幼い頃から英語の歌を歌い、洋楽カバーで親しまれた伊東ゆかり。
日本語のヒット曲も増えていく一方で、歌詞をどう届けるかには、向き合い直す機会があった。
1970年の「さすらい」で受けた作詞家の指摘と、その後も続いた言葉への取り組みをたどる。
「小指の想い出」|1967年シングル・キングレコード提供の正規配信音源
英語の響きに親しみ、洋楽カバーを歌った頃
父はジャズのベース奏者で、伊東は幼い頃から、そのバンドとともに米軍のクラブなどで歌っていた。
家では英語の歌詞を覚え、米軍の放送を聴く。
週に一度、学生に発音を直してもらう機会もあったという。
英語の響きに慣れ、客前で歌う経験を積むことが、幼い頃から日々の暮らしと結びついていた。
1958年には、「クワイ河マーチ」などでレコードデビューを果たす。
1960年代前半も、海外ポップスの日本語カバーを次々と歌った。
外国の曲を覚えて歌う経験と、日本語の歌詞を届ける仕事が、早くから重なっていたのである。
「クワイ河マーチ」|1958年発売曲・キングレコード提供音源
1967年、「小指の想い出」の世界には戸惑いもあった
1967年に発売された「小指の想い出」は、大きなヒットになった。
ただ、それまでポップスを中心に歌ってきた伊東は、曲調も詞も違う世界に戸惑った。
園まりに歌ってもらってほしいと頼むほど、当初はこの曲を歌うことに抵抗があったという。
色っぽいと評されることにも抵抗があり、その戸惑いは歌うときの顔にも出ていたかもしれないと話している。
聴き手にとっての代表曲が、歌い手にとって最初から望んでいた曲とは限らない。
この時期の伊東は、慣れ親しんだポップスとは違う、恋の感情を託された日本語の歌にも向き合っていた。

画像出典:KING RECORDS TODAY
1970年、「さすらい」で歌詞を届ける意識が強まる
「さすらい」を歌っていたのは、渡辺プロダクションを離れ、周囲の環境が落ち着かなかった時期だった。
伊東自身は、それまでと同じように歌っているつもりだったという。
しかし、テレビでの歌唱は、作詞の吉田旺には投げやりに映った。
後年、本人は充実感を持てていなかったことが表れたのかもしれないと振り返っている。
伊東は、作り手は歌手に合うかを考え、一曲ずつ心を込めて書いているのだと伝えられる。
歌うときにも、しっかり心を込めてほしいという指摘だった。
当時の自分は、歌詞をメロディの一部として捉えていた、とも振り返っている。
きちんと歌っているつもりでも、言葉の意味まで客席へ届くようには意識できていなかったのかもしれない。
吉田の言葉にハッとし、この頃から、日本語の歌詞の意味を大事に歌うよう、強く心がけるようになったという。
自分ではいつも通りでも、聴く人に同じように届くとは限らない。
「さすらい」|1970年版・『ゆかりの新しい世界』収録の正規配信音源
その後はステージでも、歌詞が聴衆にはっきり届かない音響が気になるようになった。
ことばの意味を大切にする思いが、歌うときの姿勢や、客席への届き方にまでつながっていった。
英語でも日本語でも、言葉の届き方を問い直す
日本語に向き合うことは、英語の歌を離れることではなかった。
1971年には、伊東ゆかりとグリーン・ジンジャー名義の『LOVE』で、洋楽曲を英語で歌っている。
その制作では川添象郎に発音を教わり、特にエルトン・ジョンの「Your Song」は、言葉の速さと英語の難しさに苦労したという。
幼い頃から歌ってきた言語でも、新しい曲には新しい課題があった。
「Your Song」|『LOVE』(1971年)・日本コロムビア提供音源
さらに、後にレギュラーを務めた『サウンド・イン“S”』では、ディレクターから、英語なら響くのに日本語では響かないと言われた。
伊東には、日本人の自分が日本語で伝えられていない、というショックがあった。
英語の曲も、日本語に直してもらって歌おうと考えたほどだったという。
一度歌詞を大切にしようと決めたら、すべてが解決したわけではない。
言葉を聞き取れることと、その内容が聴く人に響くことの両方を、仕事の中で問い直していた。
2013年、歌うだけでなく、伴奏から一緒につくる
若い頃の伊東は、録音に緊張し、完成した伴奏に歌を入れる形で制作していた。
自分から歌い方の変更を申し出ることも、あまりなかったという。
2013年の『メモリーズ・オブ・ミー』では、その制作への関わり方にも変化が見える。
編曲を多く手がけたデビッド・マシューズとの仕事に、最初は洋楽カバーを想像していた。
ところが、企画は「小指の想い出」の頃の日本のヒット曲集だった。
それらの曲が流行っていた頃は自分の歌で精いっぱいだったため、他の歌手の曲を改めて歌うことには不安もあったと話している。
自分の代表曲に加え、思い出のある曲をレコード会社と選んでいった。
録音では、伴奏をつくる段階から参加し、音の好みや、スキャットを入れたい場所についても相談した。
スキャットは、意味を持たない音節で歌う表現だ。
そうして一緒に音を組み立てる進め方は、本人にとって新鮮だった。
この制作では、歌を入れる前から、自分の希望を伝えるようになっている。
同作の「小指の想い出」は、1967年の録音を集め直したものではなく、ジャズの編曲で歌い直したものだ。
若い頃には戸惑った曲を、長く歌ってきた代表曲として、新しい演奏の中へ戻している。
歌詞への意識だけでなく、その歌をどんな音楽に仕上げるかにも、関わる範囲が広がっていた。
洋楽に親しんだ原点も、歌い続ける
2023年の『Sound Inn S』では、「テネシー・ワルツ」を歌った。
6歳で初めて客前に立ったときの曲でもある。
この回は坂本昌之の編曲で、ハーモニカを加えたジャズ風の演奏になった。
好きな曲を、新しい編曲と演奏で歌えることを、伊東は喜んでいた。

画像出典:写真掲載元
日本語の歌詞を大切にするようになっても、英語の響きに親しんだ原点は残っている。
以前の歌を捨てて別の歌手になるのではなく、歌詞を受け取る姿勢や、録音への関わり方を変えながら、レパートリーを歌い続けてきた。
「さすらい」は、その中で、旋律に乗せる言葉を、聴き手へ届ける言葉として意識し直した転機だった。
低く深い声や、力みを感じさせない表現については、伊東ゆかりの歌い方で取り上げている。







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