アダム・レヴィーン(Maroon 5)の歌声の変遷|外から届いた曲を歌い、ギターのメモへ戻るまで

2014年、The Voiceのイベントでのアダム・レヴィーン アダム・レヴィーン
Mingle Media TV / CC BY-SA 2.0

マルーン5が2011年に発表した「Moves Like Jagger」は、外部の作家が持ち込んだ曲から始まりました。
女性の視点で書かれたように思えたその曲を聴き、アダム・レヴィーンは、自分がミック・ジャガーのように動けると歌ってもいいのでは、と言い出します。
部屋にいた人たちが驚いたその提案が、「Moves Like Jagger」をアダムの歌にしました。

それから十数年後、新曲「Priceless」の出発点になったのは、アダム自身がギターで作ってバンドへ送った音声メモです。
外から届いた歌の視点を引き受けた人が、なぜまた自分の手元から曲を始めたのでしょうか。
この二つの出来事の間に、アダムの歌う役割は変わっていきます。

ロックを歌っていた少年が、声の手本を探し直す

前身バンドのカーラズ・フラワーズでは、アダムたちはロックを演奏していました。
しかし、その活動が行き詰まったあと、アダムとジェシー・カーマイケルはニューヨーク州の大学で、ゴスペルやR&B、ヒップホップに触れます。
当時のアダムは、ビートルズなどから曲作りを学んだ一方、歌い方の刺激は別の音楽に求める必要を感じたと話しています。

歌の変化は、バンド内の分担にも及びました。
ギターのジェイムス・ヴァレンタインによると、もともとリードギターも担当していたアダムは、歌の難しさが増すにつれて、演奏しながらではこなしにくい部分を抱えるようになったといいます。
ジェイムスを迎えたことは、アダムが歌に集中できる場を作ることでもありました。
加入後も二人でギターを弾く曲はあり、曲に応じて役割を分けたのです。

2002年にマルーン5として発表した『Songs About Jane』の「Harder to Breathe」には、バンドの勢いが残っています。
アルバムがほぼ出来上がった頃、レーベルからさらに曲を求められ、アダムはいら立っていたと振り返りました。
新しい歌い方を探していても、ロックの力をすぐに捨てたわけではありません。

同じアルバムの「Sunday Morning」には、別の手本があります。
アダムは後年、ジャミロクワイの「Virtual Insanity」から、ビートまで含めて強い影響を受けたと明かしました。
発表当時はジャミロクワイと比べられるのを嫌がっていたのに、その音楽から学んだことは認めたのです。
後のダンス曲が突然現れたのではなく、初期からロックの外へ声の置き場所を探していました。

ただ、初期の曲がすべて同じ感情を歌っていたわけでもありません。
「This Love」では、一曲の中で恋人への苛立ちと未練が行き来します。
その細かな声の使い分けはアダム・レヴィーンの歌い方で扱い、ここでは、曲を作る人が変わることで、歌う人物までどう変わったかを追います。

2007年、アトランタのMyCokeFestで歌うアダム・レヴィーン
2007年、アトランタのMyCokeFestで歌うアダム・レヴィーン。
写真:Daniel Mayer / CC BY-SA 3.0

2011年、「自分には似合わない」を越えた一曲

それまでのマルーン5は、自分たちで曲を書くことを大切にしていました。
ところが「Moves Like Jagger」は、外部の作家が持ち込んだ曲から始まりました。
アダムも作者に名を連ねますが、出発点はバンドの外にありました。
ほかの歌手には決まらなかった曲だと、アダムは後に振り返っています。

ジェイムスの記憶では、届いた段階ですでにギターのフレーズや口笛、サビの核がありました。
また、三枚目のアルバムから出したシングルが期待ほど届かず、違うことをする必要も感じていたそうです。
外部の曲を歌う判断には、その行き詰まりがありました。

アダムが提案したのは、その歌の自慢げな言葉を自分で引き受けることでした。
恋人との痛みを歌うだけでなく、自分の魅力を大げさに言い切る人物になる。
本人は、失敗すれば活動を終わらせかねないほどの賭けに感じたそうです。
声の高さが突然変わったという話ではありません。
聴き手に差し出す人物像を、曲に合わせて大胆に変えたのです。

一方、ジェイムスにとって、曲のファンク的なギターは以前のマルーン5とつながる要素でした。
新しい人物像を歌う声の足元には、バンドが親しんできたリズムも残っていたのです。

