松本かれんの歌声はどう変わった?未経験のデビューからPiKi・東京ドームまで

FRUITS ZIPPER加入からPiKiまで松本かれんの歌声の変遷をたどる記事のアイキャッチ シンガー

松本かれんさんの歌唱の変化は、昔より太い声になった、急に高音が伸びたという単純な物語ではありません。
変わったのは、個性的な声を置ける場所と、その場所から逃げずに引き受けられる範囲です。

音楽系の学校でピアノを学び、ドラムの経験もありましたが、FRUITS ZIPPERへ入るまで本格的な歌とダンスは未経験でした。
最初のレッスンではできないことを恥ずかしがり、泣くことも多かったといいます。

それでも2022年に7人の一員として声を出し、ファンとのやり取りから「すーぱーかれんたいむ」が生まれ、2024年にはソロ曲の名前になりました。
2025年には2人組のPiKiへ進み、2026年には東京ドーム後の活動を背負う立場へ移っています。

この4年間をたどると、松本さんの成長は、泣かなくなったことではなく、泣いても次の場所へ進めるようになったことだと分かります。

デビュー前|音楽は身近でも、人前で歌うことは別の怖さだった

松本さんは幼いころからピアノを学び、学生時代には吹奏楽部でドラムを担当しました。
その後もピアノを専攻し、音楽から遠い生活をしていたわけではありません。

一方、アイドルになる前には本格的な歌とダンスの経験がありませんでした。
楽器の経験があれば、歌もすぐにできると考えたくなりますが、本人の出発点はもっと不器用です。

初めての歌唱レッスンでは、できない姿を先生へ見せることが恥ずかしく、歌うこと自体がつらくなりました。
ダンスのレッスンでも泣き、周囲に支えられながら続けています。

それまでの松本さんは、仕事で責任が増えると辞めてしまうこともあったと後に話しています。
苦手なまま評価される場所へ立ち続けることは、技術以前に大きな変化でした。

2022年|歌えないことを隠さず、7人の声に加わった

FRUITS ZIPPERは2022年にデビューしました。
代表曲「わたしの一番かわいいところ」は、完成した7人の個性へ曲を当てはめたのではなく、誰がどこを歌うか分からない状態から録音されています。

松本さんにとっては、得意な歌い方だけを見せられる仕事ではありませんでした。
未経験の歌とダンスを同時に覚え、自分の声をほかの6人の中へ置き、客席へ届ける必要があります。

初期に大きかったのは、急に万能な歌手になったことではありません。
できないことを恥ずかしがっていた人が、できないまま一度やってみるというレッスンを重ね、グループの音源とステージから消えなかったことです。

その声は、当初から太い声量で曲を押すものではありませんでした。
甘く幼く聞こえる個性が、7人の中で誰が歌っているかを知らせる目印になります。

歌とダンスが未経験のままFRUITS ZIPPERとしてデビューした松本かれん

2022〜2023年|ファンが歌の一場面へ名前をつけた

「わたしの一番かわいいところ」が広がるなか、ライブでは松本さんのソロ部分が注目されるようになりました。
しゃがんで観客と近い距離を作る一場面が、「すーぱーかれんたいむ」と呼ばれ始めます。

この名前は、最初から用意された公式設定ではありません。
本人の振る舞いと甘い声にファンが反応し、次の公演でも待たれる時間へ育ちました。

デビュー前の松本さんにとって、人前で歌うことは失敗を見せる怖い行為でした。
ところがデビュー後は、同じ人前が、声の個性へ価値を返してくれる場所になります。

子どものころには「アニメみたい」と言われて好きになれなかった声も、ファンに褒められたことで「マカロンボイス」と名乗れるようになりました。
この時期の変化は、声質を矯正したことではなく、自分の声へ他者から与えられた好意を受け取れるようになったことです。

2024年|「すーぱーかれんたいむ」がソロ曲になった

2024年の1stアルバムには、松本さんのソロ曲「すーぱーかれんたいむ」が収録されました。
ライブの一場面へファンがつけた名前が、そのまま一人で歌う作品の題名になったのです。

