伊東ゆかりの歌い方|低く深い声と、力みを感じさせない表現

横顔の伊東ゆかり(撮影年不明) シンガー
横顔の伊東ゆかり(撮影年不明)

伊東ゆかりは、低く深く、淡々とした歌声と評されてきました。
声を強く押し出さなくても、艶や情が伝わる。
その魅力を考えるときは、声の落ち着きと、曲ごとに表情をつかむ過程の両方が手がかりになります。

「誰も知らない」|『旅』(1972年)収録・日本コロムビア提供の正規配信音源

力みを感じさせない声が、耳に残る

徳光和夫は伊東の歌を、力みのない独特な歌い方と評しています。
「小指の想い出」をめぐる、2022年の番組での言葉です。
低い声の存在感があっても、強さを押しつけられる感じが少ない。
そんな歌声の印象を捉えています。

伊東の取材記事を書いた森綾も、淡々とした低く深い声の中に、艶や情が漂うと記しています。
静かに歌うことが、感情の薄さに直結していないのです。
声の落ち着きと、その内側に感じられる情の組み合わせが、伊東らしさとして受け取られています。

「小指の想い出」は、感情の抑制が表情をつくる

1967年の「小指の想い出」は、本人にとって、すぐに馴染める曲ではありませんでした。
それまで歌ってきたポップスとは、曲調も歌詞の世界も違ったからです。
最初は園まりに歌ってもらいたいと思い、色っぽいと評されることにも抵抗があったと話しています。

森は、そうした感情の抑制が、かえって曲を生かし、洗練された印象を生んだのではないかと捉えました。
本人が積極的に色気を演出したという話と、聴き手が声に色気を感じたという話は、分けて考える必要があります。
気持ちを大きく見せない歌い方だからこそ、聴き手がその奥にある恋の感情を受け取る。
「小指の想い出」には、そんな表現の面白さがあります。

「誰も知らない」では、リズムに乗るための指導も受けた

一方、「誰も知らない」では、声の落ち着きとは別に、リズムへ乗る難しさに向き合っています。
伊東は、もともとリズミカルな曲が得意ではなく、この曲を受け取ったときには驚いたと話しました。
録音でも十分にリズムへ乗り切れず、筒美京平から指導を受けたと記憶しています。

当時は、曲を渡されても、自分から歌い方の変更を提案するより、与えられたものを歌う姿勢だったとも振り返っています。
「誰も知らない」がヒットするかは考えず、いつものように淡々と録音していたそうです。
表に出る落ち着きの裏には、作曲者とともに曲のリズムをつかむ過程がありました。

この曲の面白さを、近田春夫は伴奏と旋律の組み合わせから説明しています。
ギターとベースが作る洋楽風のビートに、小唄を思わせる日本的な旋律が乗る、という見方です。
近田は、筒美が伊東の声質を生かす旋律を書いた例として、この曲を挙げています。

近田がもともと魅力に感じていたのは、アメリカのオールディーズに合う、少し甘さを含んだ声でした。
「誰も知らない」には、その声に合う別の可能性を見ています。
細かな節の動きを含み、実際に歌うと発語が心地よいとも評しており、声質と日本語の旋律の相性が聴きどころになります。

本人の話では、リズムをつかむのに苦労した曲でした。
一方、出来上がった歌は、異なる音楽の感触を一つにする声として評価されています。
淡々と聞こえることと、歌うときの課題が少ないことは同じではありません。
声の表情を保ちながら、伴奏が刻む拍へ言葉を収めることが、この曲の大切な部分なのです。

白い柄物の衣装で立つ伊東ゆかり(撮影年不明)
白い柄物の衣装で立つ伊東ゆかり(撮影年不明)。
画像出典:写真掲載元

ジャズの編曲では、歌が入る場所も一緒につくる

伴奏との関係を本人が具体的に話しているのが、2013年の『メモリーズ・オブ・ミー』です。
編曲を多く手がけたデビッド・マシューズとの対談で、伊東は、伴奏を録音する段階から参加し、音の好みやスキャットという、意味のない音節で歌う表現を入れたい場所を相談したと述べています。
完成した伴奏に歌を録るだけではなく、声をどう置くかも一緒に考えた録音でした。

マシューズは、事前に伊東の歌を確認して、タイミングの感覚と音程のよさを感じたと話しています。
また、このアルバムの「ブルー・ライト・ヨコハマ」では、ホーンが盛り上がったところに歌が入り、うまく収まったと振り返っています。
声を大きくして楽器に対抗することだけが、伴奏の中で存在感を出す方法ではありません。
入る位置と、そこに合う声の表情も、曲の印象を決めます。

他の歌手の曲は、知っているだけでは歌えない

同じアルバムで伊東が苦労したのは、園まりの「逢いたくて逢いたくて」でした。
身近な歌手の大切な曲だからこそ、うまく仕上げたいという思いがあり、最後にこの一曲を二日間かけて録音したと話しています。
園とも、特にサビが難しいという話を交わしたそうです。

親しい歌手の曲にも、時間をかけて自分の歌い方を探していたのです。

三つの洋楽曲で、伴奏の違いを聴く

曲と声の組み合わせを考える例として、2023年5月の「Sound Inn S」もあります。
この回では、「テネシー・ワルツ」「Love Letters」「酒とバラの日々」を、別々の編曲家が担当しました。
伊東は、好きな三曲を、それぞれの編曲と演奏で歌えたことを喜んでいます。

番組の公式レポートによれば、「テネシー・ワルツ」は坂本昌之の編曲で、ハーモニカを加えたジャズ風の響きに仕上げられました。
「Love Letters」は船山基紀が手がけ、弦楽器と管楽器を使った豊かな編成です。
「酒とバラの日々」は斎藤ネコの編曲で、市川秀男のピアノとともに歌っています。

同じ歌手の声でも、周囲の音が変われば、声との距離や、言葉が現れるときの印象も変わります。
歌だけを切り離して強弱を追うより、楽器が鳴っている間に声がどう入るかに耳を向けると、落ち着いた歌唱の楽しみ方が広がります。

自然に聞こえる声を、日々の準備で支える

力みを感じさせない歌声の裏には、歌い続けるための準備もあります。
2025年の婦人公論の取材で、伊東は発声練習や体力づくりを欠かせないものとして挙げました。
テニスや水中での運動にも通い、義務だけにせず、楽しめるよう工夫していると話しています。

この話から分かるのは、自然に歌っているように聞こえることと、何も準備しないことは違うという点です。
声の調子を整える時間があり、曲によっては録音で試行錯誤する時間もある。
そうした過程を表に出しすぎず、歌の情景へ聴き手を向けるところに、伊東の落ち着いた表現の魅力があります。

抑えた声で情を伝えることと、伴奏に乗せて歌うことは、どちらも必要です。
伊東の歌を聴くときは、声をどれだけ強く出すかだけでなく、ことばが曲の流れにどう収まるかにも目を向けると、淡々とした歌の中の工夫を考えやすくなります。

日本語の歌詞を大切に歌う意識が強まった転機は、伊東ゆかりの歌唱変遷で取り上げています。

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