歌い方です。

松原のぶえさんの歌声を支えているのは、声量を出し切る豪快さだけではありません。
強く歌える人が、どこまで引けるか。その難しさを知っているから、港の別れ、人生の応援歌、消えそうな恋を同じ声色で塗りつぶさずに歌い分けられるのです。

「上手な歌手」ほど代表曲が怖くなる

歌唱力の高い歌手なら、自分のヒット曲は気楽に歌えると思うかもしれません。
松原さんは、その反対を語っています。

「おんなの出船」「演歌みち」「蛍」は、観客が最も待っている曲です。
同時に、本人には当時よりうまく歌えるだろうか、もっと違う歌い方があったのではないかという迷いが残ります。舞台で歌う時は、今でも心臓が激しく動くほど緊張するそうです。

これは技術が足りない人の不安ではありません。
一つの正解を再現すれば終わりではなく、その日の年齢、その日の人生、その場にいる人へ、過去の名唱を超えずとも恥じない歌を渡そうとする怖さです。

大先輩の島倉千代子さんから、長く歌っても一度も満足できる歌はなく、理想へ近づくために勉強を続けるのだと諭された経験も、松原さんの中に残っています。
完成したと思わないことが、代表曲を古い記念品にしないのです。

17歳の「おんなの出船」は、大人っぽく作らなかった

デビュー曲「おんなの出船」は、別れの港を描いた大人の演歌です。
まだ10代だった松原さんは、自分に歌えるのか不安を抱きました。

作曲した船村徹さんの答えは、背伸びをして大人の女性になり切ることではありませんでした。
年齢を重ねれば自然に似合う歌になるから、今は若い自分のままで歌えばよい。録音を重ねて癖がつき、子どもらしさが消えないよう、3、4回で切り上げたと本人は振り返っています。

インタビューで歌への向き合い方を語る松原のぶえ

演歌というと、最初から太い声、深いこぶし、重い感情を作るものに見えます。
しかし「おんなの出船」の出発点は、若い声へ無理に年齢を足さないことでした。

歌の物語は大人でも、歌手本人の声まで偽って大人にする必要はない。
この考え方があったから、年月がたつほど同じ曲の言葉に実体験が重なり、歌そのものも育っていきました。

北島三郎から教わったのは、歌い方ではなく「盗む姿勢」だった

松原さんは中学一年から、週末ごとに片道三時間半をかけて福岡の養成所へ通いました。
15歳で北島音楽事務所にスカウトされ、上京後は歌の先生のもとで生活しながら厳しいレッスンを受けます。

ところが、北島三郎さん本人から細かな歌唱指導を受けたわけではありません。
伝えられたのは「歌は盗め」という考え方でした。会うたびに答えをもらうのではなく、先輩の舞台、言葉の置き方、仕事への向き合い方から自分で見つける。時折もらう「よくなったな」という短い言葉が、成長の目印になりました。

ここで大切なのは、声色の表面をコピーすることと、歌を盗むことは違う点です。
北島さんの太い響きをそのまま再現するのではなく、歌の人物をどう立たせ、どこで聞き手を待つのかを自分の声へ移す。松原さんが後に男歌へ挑んだ時も、男性の低い声を作るのではなく、男らしさをどう物語にするかで悩みました。

同じ北島ファミリーでも、山本譲二さんの歌い方が熱量を一気に解放する場面を核にするのに対し、松原さんは女性役と男歌を行き来しながら、声の力を配り直していきます。

「演歌みち」は元気な歌だからこそ、歌い切ろうとしすぎる

「演歌みち」は、松原さん自身が時間をかけて育てるつもりだった人生歌でした。
予想より早く「聴くと元気が出る」と支持され、代表曲の一つになります。

人生の応援歌は、歌手も元気いっぱいに押し続けなければならないように思えます。
けれど、聞き手が受け取る元気は、声の大きさだけで決まりません。苦しい道を知っている人物が一歩ずつ進むからこそ、最後の強さに説得力が生まれます。

松原さんがこの歌を怖がるのは、華やかな見せ場だけを成功させればよい曲ではないからでしょう。
聞き手が自分の人生を重ねている歌では、一語の置き方にも期待が集まります。明るく歌い飛ばせば苦労が軽くなり、重くしすぎれば応援歌ではなくなる。その間を毎回探し直す必要があります。