これは、グループの中で目立つ数秒が長くなっただけではありません。
7人の交代がない一曲を、自分の声とキャラクターで保たなければならないということです。

歌声の個性は、短いパートでは強いアクセントになります。
しかし一曲を通して聴かせるには、同じ甘さの中にも距離、強弱、言葉の表情を作る必要があります。

本人が気にしていた丸い頬や声を、ファンの言葉と楽曲が次々にチャームポイントへ変えていきました。
「NEW KAWAII」というグループの考え方が、松本さん個人のソロへ着地した時期です。

2025年|PiKiで、7人の一部から2人の半分へ

2025年、松本さんはCUTIE STREETの桜庭遥花さんとPiKiを結成しました。
FRUITS ZIPPERでは7人の声の一つだったのに対し、PiKiでは一曲のほぼ半分を受け持つことになります。

レコーディングでは、先に担当箇所だけを覚えたのではありません。
2人が全パートを録音し、その後でどちらの表現をどこへ置くかが決められました。

この方法では、得意な一言だけで印象を残すことはできません。
同じ旋律をもう一人が歌った時との違い、自分が前に出る場所と相手へ渡す場所を、一曲の全体から考える必要があります。

デビュー曲「Kawaii Kaiwai」では、松本さんの甘い声がPiKiの世界観を作る一方、桜庭さんと声を並べることで、FRUITS ZIPPERとは違う距離感が生まれました。
7人の中で見つけてもらう声から、2人だけで作品を成立させる声へ、責任の単位が変わったのです。

PiKiで7人の一部から2人の半分へ歌う責任を広げた松本かれん
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2025〜2026年|泣き虫のまま、責任から降りなくなった

FRUITS ZIPPERの活動規模が大きくなるほど、松本さんが背負うものも増えました。
東京ドーム公演が決まった時も、喜びだけではなく、本当に自分がそこへ立てるのかという不安が先に来て泣いたと振り返っています。

それでも以前のように、責任が増えた場所から離れることはありませんでした。
グループで公演へ向かい、PiKiとしても活動し、自分の弱さを隠さず次の仕事を続けます。

ここで「泣かなくなったから成長した」とまとめると、松本さんらしさを取り落とします。
本人は現在も、自分を泣き虫だと認めています。
変わったのは涙の有無ではなく、涙が終点ではなくなったことです。

2026年の東京ドーム後は、一つの夢を達成したあとも、ファンとの距離を保ちながら次のツアーや活動を考える立場になりました。
歌唱の責任も、失敗しないことから、期待して待つ人へ次の景色を返すことへ広がっています。

現在|「かわいい声」の人から、その声で企画を背負う人へ

現在の松本さんには、FRUITS ZIPPERの7人、ソロ曲、PiKiという三つの歌う場所があります。
同じマカロンボイスでも、求められる仕事はそれぞれ違います。

グループでは、短い一節で場面を変える。
ソロでは、自分だけで世界観を保つ。
PiKiでは、もう一人と比較される全パートを歌い、一曲の半分を引き受ける。

声を太く作り替えたから、活動の幅が広がったわけではありません。
コンプレックスだった声を残したまま、その声で受け持てる時間と責任を増やしてきました。

松本かれんの現在の歌い方と歌唱力では、マカロンボイスが7人の曲で武器になる理由を詳しく整理しています。

歌唱の変遷は、弱さを消す物語ではない

松本かれんさんは、音楽経験を持ちながらも、歌とダンスは未経験の状態でFRUITS ZIPPERへ入りました。
最初のレッスンではできないことを恥ずかしがり、何度も泣きました。

2022年に7人の声へ加わると、ファンとのやり取りから「すーぱーかれんたいむ」が生まれ、嫌いだった声は「マカロンボイス」という個性になります。
2024年にはその名前がソロ曲となり、2025年のPiKiでは、7人の一部から2人の半分へ役割を広げました。

東京ドームへ向かう時にも不安は消えていません。
それでも、責任が増えたから辞めるのではなく、泣いたあとにステージへ戻るようになりました。

松本さんの歌声の成長は、強い人の声へ変わったことではありません。
弱さを残したまま、自分にしかない声で引き受けられる場所を増やしたことです。
だから現在のマカロンボイスには、デビュー時と同じ甘さの中に、当時より大きな責任が聞こえます。

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