「歌うことが、だんだん楽になっている」。
1999年、Stratovariusに加わってからの変化を尋ねられたティモ・コティペルトは、声が強くなり、色合いも増したと答えました。
高い旋律を歌う経験が、自分の声への手応えになっていたのです。
それから十年以上たった2011年のツアー中、彼は感染症でひどく体調を崩し、一時は歌えなくなりました。
回復後の本人は、昔の極端な高音をそのまま取り戻した、とは語っていません。
一方で、中音域や高めの地声には以前より力があると感じ、少人数の公演では声の新しい色も見つけたと話します。
高音歌手の歌声は、失ったものと増えたものの両方をたどると、どう見えてくるのでしょうか。
1995~99年|高い曲に追われながら、声への自信を得る
コティペルトが初めて歌ったStratovariusのアルバムは『Fourth Dimension』(1995年)です。
それまで歌とギターを兼ねていたティモ・トルキに代わり、リード・ボーカルを受け持ちました。
続く『Episode』(1996年)と『Visions』(1997年)では、速さと高い旋律がバンドを代表する曲へ結びついていきます。
ただ、録音する側にとって、それは高音を気持ちよく出すだけの仕事ではありませんでした。
『Episode』期の本人は、高い歌を何時間も続けることの難しさに触れています。
一方、曲を作るトルキについては、自分の声をよく理解している、厳しくも優れたプロデューサーだと評価しました。
要求の厳しさと、その人に歌を任せられる信頼は、同じ時期にあったのです。
『Visions』の「Black Diamond」は、彼の声とともにStratovariusの看板になりました。
1997年11月4日のリオデジャネイロ公演でも、コティペルトはこの曲を歌っています。
1999年に最初の参加作との違いを聞かれたコティペルトは、歌うことが少しずつ楽になり、声は強く、色合いも増したと答えています。
昔の録音をただ「若い頃の高音」として片づけられない、本人の成長の実感がありました。
2011年|録音に残った「Black Diamond」と、その後の声の危機
十年以上歌い続けた「Black Diamond」は、2011年11月19日のタンペレ公演にも残っています。
この公演の映像・音源は翌年『Under Flaming Winter Skies』として発売されました。
1997年のリオ公演から十四年がたち、同じ代表曲をフルバンドで歌い続けていたのです。
この公演の後、2011年末のツアーでコティペルトは細菌感染によってひどく脱水し、声が出なくなったと語っています。
公演を三つ中止し、その後も歌うのは苦しかったそうです。
長年歌ってきた代表曲があるからといって、ステージでいつでも同じように歌えるわけではない。
本人にとって、体調を崩す前の演奏と、回復までの時間は大きな境目になりました。
ただし、この出来事を「高音が出なくなったから、アコースティックに転じた」と結びつけることはできません。
少人数で歌う活動は以前から続けており、次の録音を望んだ直接のきっかけは、二人組のライブを家でも聴きたいというファンの声でした。
2012年|ファンが求めた、ギター一本の「Black Diamond」
ギタリストのヤニ・リマタイネンと作った『Blackoustic』では、Stratovariusの曲などを、二人の歌とアコースティックギターで演奏しています。
もともと二人はこの編成で公演をしていました。
ファンから録音を求められても、コティペルトは初めからアルバムが売れると思っていたわけではありません。
歌手とギタリストだけの作品を誰が欲しがるのだろう、と疑っていたのです。
そのままライブを録れば完成するわけでもありませんでした。
ギター一本と二人の声で成立する曲を選び、アレンジを作るのに時間がかかったと本人は話しています。
彼の別荘で行った録音も、当初の予定より長引きました。
フルバンドの速さや鍵盤に支えられていた「Black Diamond」を、そのまま小さくするのではなく、別の演奏として組み直したのです。
反応は一つではありません。
抑えた歌唱に陰りや感情を聴いた評者がいる一方、初めは元の曲の勢いが失われたと落胆した評者もいます。
後者は聴き直すうちに、言葉のリズムや愛を歌う内容が以前より伝わると受け止め直しました。
同じ人が『Blackoustic』の別の曲には最後までなじめなかったことも含めると、静かな編成なら必ず成功する、という単純な話ではありません。

翌2013年には、Stratovariusの鍵盤奏者イェンス・ヨハンソンと、今度はギターもない二人編成で「Black Diamond」を演奏しました。
これは『Blackoustic』のスタジオ録音ではありません。
元曲のバンド、ヤニのギターとの録音、イェンスの鍵盤との演奏という三つの形から、同じ曲に別の歌い方を探す姿勢が見えます。
2013年|「昔の一番高い声」だけを取り戻す必要はない
『Nemesis』(2013年)の頃、コティペルトは体調を崩したツアーと、その後の回復について率直に話しました。
声が戻るまで長い時間がかかったものの、取材時には状態がよくなっている、と説明しています。
同時に、極端に高い音の輝きは以前ほどではないかもしれない、とも認めました。
けれども、本人の実感には続きがあります。
本人は、中音域と高めの地声は昔より強くなったとも感じていました。
過去の代表曲は数多くあり、いつも一番高い声を見せつけなくてもいい。
高音歌手として知られてきた人が、回復後の声を「昔へ戻ったかどうか」だけで測っていなかったのです。
同年の『Nemesis』でもStratovariusの新曲を歌い、その一曲が「Unbreakable」です。
過去の一曲だけに声の姿を閉じ込めず、バンドの新しい歌も作っていました。
2015年|もう一度学び、アコースティックで色を増やす
コティペルトは2015年、感染症の後に歌唱のレッスンを改めて受けたと話しました。
Stratovariusに入る前にも一年ほど声を学んでいましたが、ツアーが始まって通い続けられなかったそうです。
再び学んだのは、長く歌ってきた方法を捨てるためではありません。
自分が何をして歌っているかを言葉で理解し、練習を続けるためでもありました。
同じ取材で、バンドの活動の合間に続けたアコースティック公演が、声の持久力だけでなく、色合いを増やす助けになったとも振り返っています。
二人で歌う場を続けたことが、回復後の表現を広げる経験にもなっていました。
その年のStratovariusのアルバム『Eternal』では、歌う作業はリラックスして進み、むしろ歌詞を書くほうに時間がかかったと話します。
『Blackoustic』で力加減を変えた歌手は、速いバンドの曲を歌うこともやめていません。
2022~26年|昔の録音を直さず、いまの声で歌い続ける
その後もStratovariusは新曲を作り、2022年には『Survive』を発表しました。
『Survive』ではメンバーと同じ部屋で曲を作り、歌う本人の感触を制作へ取り込んでいます。
ここでの具体的な作曲のやり取りや、本人が歌いやすいと感じる高音の話は、ティモ・コティペルトの歌い方で扱っています。

2026年には1990年代の曲に絞った公演について、本人が取材に答えています。
久しぶりの曲は歌詞を思い出すために聴き直し、練習もする一方、かつての『Episode』や『Visions』の録音を作り替えたいとは考えていません。
あの録音は、その時期のバンドを残したものだからです。
1999年には、歌うほど声が強くなっていると感じていました。
声を出せない時期を経た2013年には、極端な高音の変化を認めながら、中音域に新たな手応えを見つけています。
少人数の公演で増えた表情も、フルバンドの歌も、一方を選んで他方を消したわけではありません。
1997年の「Black Diamond」は当時のまま残し、いま歌う曲にはいまの声を使う。
コティペルトの変遷は、昔の高さを再現できるかだけでは語れないのです。

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