クリスティーナ・アギレラも加わったこの曲の成功は、次の作り方まで変えました。
ギタリストのジェイムス・ヴァレンタインによると、バンドは一人の制作者と長く作業する方法を離れ、さまざまな作り手から曲を集めるようになります。
2012年の『Overexposed』では、アダム自身も、外部の作曲家と自分たちのやり方を組み合わせたことを強みとして語りました。

同作の「Payphone」にはウィズ・カリファが参加しています。
「Moves Like Jagger」を一度きりの例外にせず、別の作り手や共演者の発想を、アダムの声でマルーン5の曲へ変えていく時期でした。
本人によれば、旋律を考えるときは、同じ言葉を異なる抑揚や音色で歌って試します。
外から曲を受け取るようになっても、歌い方まで誰かに任せたわけではありません。

2017年、歌の合間に残る小さな声

2017年の『Red Pill Blues』は、それまでより音数を絞って聞かせるように作られました。
制作を担当したノア・パソヴォイは、実際には複数のベースの音を重ねながら、一つのまとまった動きとして聞かせたと説明しています。

パソヴォイがアダムの歌で評価したのは、主旋律を歌う部分だけではありません。
フレーズの合間にも短い声や声色の変化を入れ、リズムのアクセントにするところです。
先に本人が語った抑揚や音色の試し方は、少ない音で進む曲の中でも役割を持ちます。

同作には、SZAと共演した「What Lovers Do」も収められています。

この時期にも、バンド全員で演奏を広げる作り方は残っていました。
同作の「Closure」では、アダムが皆で自由に演奏してアルバムを締めようと提案します。
パソヴォイによれば、全員で演奏した複数のテイクをまとめて完成させました。
三分ほどの曲に収める制約から離れる時間を、アダム自身が求めたのです。

2018年、デンバー公演で歌うアダム・レヴィーン
2018年、デンバー公演で歌うアダム・レヴィーン。
写真:jenniferlinneaphotography / CC BY 2.0

2025年、バンドを動かした一本の音声メモ

「Priceless」は、アダムがギターを手に一人で作り、バンドの仲間へ送った歌から始まりました。
ジェイムスはそのメモを聴き、昔のマルーン5が曲を作っていたときの感覚を思い出したといいます。
アダムも、録音に使ったギターの音や初期のサウンドへ戻る感覚を、感慨深く語りました。

そのメモは、曲の案を伝えただけではありません。
本人によると、イントロには、接続を外したギターをiPhoneで録った音そのものが使われています。
最初に仲間へ渡した素朴な発想を、完成した曲にも残したのです。

新しいアルバム『Love Is Like』では、最初の数曲を昔のようにバンドで組み立てました。
ただし、かつての方法だけでアルバム全体を作ったわけではありません。
ジェイムスによると、その後は近年のように外部の制作者とも仕事をしています。
「Priceless」にはLISAも参加しました。

アダムはこのアルバムについて、ヒット曲を作る決まった方法から少し離れ、自分から自然に出てくる音楽を作りたかったと話しています。
ギターの音声メモをバンドへ渡し、その上で共演者とも歌を作る。
歌い出す前の主導権の置き方が、2011年の「Moves Like Jagger」と違うのです。

「All Night」も、同じ2025年のアルバムに収められました。
この曲にはアダムやジェイムスに加え、外部の作家や制作者も参加しています。
バンドで曲を作る方法へ戻ることと、外の作り手との共作を続けることは両立していました。

誰の曲をどう歌うか、その選択肢が増えた

アダムは初期に、ロックだけでなくR&Bやゴスペルを歌唱の手本に加えました。
2011年には、外部から持ち込まれた曲で、これまでと違う大胆な人物を歌うことを選びます。
その成功のあとも、多くの作り手や共演者の発想に声を合わせてきました。

2025年の「Priceless」は、ギターのメモからバンドと曲を始める試みです。
けれど、外部の作り手と過ごした時代を消すための作品ではありません。
バンドで始めた曲にもLISAを迎え、その後の曲では外部の制作陣とも組みました。
ロック少年の声がポップスターの声へ一度だけ変わったのではなく、誰と、どんな曲を歌うかを選び直せるようになった。

その選択の広がりこそ、アダム・レヴィーンの歌声の変遷です。

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