「蛍」で初めて、10の力を7か8にした

転機になった「蛍」は、松原さんが30代で出会った作品です。
それまでの本人は、持っている声を全部使い切るように歌っていました。

「蛍」で求められたのは、10の力を7か8へ落とし、言葉を置くように歌うことでした。
これは単に小声へ変えることではありません。力を余らせることで、次の言葉へ急がず、消えそうな感情を聞き手の前に残す歌い方です。

みれん岬を歌う松原のぶえ

強い声を出せる人にとって、少し引くことは簡単とは限りません。
声量を下げた瞬間に息だけになったり、音程が頼りなくなったりすれば、歌の緊張まで消えてしまいます。7の力でも言葉と音の芯を失わず、必要な一音だけを強くする必要があります。

この変化は、川中美幸さんが全力の歌唱を手放した転機とも似ています。
ただし、川中さんが語りかける夫婦歌へ近づいたのに対し、松原さんの「蛍」は、言葉を置いた後に残る静けさで恋のはかなさを作りました。同じ「力を抜く」でも、聞き手へ渡す情景は異なります。

素直な声とは、装飾がない声ではない

松原のぶえさんは、デビュー当初から素直な声と安定した歌唱力で紹介されてきました。
ここでいう素直さを、こぶしやビブラートの少ない平坦な歌い方と考えると、魅力を見誤ります。

若い声を無理に老けさせず、男歌で無理に男性の声を作らず、病気を経験した後も今の自分を歌へ出す。
松原さんの素直さは、曲に合わせて技術を消すことではなく、自分にない人物を声色だけで偽らない姿勢です。

だから「おんなの出船」では、17歳の未完成さが作品との意外な組み合わせになりました。
「蛍」では声を引く余裕が生まれ、近年の「下北半島哀愁路」では、別れを引きずる女性が最後に前を向くまでを一つの感情で塗りつぶさずに表現できます。

第三者の感想では、力強さと繊細さの両方、安定感、言葉の届き方が繰り返し評価されています。
それらは別々の長所ではありません。強い声を持ちながら、曲が求めるところまでしか使わないことから生まれる両面です。

病気を隠して歌った経験は、声量の美談ではない

腎臓病が悪化した時期、松原さんは地方でも透析を受けてから舞台へ向かっていました。
高音が出にくく、呼吸も苦しい状態でも、観客の前では病気を見せまいとしたと語っています。

この経験を「根性で歌えば声は出る」という美談にしてはいけません。
本人も現在は、無理をせず体をいたわり、その時の自分を歌に出すことを大切にしています。2009年に弟から腎臓の提供を受けた後は、歌えること自体を二度目の人生として受け止めました。

歌手の不調を表面だけまねることはできません。
苦しそうな息、かすれ、力の入った高音を表現だと思って再現すれば、ただ喉を傷める可能性があります。参考にするなら、無理を隠して歌い続けた過去ではなく、限界を知った後に今の自分へ嘘をつかない考え方です。

その歩みは、松原のぶえさんの歌声の変遷で、デビュー、代表曲、独立、透析と移植、45周年以降まで年代順にたどります。

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まとめ|松原のぶえの強さは、声を残して歌えること

松原のぶえさんの歌い方は、力強い演歌発声という一言では説明できません。
17歳では背伸びをせず、「おんなの出船」を若い自分の声で歌いました。代表曲を得た後も完成したと思わず、歌うたびに怖さと向き合っています。

大きな変化は「蛍」でした。
持っている声を全部使う歌い方から、10の力を7か8へ引き、言葉を置く歌い方へ移ったことで、強さの中に消えそうな感情を残せるようになりました。

巧みなこぶしや大きな声だけを追うと、この歌の核心から遠ざかります。
松原さんから学べるのは、歌える力を見せ切ることではなく、曲の人物が必要とする分だけ使うことです。

代表曲が今も怖いという告白は、自信のなさではありません。
同じ歌を同じ形で繰り返さず、今日の自分でもう一度届け直そうとする歌手の誠実さです。

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